想い秘かに
運命だ。
そうはたけカカシは思った。
「初めまして、うみのイルカです」
そう言いながらさっと握手の為に右手を出す。しばし運命に想いを馳せていたカカシは、はっとして
両手でうみのイルカの手を握った。イルカの目が大きく見開かれるのを、可愛いなぁ、と思って見ていた。
「あのっ、俺は、はたけカカシです、よろしくお願いします!」
「えっ あっ……あの……」
どもっているイルカに、何か変なこと言ったかなぁ、と不安になった。明らかにうろたえている。でも何
かが分からない。ヒントは無いものかと目を彷徨わせたが、有るはずが無かった。
イルカは訳が分からなかった。
よろしくと言われても、何をよろしくするのだろう。大体それは俺のセリフじゃないか。それにしても、
上忍の中でも名高いこのカカシという人は、少しも威張った感じが無いいい人なのかと思っていたのに、
さっきから落ち着きを感じない。きょろきょろして。
いやその前に、いつまで握手しているんだろう。
そう思って握手している手をじっと見ていると、その事に気付いたのかカカシが手を離し、イルカはほっ
と息をつく。
「それじゃ、また。イルカ先生」
そう言ってにっこり笑うカカシに、イルカもあわてて「は、はい!」とつい大きな声で返事をする。その
まま去って行くカカシの背中を見送った。
ナルト達の担当をすることになったこのはたけカカシとこうして出会うことになったのは、正に偶然だっ
た。
たまたまアカデミーを出ようとした所を、呼び止められて「イルカ先生はどちらに?」と聞かれた。振り
返って私ですが、と答えると、相手は驚いた顔をした。いや、片目しか見えないが。
そんな出会いだった。
そういえば、何故自分を探していたのか聞くのを忘れた。気になる。恐らくナルトの事で聞きたいことが
有ったのでは、と思った。しかし気付くのが遅く、もうカカシの姿など見えはしない。それに挨拶だけし
て行ったということは、今日は顔見せだけしようとしたのかもしれない。案外礼儀正しいんだなぁ、と感
心した。上忍なのに。
カカシはイルカを実はずっと前から知っていた。
ちらほら受付所で見かけて、真面目そうな人だなぁ、というのが始めの印象だった。
名前はすぐに知れた。うみのイルカ。
しかしそれ以上の関心は無かった。
それが変わったのが、久しぶりに面倒臭い報告書を自分が出さなくては行けなくなった時だった。いつも
はチームのだれかがやってくれていて、付いて来ることもあまりしなかった。元来面倒臭がりな性質で、
その辺はアスマと馬が合った。
あ〜あ、と思って受付に提出した時、担当していたのがイルカだった。
「お疲れさまです!」
そう言って笑った顔は、今でも鮮やかに覚えている。
それが恋に落ちた瞬間だったからだ。
それからまたあの笑顔が見たくて、報告書の提出をしたかったが、面倒臭がりの自分がいきなりすると言
い出したら怪しまれると思い、言い出せず、だれか俺にふってくれないかなぁ、とそわそわしては期待を
裏切られた。それで仕方がなく付いて行き、遠巻きに見ていた。
尚且つ何の進展も無いまますぐに長期任務を言い渡され、泣く泣く木の葉を後にした。
そしてその任務が半年かかってやっと終わり、喜び勇んで受付所に行くと、イルカの姿が無かった。あま
りのショックに打ちひしがれる間も無く、ナルト達下忍の担当教官を言い渡された。おざなりにはいはい
と返事していた時、火影からイルカの名が出た。
聞き違いかと思って火影にもう一度繰り返す催促をすると、いぶかしみながらももう一度言ってくれた。
アカデミーでの教師は、うみのイルカという中忍じゃ、と。特殊な奴等だから、聞きたいことが有れば聞
けばよい、と。何て素晴らしい提案!
