こゝろ




初めて出会ったのは、ナルト達を下忍 に合格させた報告に、火影の下に行った時だった。
部屋の奥の机席にどかっと座る火影の隣に立ち、心配げな顔で俺の報告を聞いていた。なんだ?とは思っ たが、鼻の上の傷に少ししてああ、と思い至った。

これが、あの。

そう思ってちらりと横目で観察した。
平凡な顔に、体格。どうってことない、どこにでもいそうな。
それが初めの印象だった。
そしてそれきり彼に対しての興味は無くなった。

その印象が変わったのは、報告を終えた時だった。
「やった!」
いきなりの歓声に、え、と思い声のした方…イルカに目を向けると、そこには顔を真っ赤にして口元を手で 押さえる中忍がいた。
「あ…あの、……すっすいません!」
そしてそう慌てて言って、深々と頭を下げた。何度も何度も下げる。すまなそうに。
呆然としてそれを見る俺と、盛大に息を漏らす火影が居た。
「全く…。おとなしくするというからそこに居ることを許したんじゃ。まあ、そういうことだから安心し て帰るがいい」
「は、はい!どうもありがとうございました!火影様!」
今度はにこにこ全開の笑顔でお礼を述べるイルカに、カカシはついていけないものを感じた。なんという 感情の切り替えの早さ。ころころ変わる表情が何故か見ていておもしろい。

そう、おもしろい男だな、と思った。

ふいっとイルカがカカシに顔を向けた。初めて視線が合う。
黒い瞳。真っ直ぐな眼差し。こんな目で見つめられたのは、いつぶりだろう。そう思うくらい、ここのと ころとんと縁の無い目だった。なぜならこれは忍びの目じゃない。
「あの…カカシ先生、初めまして、うみのイルカと申します。アカデミーで教師をしていまして、ナルト 達を見ていたのですが、ちょっと、その…心配でして、火影様に無理言って、ここに居させてもらいまし た。でも、良かったです!ありがとうございます!これからあいつらをよろしくお願いします」
そう言って少し赤い顔をして、イルカはカカシに手を差し出した。それに少し面食らってしばし差し出さ れた手を凝視していると、イルカは慌てて手を引っ込めた。そして真っ赤な顔で「すいません…」とまた 謝った。
「え?いや、こちらこそすいません。握手なんて求められたこと無かったんで…」
そう言うと、更に顔を赤くして、また謝ってきた。
「すいません、そ、そうですよね俺って…いえ、私ときたら、上官に対して何て失礼な…すいませんでした」
別段責める為ではなく、ただ単にそうだからそう言っただけだったが、なるほど皮肉にも聞こえるな、 と思った。しかしあんまり顔を赤くして謝る彼が何故かおもしろく思え、もう少し意地悪いことを言いた い気分になった。
「アナタの噂は聞いてますよ、イルカ先生。ナルトがよく懐いているそうで。ですが、そんな心配ばかり していないで、俺に任せて下さい。それにあいつらはもう俺の部下なんで、わざわざアナタに頼まれるま でもない」
そう言うと、イルカは傷ついたような顔をした。それを見て、しまったかな、と思った。別に傷つけるつ もりは無かった。少し、意地悪をしたくなっただけで。もっと顔を赤くして困る顔が見たかっただけで。
「すいません、言葉が過ぎました。…とにかく、大丈夫ですから」
そう言って少し笑いかけ、今度は自分から手を差し出した。
それにイルカはきょとんとした顔をしてしばらく手を見つめ、それから慌てて手を握り返してきた。しか も、両手で。
「はっ、はい、ありがとうございます!よろしくお願いします!」
顔を赤くして必死な顔で言う彼に、今度は自然と笑顔になった。
「はい、よろしく」
そう言うと、イルカは全開の笑顔を俺に向けた。その笑顔に、何故だかどきっとする。
そして手を離したイルカに、何故か残念だと思った。少し汗ばんだ手が、いつもなら不快を感じそうなも のなのに気持ちよかったから。イルカの手は暖かかった。
「…ところであの、噂ってなんですか?」
少し控えめに、それでも気になるのかそんな事を聞いてきた。それにちょっと失敗したかな、と思った。噂 は、イルカに聞かせるようなことじゃない。
狐つきに入れ込むイカレ教師――それがイルカの噂である。
「すいません、不躾にあんな事。俺の自己紹介もまだでしたね。はたけカカシです、よろしく。噂っていう のは、ナルトの奴がことあるごとにイルカ先生とラーメンの話をするんで、まだ2日程度の付き合いなのに 耳にタコができちゃいましたよ」
「えっ そ、そうなんですか!?す、すいませんそのっ…あの…」
そう言うと、イルカはとっさに何と言っていいかわかないようで、どもって何故か謝ってしまった。ナルト の奴め…と恥ずかしいやら嬉しいやらでイルカは真っ赤な顔に笑いたいような困ったような微妙な表情を 浮かべた。そして安堵したような顔もした。
「そうですね・・俺なんかが上忍の間で噂になんかなるわけないですよね…はは」
「いや、別に謝るようなことじゃ。あんなに慕われるなんて、いい先生なんですね」
そのカカシの言葉にさらに顔を赤くさせ、どうしようもなくなって顔を伏せた。
その様子にカカシは目を細めた。本当は上忍の間で噂なんだけどね、と思った。
「…お前ら、ワシの存在を忘れとらんか。次もつかえておる。もう下がれ、カカシ」
本気で忘れていた存在に声をかけられ、ああ、と思った。
「それじゃ、また。イルカ先生」
そう言ってにっこり笑うカカシに、イルカもあわてて「は、はい!」とつい大きな声で返事をした。そして また赤い顔で口元を手で覆う。くすりと笑い、カカシは部屋を出た。
本当におもしろいと思った。




