あの頃のように




『ライ兄ちゃん、どこいくの?』

 いつもいつも、気付くと後ろをついて歩いてる、オレより小さな子供。あまり誰とも話そうとはしないのに、オレには懐いてくる。それがかわいかった。
 オレは振り返って身を少し屈め、頭を撫でてやった。そうすると、嬉しそうな顔になる。
『おうゲンマ。オレはこれから、アカデミーに行くんだ』
『アカデミー?』
『そうだ。忍者になるんだ、オレ』
 にっかと笑って言えば、みるみるゲンマの顔が曇っていく。
『……忍者になったら、オレとはもう遊んでくれないの?』
 なんだそんなことか。
 曇った顔の意味が分かって、オレは笑った。
『んなことねーよ。つかゲンマ、お前も忍者になれよ。そしたら一緒に任務とかできるだろ』
『にんむ?』
『そうだ。オレとお前で、この木の葉を守るんだ。どうだすげーだろ』
 そう言うと、あまりよくわかってない顔のまま首を傾げたゲンマは、それでも頷いてみせた。
『それでライ兄ちゃんと一緒にいれるなら』



「……はぁ」
 お猪口の酒をくいっと煽ると、並足ライドウは小さく息を漏らした。
「なんだよため息なんて。おっさん臭さに磨きがかかるぞ」
「………」
 居酒屋のカウンター、その片隅でライドウの隣に腰を下ろす不知火ゲンマはこともなげにそんなことを言った。
 全くもって、可愛らしさのカケラも無い。
「……ちょっと昔のこと思い出してたんだよ。あの頃はお前もかわいげがあったのにな、と思えばため息ぐらい出るだろ」
 正面を向いて酒を煽っていたゲンマは、ライドウにチラリと視線を向けた。
「昔話なんて益々おっさん臭ェ」
「どうせオレはおっさんだよ」
 ライドウは言い合うのも面倒で、早々に認めることにした。
 ゲンマには口でも忍術でも悔しいことに勝てない。一体いつの間に立場が逆転してしまったのだろう。子供の頃からは考えられない関係になってしまっている。
「……あーあ。あの頃のお前はよかったな」
「だからなんだよいきなり」
「かわいかったあの頃の片鱗もねェな」
「あーわかったわかった。じゃあ『今日は奢ってぇ〜ん』」
 しなだれかかって一オクターブ高い声を出すゲンマに、ライドウは思わず素で引いた。
「うっわ、キモッ」
「……かわいかったろ」
 まるで何事も無かったかのような顔で、ゲンマは再び酒を呷る。
「ぜんっぜんかわいくなんかねェよ」とライドウは憎々しげにぼやき、酒をぐっと呷ってから吐息をついた。
「―――『ライ兄』って呼んでみろよ」
「は?」
「オレ、あの呼ばれ方好きだったな。本当の兄貴になったみてェで」
「………」
 しみじみと手元のお猪口をいじりながら語るライドウに、ゲンマは無言のままそんなライドウを見つめ、やがて視線を正面に戻した。串焼きに手を伸ばし、かじりつく。
「……お前、後悔してんの?」
「え……?」
 ライドウは、思わず心臓がドクリと鳴った。
 ゲンマはライドウを見ずに、串焼きを食べながら続ける。
「オレとこういう関係なったの、後悔してんだろ。昔にかえりたいってか」
「……!」
 驚き、何も言えずにただゲンマを凝視していると、ゲンマは食べ終わった串を皿に置くと席を立った。
「ごっそーさん」
 ゲンマはポケットからお札を数枚取り出すと、テーブルに置いて店を出て行った。ライドウを一度も振り返ることもなく。




 ライドウの思考回路は実に単純にできている、ゲンマはそう思っている。
 だから、苦もなく何を考えているのかがわかるし、どう言えばどう反応するか、どうすればどうなるのかもわかる。わかってしまう。
 そんなライドウへ罠をはるのは容易かった。
 生真面目で馬鹿みたいに単純で、誠実であろうとする男。
 罠をはった。
 思ったとおり、あの男はすんなりはまった。
 わかっていた、わかっていたのだ。
 自分にもそれなりの良心というものがある。だからゲンマはその罠をはることを十年以上実行しなかった。
 それでも先日、ついに罠に落とすことにしたのだった。


 居酒屋の暖簾をくぐり、店の外へ出ると意外に寒かった。
 そうか、もう冬が近付いているのか。
 ぼんやりゲンマはそんなことを考えて、そして意味もなく夜空を見上げた。雲のない夜空はくっきりと月や星が浮かんでいて、綺麗だった。
 吐き出す息はまだ白くはならない。
 ゲンマが歩き出すと、先程出た店から威勢の良い大声が飛び出した。
「待てよゲンマッ!」
 こんな遅くに、なんて非常識な男だろう。
 実際はそれほど大声ではないが、ゲンマはぼんやりそう思いながら声を発したライドウを振り返ろうとはせず、歩みも止めなかった。
 考えなくてもわかってしまう。
 ライドウは追いかけてくる、確実に。
 事実、ライドウの気配が近付いてきた。走ってくる。
 振り返らなくても、ゲンマにはライドウの表情がわかった。

 ―――まったく、嫌になる。

 ゲンマはうんざりとした。
 こんなにライドウのことがわかってしまう自分が自分で嫌だった。
 一体なんだというのだろう。
 わかったところで、いいことばかりじゃない。むしろわからない方がいいことの方が多いんじゃないだろうか。
 うんざりする。
 もう何年だ。
 長い年月を経て、恋と呼ぶにふさわしくないものに成り果てたそれは、いっそ妄執ともいうべきか。
 今ならば、それを捨て去れるのかもしれない、そう思った。

