エンドロール

 暗幕が降りる。



 映写機からは、カタカタと小さな音を立てながらモノクロの映像が映し出されていた。
 なんてことはない恋愛映画。若い二人が出会い、恋に落ちて、けれども想い合う心とは裏腹に、互いが両想いであることを知りながらも、二人が手を取り合うことはない。いや、そうすることができなかった。何故なら世界は二人だけのものではなかった。二人以外の様々なものが、二人の小さな、けれども一途な想いを引き裂いた。
 話が進むにつれ、すすり泣く女の声が映画館を満たしていく。

 はたけカカシは、その周囲の反応に反比例するように、自分の心が冷めていくのを感じていた。
 隣の人物はどうなのだろうか―――カカシは隣に腰を下ろすうみのイルカを窺おうとして、けれども決して目を向けることはしなかった。
 彼のような感受性の高い男は、泣くことはなくとも同情して、映画の中に入り込んでいるのかもしれない。カカシはそう想像した。それが答えのような気もした。カカシが冷めた心でいるのと正反対に。
 隣に居るのに、同じものを見て違う反応を見せる―――だがそれは、カカシとイルカという二人には当然のことであった。
 考え方が違った、モノの見方が違った、それゆえの衝突もあった。そんな二人が肩を並べて、同じ映画を見ているのは滑稽なことかもしれなかった。それでもカカシは映画に誘い、イルカはそれに乗った。
 周囲は不思議に思うかもしれないが、カカシは自分と何もかも違うイルカと一緒に居るのが苦ではなく、むしろ楽しいものだった。自分とは違うからなのかもしれない。イルカはどう思っているのかわからないが、それでも誘えば断られる確率は低いものだった。

 すぐ手を伸ばせば届く距離に、イルカが居る。
 それだけで、妙な安堵に似た気分になった。有り体に言えば、落ち着くのだ。更に陳腐な表現をすれば、―――安らぐ。その表現をカカシは陳腐だと思っていた。安らぐだなど。忍びの己に当てはめようとすると、笑えてくる。イルカに何を求めているのかと、そんな自分に笑えてくるのだった。
 そのくせカカシは、イルカを傍に置きたがった。理屈ではなかった。まるで駄々っ子のように、意味を理解するよりも先にそういう行動を取った。イルカが応じるものだから、調子に乗ってこんな映画にまで誘う有様だ。
 こんな二人の関係を何というのか。
 当てはめるべきものをカカシは考えることがなかった。
 時折二人の間を流れる空気は、アスマなどとは違ったから、『友人』ではないのだろうと、ぼんやり思う程度だった。


 カカシは割合、映画が好きだった。
 最初はイチャパラシリーズだけを見ていた。
 それが徐々に違うものを見出したのは、イルカの影響だった。
『カカシさん、映画見るんですか? オレもですよ』
 カカシがどんな映画を見るのかと問うて来て、カカシは正直に答えると、イルカは絶句してみせた。だが、やがて破顔した。
『本当に、カカシさんは』
 しょうがないなぁ、とまるで子供を相手するような顔で言われ、カカシは胸が少し詰まり、そして対抗意識のようなものが芽生えた。
『いえ、オレも別に他にも見ますよ。たまたま機会が無かっただけです』
 機会というより、興味が向かなかったが正しい。
 しかしイルカは、そんな理由に納得を示した。
『……じゃあ、今度一緒に行きませんか?今話題のあれ、オレ今週末に行く予定だったんですけど』
 カカシの中で、映画とは誰かと見るものではなかった。今までの経験の中で、一人で行ったものしかない。
 けれどもカカシは頷いた。
 イルカと一緒に初めて見た映画は、所謂人情ものだった。年老いた母と息子の、母の死を前にした泣かせのストーリーだった。
 一方、カカシは退屈だった。
 無理も無い。母の記憶の無いカカシには、母親が老いて死ぬのは当然のことで、それほど悲しむものとは思えなかった。死はいたましいが、その辺にゴロゴロ転がっている―――そのひとつとどう違うのか、カカシには解からなかったのだ。
 しかし、隣のイルカは泣いていた。涙を惜しげもなくボロボロ零すさまに、カカシの方がうろたえた。
 後に、二人で映画の話になった時、イルカが真っ赤に照れて、あれを泣かないほうがおかしいんです、と言った時に、かわいいな、と思うと同時にカカシの胸が痛んだ。オレはおかしいのか、と妙に納得した。おかしいのだ。壊れている、とも今まで誰かに言われたことがある。イルカに言われると胸が痛んだが、そうなのだろう。
 するとイルカは、カカシの顔を見て、急に焦ったように言葉をとりつくろうとした。何故だろうとカカシには不思議だったが、最後にイルカは、ただカカシに触れた。暖かくも柔らかくも無い手だった。その手で、まるで子供を寝かせつけるような優しさで腕に触れられ、カカシの何かが絞られるような気持ちになった。抱きよせていいだろうか、と考えた。固いだろうその身体を抱きよせ、髪に顔を埋めてみたくなった。想像だけで終わらせた気持ちを、今も抱え続けている。何故なのかを考えぬまま。