「何、アレ」
部屋を出たカカシに、部屋の外の壁にもたれかかり、腕を組んだ格好で居た紅が声をかける。紅もくのい ちの上忍で火影に下忍の合否の報告をしに来た所だった。その時丁度部屋の中でのカカシとイルカの会話 を聞いていたらしい。
「おや、お前も来てたの。アレって?」
「あんたが他人を褒めるなんてめっずらしー。長々と手を握っちゃったりしてさ。あーいうのが趣味だっ たワケ?」
詰るような紅の口調にさして気に留める事も無く、カカシは立ち去ろうとする。
「・・キクを振ったそうじゃない」
低い声で、紅はカカシの背中に言った。
「ああ、もう聞いたの。振ったんじゃないよ、向こうが別れようって言ったんだから」
俺が振られたの そう振り返りもせず歩きながら言うカカシを睨みながら紅が言った。
「良く言うわね、あんたが冷たいからじゃない。遊びだったんでしょ?あの子は本気だったのに。…今度 はあの中忍を玩具にするわけ?」
「何、紅いつからそういうキャラになったわけ?それとも俺が好きだったの?」
「ふざけないで。私はもう、あんたの遊びに傷つけられる子を見るのは嫌なのよ」
カカシは口の端を歪めて言った。
「安心してよ。俺って男は専門外だから。そう何でもかんでも食っちゃうわけじゃなーいよ。でも、おも しろい男だと思ったけどね」
くくっと笑いながら、カカシはその場から消えた。紅は溜息を溢し、ぼやいた。
「かわいそーに、今度はあの中忍かぁ…。いい子っぽいのにねぇ」
そう言って、イルカの居る部屋のドアを見つめた。



* * * * *



「カカシ先生、こんにちは!」
そう言って、イルカがにこにこ笑ってカカシに近づいて来た。
カカシが何気に受付所を出た廊下を歩いていた時である。
「…あれ、イルカ先生。任務にでも出られていたんですか?」
そうカカシがにこっと笑って尋ねると、イルカは顔を赤らめて頬を掻きながら言った。
「いえ…俺は実戦には出ないんで…。実は、任務の受付もやっているんですよ。アカデミーの傍らですか ら、短時間なんですけど」
「あ、そうなんですか。じゃあ、会う機会が増えますね。良かった、俺イルカ先生と仲良くなりたいなーと 思っていたんですよ」
にこにこ笑いながら言うと、更にイルカの顔が赤くなった。
「そ、そ、そうなんですか…っ。あの、恐縮です。俺、俺なんかがそんな、あの、でも嬉しいです」
しどろもどろでイルカが言うのを、カカシは俺も嬉しいです、と返した。
別れて、背を向けてから口元を歪ませる。おもしろいよ、ほんとに。
いい玩具が出来た、と笑った。