 ライドウを抱いても、その中に精を吐き出して汚したとしても、何も手に入らなかった。何も自分のものにならなかった。そんなことを実感しただけだ。
 快楽はあった。征服欲も満たせた。
 それでも終わってしまえば、身体は二つにわかれて結局何ひとつ手にすることができないのだと思い知らされた。

 手に入らないから、執着してしまったのかもしれない。
 そうでなければ、こんな平凡を絵に描いたような男などすぐにいらなくなっていたはずだ。

 このまま振り返らずにいれば。
 だから振り返りたくはなかった。

「ゲンマ……こっち向けよ」
 なのにライドウは少し悲しげな声で名を呼ぶ。
 苛立ちが募った。
 振り返ったら、ライドウを殴ってしまうのかもしれない。
 こっちはライドウの考えていることなんて容易く読み取ってしまうというのに、ライドウはこっちの気持ちなんて全く理解していない。

 振り切るべきだった。
 なのに足が止まった。
 それでも振り返らないでいる。
 ライドウが何を言うのかはわかっていた。

「オレ……オレさ、お前とこういうことになったの、確かに少し後悔してる」

 生真面目で馬鹿みたいに単純で、誠実であろうとする男は、時に何より残酷だった。
 全部知っている。
 こちらから手を出さなければ、そういう風にしむけなければ、一生男を相手にするような人間じゃなかった。そんな男を罠に落として、錯覚を起こさせた。
 あたかも自分でゲンマを選んだかのように。

「……へぇ」
 じゃあ別れるか。
 飲み込んだ言葉は自分でも笑えた。
 何て様だ、ここまできても結局は手放せない。
 手放せはしないのだ。
「ゲンマ」
 強い意志を覗かせる声と共に、突然強い力がゲンマの後頭部に加えられ、強制的に振り返らされた。
 間近に、ライドウの顔がある。
 忍術や体術は追い抜くことができても、その背丈だけは追い抜くことができなかった。それが今でも内心悔しい。
 ライドウはみるみる顔を辛そうに歪ませて「やっぱり」と呟いた。
「なんて顔してんだよ」
 ゲンマはそう言われても、自分が今どんな顔をしているのかわからなかった。いつものポーカーフェイスのつもりが、よりによってライドウにどんな表情をさらしているというのだ。
 それに『なんて顔』をしているのはそっちの方だろう。
 そんな、悲しくて悔しくてたまらないという顔なんてしないで欲しかった。
「お前はオレのこと、解ってるって思ってるかもしんねーけど、本当はわかってなんかねェよ」
「……!?」
 ゲンマは内心ドキリとした。
 鋭い眼光でそう告げたライドウは、しかしその眼を俯かせる。
「……けど、オレが悪い。それもわかってんだ、本当は。アオバに言われなくったって」
「………アオバ?」
「言わなきゃ伝わんないこともあるって、オレだってわかってんだ。けど、オレは………」
 そこで言葉は途切れた。
 ライドウは、夜目にもわかるぐらい真っ赤に頬を染めている。
 そんなライドウを、ゲンマはじっと見つめていた。
 何を続けるのか、唇を見つめていたら、ライドウはその唇を引き結ぶとゲンマの肩に顔を埋めた。

「……ずっとお前が頭ン中に居るんだよ。任務中でもふっと顔が過ぎったり、今何してんのかって考えてたり……お前がオレと別の任務に出てても、どうしてんのかすっげー気になる。しまいには朝眼が覚めたらお前のこと思い出してんだ。……なんだよこれ、くそっ、オレはこんなんじゃなかったのに」

 耳の近くで続けられたその告白は、ゲンマを驚愕させた。
 なんだこれは。
 これではまるで、そう―――恋ではないか。

「わかってねェだろ、お前のこと好きんなって、オレはどうしていいかわかんねェぐらい頭ン中こんがらがってんだよ」
「………」
「だから、オレは」
 だから―――あのころにかえりたいと。そういうことか。
 生真面目で任務に忠実な忍びらしいといえるかもしれない。

 ああ、そうだ。
 その真っ直ぐさが。
 生真面目で馬鹿みたいに単純で、誠実であろうとするこの残酷な男が、ゲンマを捕らえて離さないでいる。今でも。
 何十年も経ち、もう妄執にしか過ぎなかったとしても、それでも。

「……なんだよ、お前はいいなそれで」
「ゲンマ?」
 ライドウは、ゲンマの声色に何かを感じたのか、肩口に伏していた顔を上げてゲンマの顔を見つめた。
「オレはあのころに戻ったって、何も変わんねェんだよ」
 ゲンマは全てを諦めた。
 ライドウを諦める、ということさえ諦めた。
 惚れた弱みだ。殴ることも突き放すこともできない。目の前に居る男が憎くて愛しくて、自分でもどうしようもない。
 そんな笑みを、ゲンマは浮かべていた。

 あのころから、何も変わらないままだ。
 あのころから、ライドウが欲しくてたまらなかったんだ―――その想いは言葉には出さなかったが、触れた部分から溶け出すようにライドウに染み込んできて、ライドウの瞳を滲ませた。
 ―――ああ、くそ。
 ライドウは吐き捨てるかのように呟くと、ゲンマを抱きしめた。




終。



(08/11/08、09/11/08)