 しかしそれがきっかけとなり、話題の映画は片っ端からイルカを誘った。そうして休日を過ごし、そのあと食事をしたりする。
 恋愛映画は見なかったのだが、ネタが尽きたところでこの話題作が出た為、カカシはこれを見ることにしたのだった。
 カカシには、やはりつまらないものだった。恋愛ごときに一喜一憂するのも馬鹿らしいと、映画の二人が切なさを高めるほどカカシは白けていった。
 愛していても死ぬのだ。
 いつか、けれども確実にその日はやってくるのだ。


『今日という日は、二度と来ない』

 話題になった、映画の台詞が流れてカカシは映像に目を向けた。
 モノクロの映像が、その台詞から、美しいフルカラーの世界に変わった。
 これにはカカシもハッと心を動かされた。
 想い合いながらも添い遂げられぬ二人が、たった一日だけまるで恋人同士のように過ごした。その終わり、別れのシーンだった。
 手を離した二人の間に、美しい夕日が落ちて行く。
 一瞬の、たなびくオレンジの輝きが二人を照らし、けれども徐々に世界をまたモノクロに変えて行く。
 そしてエンドロールが流れ出した。
 あちこちからのすすり泣きが響く中、カカシはそこでようやくイルカに目を向けた。
 イルカは、―――イルカもカカシを見ていた。
 まだエンドロールが流れる映画館は、暗く閉ざされたままだ。けれどもイルカの表情も、その黒い眼が潤んで光るのもカカシにはよく見えた。

 誰も席を立たない。周囲は映画の余韻に酔いしれている。
 だが、カカシはイルカをじっと見つめ、イルカもひたむきな瞳でカカシを見つめていた。

「……こんな風に、映画を一緒に見るのもこれが最後ですね」

 ぽつり。イルカが零す。
「アナタと一緒に居るのは、結構楽しかったです」
「………、イルカ先生」
「嘘です」
「………?」
「本当は、ずっと楽しかったです」
「イルカ先生」
「カカシさんとはナルトのことを始め、意見が衝突してばっかりだったのに」
 イルカはふっと笑った。

 物悲しいバイオリンの響き。ソプラノの歌声に、バリトンが重なる。
 美しいエンドロール。

「一緒に過ごすうちに、アナタがどんなひとか段々解かってきて。アナタは自分が孤独だということにすら気付かないような、そんな……愚かなほど悲しいひとで、オレは、………オレは」
 流れる音楽もすすり泣く声も、何もカカシの耳には入らなくなった。
 カカシを今占めているのは、イルカだけだった。