イルカは嫌われていた、上忍にも中忍にも同僚にも。だからいつ見ても独りだった。いつもぽつんと昼食 を木陰でとったり、足を引っ掛けて転ばされたりした所も見たことが有る。だが、本人は気付いて無かっ たらしい。それもそうだろう、馬鹿なんだから。嫌われているとも知らないで、誰にでもにこにこと笑顔 を振りまいている。それが嫌に腹立たしかった。
イルカはどこか抜けていて、周りを苛立たせた。それに付け加え、ナルトを可愛がっている。嫌われ者同 士、呼び合うものが有るのかもしれない。
そんなイルカに仲良さげに俺が話しかけるものだから、周りの怒りは更に膨れ上がったようだ。馴れ馴れし い、図々しいと。


そんなことは、予測済みだった。


奴らの怒りが切れた時、イルカをどうするのだろう、その時イルカはどうするのだろう。まだ、笑ってい るのだろうか。かわいい、馬鹿なイルカ先生。
それを考えるのが愉しかった。




ある日、カカシが受付所に行くと、イルカは居なかった。それを残念に思いながら、今日はまだアカデミ ーかなと用事を済ませて中庭に出ると、バラバラと歩く中忍達が居た。その顔は暗い愉悦が滲み、なんと なく嫌だな、と思った。そしてその先の建物の陰に人の気配がまだ在り、それは酷く弱弱しかった。そし て、見知った気配でもある。
まさか、と思いそれに近づいてみると、思った通りそこにはボロ雑巾のようになったイルカが倒れていた。
ああ、始まったか。
それだけ思った。ふう、と息を吐いて、体を屈めてイルカを覗き込む。意識が無かった。
「イルカ先生、大丈夫ですか?」
声だけかけても、ピクリとも動かなかった。仕方が無く、頬を軽く叩くとイルカは呻きながら覚醒した。
「…か…カカシ先…」
「ああ、口が切れてますから話さないでいいです。大丈夫ですか?」
「は…はい…」
少しも大丈夫でない状態の彼にわざとらしくそんな事を聞く自分に笑えたが、笑顔を作って返事をする彼 にも笑えた。頬の肉を動かすだけで、つらそうなのに。
カカシはひょいとイルカの体を抱き抱えると、保健室に行きますと告げた。イルカは最初申し訳なさそう に躊躇っていたが、大人しくされるがままになった。
吐く息が浅い。もしかしたら、肋骨が折れているのかもしれない。下手に動かさないほうがいいのだが、 呼んできて連れてくるのも面倒だったのでそうした。
何度も小さく、イルカがすいません、と言うのがうっとおしかった。




保健室に連れて行くと、そこには医者が居なかった。仕方が無く、カカシは応急処置をした。やっぱり肋 骨が何本か折れているみたいだった。大丈夫です、と言って笑おうとするイルカがどうにも煩わしく、カ カシは医者を呼んでくる、と言って部屋を出た。
そしてそのまま帰った。



* * * * *



次の日、いつも通り任務を終えて受付に行くと、やっぱりイルカは居なかった。まさかあのまま保健室に いることはあるまい、と思って受付の者に、さりげにイルカのことを聞くと、欠勤だと答えが返った。
まあ、そうだろうねとカカシは納得して、その場を出た。廊下を歩くと、向こうの方から昨日中庭で見た 中忍達がたむろって歩いてくるのが見えた。向こうもカカシに気付いて、少し緊張して会釈する。それに カカシが話しかけた。
「昨日、中庭で何していた?」
ぎくっと顔が強張るのが分かった。
「ほどほどにね」
それだけ言ってカカシはまた歩きだした。後ろでほっと息をつくのが分かった。