「いつしかアナタの傍にずっと居たいと思うようになっていた」

「……ッ!」
 イルカの告白に、カカシは息を呑んだ。
 それは無意識の行動だった。カカシの手が、イルカに伸びた。イルカの手を、いや、どこかを掴もうとしたのだろう。
 だけれども、その手は何も掴むことはできなかった。
 カカシの隣には、誰も居なかった。
 彷徨う視線の先、イルカは席を立ち、カカシを見下ろしていた。
「イル……」

「だけど、もうそんなことは思いません。アナタの傍には居たくない。……アナタと一緒にいて、こんなに胸が苦しくなる日がくるなんて、出会った時は想像したこともなかった」
 カカシは呆然と、イルカを見上げていた。
 こんな酷い仕打ちがあるのだろうか―――イルカを前にして、カカシの脳裏にそう過ぎった。
 カカシも、イルカと一緒で胸が苦しくなった。出会った時は想像もしなかったことだった。
 そこは全く同じなはずなのに、こんなにも違う。
 カカシはイルカの傍に居たかった。傍に居て欲しかった。傍に居たくないなど、思いもしないことだった。なのにイルカはそう思っている。
 そう告げられたことで、カカシの胸は先ほどまでとは違う苦しみを味わった。
 嫌だ―――強烈に思う。
 傍に居なくなるだなど。
 それと同時に、カカシはイルカへ抱いていた気持ちをまるで突き付けられたかのように気付かされてしまった。
 愕然とする。
 酷い仕打ちだった。

「―――今日という日は、二度と来ない」

 イルカの背後、映画はついにエンドマークを付けた。

「だからこそ、オレはアナタに言うことができる。一度しか言いません。―――お幸せに」

 パッと証明が灯る。
 イルカの姿はもう無かった。
 これが最後だと、イルカは言った。彼の目は本気だった。
 もう二度と、こんな風に二人で出掛けることも、映画を見ることも、食事をすることも、会うことすらも無いのだと。
 一方的だが、二人ですることに片方が拒むのならカカシの意思など関係なく、これが二人の決定事項となる。
 映画は終わり、二人の奇妙に続いた関係も終わるというのだ。

 ガタガタと、周囲の席を立つ騒々しい音が響いた。
 取り残されたように、ひとりすわった腰を下ろしたままだったカカシは、両手を膝の上に握り締め、やおら立ち上がるなり、風のようにその場から姿を消した。





「イルカ先生!」
 カカシが背後から名を呼んでも、イルカは振り返らない。
 カカシは構わず、イルカの前へ回り込んだ。
 向き合うイルカは、とても冷めた表情を浮かべていた。そのことに、カカシは逆に腹が立った。この男が憎かった。
 ぐっと両肩を掴む。
「アナタは酷い男だ……! オレに、オレの気持ちに気付かせた!わざとでしょう!」
 カカシは激昂した。
 イルカは揺るがない目で、そんなカカシを見返す。
 憎かった。
 何故、どうしてこのタイミングで。
「わざとです」
 イルカの平坦な声が、カカシをカッと逆上させた。
 殴ろうかと思った。その手はイルカの肩をきつく掴んだままだ。
 そんなこと、できるはずがない。
 この男は。
 憎らしいこの男は、はたけカカシが初めて愛したひとなのだ。
 愛を愚かしいと馬鹿にしていたカカシが、初めて愛した―――愛してしまっていた。
 ぐっと、カカシは両目を瞑った。
 己の中の感情を抑えて、本当はどうしたいのか考え出した。
 そうして、引き絞るような声が漏れ出た。
「……どうして今日で最後なんですか。オレは嫌だ」
「オレももう嫌です。アナタと会うのは」
「どうして」
「これからは、婚約者とでも行けばいい」
 カカシは目を見開いた。
「……それが原因ですか」
「他に何が」
「いや。……いや、でも、それは、……どうしてですか、別にそんなの、どうでもいいことでしょ」
 イルカは唇の端を上げ、笑おうとしたのだろう。けれども歪な形でとどまり、失笑だけが零れた。
「オレが嫌なんですよ」
「婚約者なんて、オレは好きじゃない。オレが一緒に、傍に居て欲しいのは」
「オレに愛人になれと、カカシさんはおっしゃるんですか」
 愛人、と言われ、カカシは何のことだと思った。意味がわからなかったのだ。
 勿論そんなつもりなどはなかったし、考えたこともなかった。
 カカシの中においてのイルカのポジションは、揺るぎようも無く変わらない。
 婚約者といっても、そんなもの里が決めただけのものであり、カカシには受けるも拒否するもなかった。どうでもいい存在のものだったからだ。子供でも作れば、それで満足するのだろう、その程度の認識でしかなかった。そんな相手ができたのはつい最近、式の日取りなどはこれからで、それもおそらくはカカシの意思など存在せぬまま、決められるのだろう。これもカカシはただ流れるままに流され、拒否など及ぶものではなかった。カカシにはそれは重要なことではなく、今、イルカが離れていこうとすることが許せない事態だった。
「嫌だ……嫌だ」
 まるで頑なな子供のように、カカシはそればかりを繰り返す。嫌だ、嫌だ、許せない、許さない。離れていくだなど。
 しかしイルカは、カカシを拒む態度を崩そうとしない。拒み続けている。
「妻もいる男の愛人なんて、真っ平ごめんです。みじめで、醜くて、……すくいようがない」
 それはカカシに投げつける言葉というよりは、自嘲を込めて自身に言い聞かせるかのようだった。
 そんなみっともない存在になりたくないと。そう思えと、自身に課すような。
 カカシはついに、イルカを抱きしめた。
 きつく、強く、空気さえ入り込むことを拒むように密着させる。両腕をイルカの背中に回し、その黒髪に顔を埋めた。そうして、ああ、と嘆息する。ただのシャンプーの匂いに、とろけそうになった。イルカだ。これはイルカの匂いで、イルカの総てだ。
「……カ、カシ、さん」
 困惑したようなイルカの声が、カカシの耳を擽る。それでもカカシは力を緩めなかった。
「嫌だ、イルカ先生」
「……、」
 カカシは自分で気付いていなかったが、こんな風に誰かに気持ちを押し付けるのは初めてのことだった。
 押しつけるどころか、自身の感情を誰かにぶつけることも無かった。そんなカカシが、制御のしようもない感情に翻弄され、愚かな体を晒している。
 イルカはやがて、小さく嘆息した。
「……本当に……、アナタは子供ですね」
 そんな風に言われたのは、初めてのことだった。
「オレは……、アナタに一矢報いて、ここに小さな傷をつければそれで満足だったのに」
 イルカはカカシの胸の辺りを指でつつき、しょうがないとばかりにまた溜息を吐く。
 けれどもイルカの黒い瞳からは、勝気な台詞とは裏腹に涙が零れている。初めて映画を見た時のように。違うのは、悔しそうに唇を噛んでいることだけだ。
「……イルカせんせい」
 カカシは思うままに、イルカの濡れた頬に触れ、涙の跡を舌で拭った。擽ったそうにイルカが身を捩るが、拒まれはしなかった。目尻を吸い、頬にキスをした。そうすると、たまらない気持ちが膨らんで、今度は唇に唇を重ねた。
 唇を離して目を合わせれば、またその瞳から涙が零れ落ちた。
「愛人は、嫌です」
「うん、違うよ」
 違う。
 そんな言葉に当てはめるべきひとではなく、そんな感情でもなかった。

 ただ愛しい、それだけだった。






物語のワンシーンを切り取った風味です。
ゲンライの「今日という日は、二度と来ない」のオムニバス。
ちなみに映画の二人は某木ノ葉の祖の二人だったりします…。

(13.04.28up)