その次の日も、イルカは欠勤していた。玩具も壊れたらつまらないな、と思った。
しかし三日目、イルカは所々包帯をつけて受付に座っていた。また笑っている。そして、カカシを見つけ て嬉しそうに笑った。それを見て、腹がどす黒く染まるのが分かった。
「カカシ先生、お疲れ様です」
にこにこ笑ってイルカが言うと、カカシも笑顔を作って答えた。
「こんにちは、イルカ先生。もう体は大丈夫なんですか?」
「は、はい!あの、その節はご迷惑をお掛けして、すいませんでした」
そう、申し訳なさそうに告げるのが、おかしかった。俺は、あんたがこうなるのも分かっていたし、そし て重傷のあんたを置いて帰ったのに。
「いえいえ。ちょっと急いでいたんで、先に帰ってしまい、気になっていたんですけど、まあ大丈夫そう で良かった」
そう言うと、イルカは目を潤ませて、頭だけ下げた。何を泣きそうになっているんだか、と軽蔑に似た気 持ちでイルカの頭を眺めた。
あんなにおもしろく思えた笑顔が、今は憎くなっている。そればかりか、その笑顔が醜く歪むところが見 たいと思っていた。それをするのは、自分だとも。



* * * * *



カカシの忠告が効いたのか、あれからイルカへの攻撃は小さくなったようだった。それでもイルカは新し い傷を作っていた。そして相変わらずにこにこ笑っていた。ある日の夕暮れ、用事で偶然入った人気の無いアカデミーの職員室で、物が無くなった と必死にそこら中を探すイルカを見つけた。そしてふと見たイルカの机の上には、破れた本が何冊も 見えた。ガキか、と少しいじめのやり方に呆れ、カカシは手伝いますよと声をかけた。イルカはすまな そうにしていたが、やがて笑顔になってお礼を言い出した。その笑顔を見て、いじめられているんですか と尋ねたら、どんな顔をするだろう、と思った。それともまだ気付いてないんだろうか。
一体何を失くしたのかを聞くと、紫のペンだと答えた。
「すいません…俺、ドジで…よく物を失くしたりするんですよ」
そうはにかんで言った。やっぱり馬鹿だな、と思いつつ、それは大変ですね、と返した。こんな所、いく ら探しても見つかるわけ無いのに、と思いつつ探しているフリをしていると、ようやくイルカも諦めたら しく、もういいですと言ってきた。
「いいんですか?でも、何か大切な物じゃないんですか?」
内心やれやれと思いつつ言った。イルカが大切にしているから隠したのだろう。
「はは…もういいんです。ただのペンですし」
そう寂しげに笑うイルカを、何とも言えない気持ちで見た。初めてみた、笑い方。酷く、胸がもやもやす る。
「…ただのペンじゃないでしょう?一体何なのですか?」
何故こんなにしつこく食い下がるのか自分で分からなかった。見つからないと知っているのに、どんなも のだったか知りたい。
「…実は、ここに初めて入った時、お祝いにここの皆がくれた物だったんです。俺、プレゼントって、あ んまりされた事無くって。すごく、嬉しかったんです」
それを聞いて、何だか怒りが体中を駆け巡った。今すぐ言ってやりたい。それを隠したのがくれたそいつ らなのだと。お前はそいつらに嫌われているんだと。馬鹿だ、と。しかし、次の一言で止まった。
「それに…あれを持っていたら、いつかは皆と仲良くなれると思っていたんです」
それを聞いて愕然とした。分かっていた。本当は、自分が嫌われていることに気付いていたんだ。
「どうして…」
知らぬ間に、言葉が勝手に零れていた。はっとして口を塞ぐと、イルカが少し笑った。
「知ってました。だって、俺は昔からそういう気持ちに敏感でしたから。親が居なくなって、人に嫌われ るのが酷く怖かったんです。でも、俺ってどうも周りを苛つかせるみたいで…。子供の頃は、馬鹿なこと をすると笑ってもらえたけど、大人はそうはいきませんね。だから、どうやったら皆に認めてもらえるの か…分からないんです」
そして、今度は泣きそうに顔を歪めた。
違う。
そうやって、笑顔を歪めるのは、俺がすることだったんだ。優しくしてみせて、最後に裏切る。その時を 愉しみにしていたのに。他の奴になど、させる気は無かったのに。
自分の玩具を他人が勝手に使って遊ぶような、そんな苛立たしさにみまわれた。
そして、気付く。もしかすると、俺のこんな気持ちにも気付いていたのかもしれないと。しかしそれを聞 きにくかった。どの面下げて、俺もほんとは馬鹿にしてたの気付いていましたかと聞けるのか。だが、呆 気なくそれは告げられた。
「カカシ先生も…俺のこと嫌ってますよね…」
しかしそう言われてそれは違うと思った。どう違うのか上手く説明出来ないが、違うと思った。カカシが 何も言えずにいると、イルカが続けた。
「分かってました…俺、ほんと馬鹿だから、カカシ先生みたいな人には特に疎まれるだろうなって。でも、 カカシ先生は優しいから、こんな俺でもかまってくれて、すごく嬉しかったです」
そう言って、笑った。何故か、胸が痛んだ。これが罪悪感というものなのか。踏み躙るつもりだった笑 顔が、俺を刺す。
俺はその痛さに、何も言えなかった。口を開くと、声が震えそうで。
何も言わぬカカシに、イルカは微かに微笑んだ。いや、それは笑顔では無く、全てを諦めた顔だった。 (何度か見たことが有る。止めを刺す寸前に敵が見せたからだ)それが酷くショックだった。
イルカはカカシに会釈して、部屋を出た。


一体彼が何をしたというのか。
笑っただけだったではないか。なのに、俺は何故あそこまで彼に拘ったのか。何故イルカを憎く思ったの か。こうも苛めてやりたくなったのか。歪む顔が見たいと思ったのか。
しかし実際は、彼が歪むことは無かった。涙さえ見せなかった。
分かっていたと彼は言った。皆から嫌われていると。俺からも嫌われていると。そして俺を優しいと言 った。
やっぱり馬鹿だ。分かってなどない。俺は少しも優しくなんかなく、こんなにも醜い感情でアンタを見て いたというのに。




それから俺は、忍犬まで使ってペンを探した。ふっと我に返っては自嘲気味に笑い、何を馬鹿なことを、 と思ったが、それでも止めなかった。何時間が経ったのか分からないし、こんなことしてどうしたいのか さえ分からない。ただ、見つけてやりたかった。全てを諦めたような顔をした、イルカの為に。寂しそう に笑ったイルカの為に。
そうしてようやく見つけたペンは、焼却炉の中で、幸いまだ焼けてなかったが、半分に折れていた。どう したものかと良く見ると、そのペンは使ったことが無いかのように、インクが減っていなかった。



* * * * *



翌日、任務が休みで折れたペンと同じペンを探してやっと見付け、それを懐に忍ばせ受付所に行くと、イル カの姿は無かった。
まだアカデミーかと思っていると、イルカの同僚の中忍が話しているのが聞こえてきた。
「イルカもこれで終わりか…」
それが耳に入った途端、カカシは素早くその中忍の襟首を掴んでいた。驚きに固まるその中忍と、周りは 固唾を飲む。
「今、何て?」
「え…」
「イルカ先生がどうした?早く言え。隠すと容赦しない」
カカシが殺気立って言うと、中忍は恐怖に慄きガチガチと歯を鳴らした。これでは役に立たないと、舌打 ちして殺気を緩めてもう一度問うと、やっと声を絞り出して答えた。
「い…イルカは今日から、任務に出てて…」
「任務?どうして?だって彼は、アカデミー勤務に実戦は無いと…」
「あの、その、どうしても人手が居ると、任務に出る者が言い出して…それでイルカに…」
「それが何で終わりなの?」
さすがにそれには詰まって答えようとしなかったが、カカシが睨みを強めると、とうとう口を割った。
「それが…その、そいつらイルカをよく思ってない奴らで…この任務で捨て駒にすると…」
「知っていて、止めなかったのか」
それは質問でも確認でもなく、物語のしめくくりのように言った。
今すぐこいつら全員殺してやりたかったが、それを何とか押し止めた。そんな暇は無い。場所を聞くと、 カカシはもうその場には居なかった。




しかしその場に行っても、イルカは見あたらなかった。忍犬も見つけることが出来ない。ペンを探した時 より、カカシは焦っていた。やっと見つけたこのペンを渡したかった。そうしてまた笑って欲しかった。 諦めないで欲しかった。いつまでも笑い続けて欲しかった。
そうだ。俺はイルカの笑顔が好きだったのだ。あんな醜い気持ちが起きたのは、イルカを嫌う者にさえそ の笑顔を振りまいたからだった。何て馬鹿なこと。
馬鹿は俺だった。自分のこころを分かっていなかった。痛むのも、憎むのも、その理由を俺は分かってな かった。
こころは、こんなに惹かれていたのに。
それを認めたくない自分が、歪んだこころを作り出していたのだ。


焦りは次第に焦燥に変わっていった。もしかしたらもう手遅れなのかもしれないと。しかし一方で、もう 任務を無事終わらせ、帰ったのかもしれないとも思った。むしろそう思いたかった。
ようやくそこでの捜索を打ち切り、今度は里へ急いだ。



* * * * *



里に着くと、もう真夜中近くになっていた。カカシはひとまずイルカの家に向かった。行ったことは無か ったが、聞いたことが有るので知っていた。しかし、明かりは無く人の気配も無い。舌打ちして今度は火 影の元へ向かった。


火影の屋敷に行き、門番に尋ねるとここにイルカは居た。一先ず安堵して、イルカの居る部屋に通され て、入った。
「イルカ先生…」
イルカは眠っていた。しかし、外傷は酷かった。
酷かったが、生きていた。
カカシは安堵と疲労にその場にへたり込みそうになったがどうにか堪えて、イルカの眠るベッドの側に寄 った。
「来おったか」
開けたドアに火影が立っていた。カカシは振り向かずイルカの寝顔を見つめた。
「なんじゃ、あいさつぐらいせんか」
「…イルカ先生と任務を一緒にした者は」
「やつらなら死んだ」
そう告げられて初めてカカシは火影を振り返った。
「嘘じゃ」
カカシが火影を睨むと、火影がやれやれと溜息を吐いた。
「ほんとは里から追放じゃ。仲間を見捨てるような奴は里には要らん」
「…殺せばよかったのに」
そうカカシが言うと、火影は片方だけ眉を上げた。
「俺は、アナタにも怒っています。火影様、アナタならこうなることは分かっていたはずだ。生きていた から良かったものの、死んでいたかもしれない」
「それは無い。なんせ見張りを付けたからのう。まあ傷はあれじゃが、全治1ケ月といった所か」
カカシは目を見開いた。
「みすみすイルカを殺させはせん。しかしここらで何らかの処分をせんと、イルカへのいじめは終わらん じゃろう。任務違反は、罪じゃ」
「…この狸爺」
「ふぉふぉっ。お前が受付所で暴れたのも有って、これでしばらくはおとなしくするじゃろう」
カカシは溜息を零すと、イルカに向き直った。火影ももう用は無いと、部屋を出た。何だかうまく使われ たみたいで気に食わないが、イルカの為になるならいいかと思えた。
ペンを握り締める。イルカはまた笑ってくれるだろうか。これでまた諦めないでくれるだろうか、自分 を。その目に俺を写してくれるだろうか。
俺は間に合ったんだろうか。
早く目を覚まして欲しいと思って見つめていると、微かにイルカの目蓋が動いた。ハッとして食い入るよ うにイルカを見つめると、イルカの目が段々開いてきた。
その瞳に、カカシが写る。
カカシは身動き一つとれず、声も出なかった。瞬きも忘れ、イルカに食い入る。
イルカはしばらくカカシをぼうっと見た後、視線をふいと外した。その事に胸が突き刺さるように 痛んだ。しかし。

イルカの手が、カカシの指に触れた。
驚き目線を指にやると、それはペンを握った手だった。そんなこと、頭から消えていた。ペンを渡したか ったくせに、イルカが目を開けると頭が真っ白になったからだ。そして自覚した。ただ単に、会いたかっ ただけだったのだと。
「カカシ先生」
そして届いた言葉。昨日も聞いたはずなのに、ひどく懐かしく感じた。胸が震える。
ゆっくり目をイルカの顔に戻す。

イルカは笑っていた。いつもの笑顔で。
「ありがとうございます、カカシ先生」

何かを言うつもりでいたのに、何も言葉が出てこなかった。こころが、溢れて。
どうにも出来ぬ衝動のまま、カカシはイルカを抱き締めた。







(02/08/17)