思わずそのしわくちゃな頬にキスしたくなるほど、カカシは浮かれた。
そしてアカデミーを出て行こうとする人影に声をかけたら、振り向けば探し人だった。
これぞ運命。
そう確信したカカシだった。
■ ■ ■ ■
「あらぁ、イルカ先生、どうしたのこんな所に。勤務変え?」
受付所に入り、イルカが受付に座るのに気付いた紅はそう話かけながらイルカの元へと近づいた。イルカ
はそれに苦笑いしながら、「違います。仕事が増えたんですよ」と答えた。
ふ〜ん大変ねぇと言いながら紅はふと気付いた事を問いかける。
「・・ねぇ、カカシはもう来た?」
何故ここでカカシの名前が出るのか分からなかったが、正直にいいえ、と答えた。すると紅はふぅん、と
言って口の端を吊り上げて笑った。普通の人がすると下品になりかねないが、紅がすると妖艶な感じだ。し
かしそこに何か含んだものを感じたが、何かは分かりかねた。
紅が上忍専用の休憩室に入ると、カカシとアスマがベンチに座って話すともなく話していた。
「あら、あんた達帰ってたの」
おう、と軽くアスマが答え、カカシは目だけ紅に向ける。
「まだ報告書出してないんでしょ?行かないの?」
「ん〜今ちょうどラッシュでしょ?ずらそうと思ってね」
そうカカシが答えると、ああそうだったと思い出し、そして思い出したかのように口を開いた。
「・・そういえば・・イルカ先生が受付係りやっていたわよ」
その言葉にカカシはピクリとわずかに反応し、アスマは「誰だそれは」と言った。
「やだぁ、アカデミーの先生じゃない。シカマル達の元先生。ねぇ、カカシ」
そういやそんな名前だっけ、とアスマは頭をボリボリ掻きながらどうでもいいように言った。カカシも気
の無いように「ん〜」とだけ答える。
そしてゆっくりとした仕草で立ち上がり、んじゃと言い置いて部屋を出て行こうとすると、アスマが「何
だ、もう行くのか?」と背中に問いかけ、「ん、ぼちぼち」と振り返らずに手を振りながら答え、出て行
った。
紅がくくっと笑い出すのをアスマは訳がわからず見ていた。
部屋を出た途端、カカシの足取りは速くなった。心もうきうきしている。
しかし、あの紅の言い方…。
もしかして、悟られているのかもしれない。女は怖いなぁ。
なるべく知られないようにしていたのに。何がって、あれこれうっとおしそうだし。アスマにまで知れた
らやっかいなことこの上ない。あいつら面白がって、波風立てそうだな。ありえる。それどころか具体的
に想像さえ出来る。
はぁ、とカカシはため息をついた。今度は真剣だから、出来るだけ慎重にしたいのに。
想い密かに、自然に。怖がらせないように。
もう一度だけため息をついて、まぁそんときはそんときと今から有る幸せなひと時に心を転じた。
ガラ、と音をたて、カカシが入って来た。
紅さんが、もしカカシ先生に用が有ったなら、間が悪いなぁ、と思った。さっきまで居たのに。
カカシが自分に気付いて、にこ、と笑って会釈した。それに慌ててイルカも頭を下げた。
不味い。見ていたのがバレたかな。変に思われてなかったらいいけど。
カカシは自分の列の方にやってきた。間に6人居る。
作業に集中していると、すぐにカカシの番になった。
子供達のこと聞いてみてもいいかな。
そう考えていた時に、カカシから話かけてきた。
「…受付に復帰されたんですね」
最初何を言っているのか分からず、思わず「え」と口から出ていた。するとカカシがしまったといった風
な顔をして、それから頭を掻いてはは、と笑った。
「イルカ先生は覚えて無いと思いますけど、先生がアカデミー勤務になる前はここで何度か報告書を提出
にきていて、その時から知っていたんです」
初めて知る事実に、イルカは驚いた。あの時は、こっちの任務も慣れていなかったし、なにより上忍の集
団はどことなく異質さを感じて、あまり見ないようにしていたのだった。しかし相手が覚えていてくれた
のに、自分が忘れているのは何となしに悪い気がした。謝るべきか思案していると、カカシがそれを察し
てか気にしないで、と言った。
そしてにっこり笑う。
いい人だなぁ、と思って、イルカも我知らず微笑んだ。
「はぁ〜…マジ可愛い…」
部屋を出てから、そうカカシは心の底から呟いた。
あの笑顔がいい。やっぱりいい。あらためて絶対手に入れるぞと心に誓った。今の所、好感度はいい方だ
ろう。これからも足しげく通って、そして…
いつかは食事に誘うのだ!
これが目下のカカシの目標だった。
そう心に決めてから、カカシは任務の報告に行くのが楽しくて仕方がなかった。回を重ねるごとにどんど
んイルカも打ち解けてきて、今では自然に話しが出来る。この間なんて、町で偶然出会った時、向こうか
ら話しかけて来てくれたのだ。
いける。
この調子なら、食事に誘っても全然オッケーだ!
しかしカカシは今日こそ誘おうと思って、言えずに過ごすのだった。
どうにも本人を前にすると異様に緊張する。食事ごときでこんなに緊張するなんて、そっちの方が異様な
光景だろう。しかしこんなことでは駄目だ。今日こそは絶対言うぞ!と決めて受付所のドアを開けた。
イルカ先生が居ない。
その事に真っ先に気付き、カカシは脱力した。しかしどうして居ないのだろう?ただ単に席を外している
だけとか、まだアカデミーが終わってないのか。それなら待っていたいが、もし今日は休みとかもう終わ
って帰った後とかだったら、間抜けなことになる。
今日こそはと思ったのになぁ…。
そう落ち込んでいると、ポンと肩を叩かれた。
振り返ると、紅だった。
「今日、イルカ先生風邪でお休みなんだってー」
何だそうだったのか。がっかりしてからはっとして内心慌てて紅に言った。
「へえ、そうなんだ。でも何でそんなこと教えるの?」
「あんたが知りたそうだったから」
にやりと唇の端を上げて意地悪く笑って言った。内心舌打ちして、こりゃ駄目だと諦めてカカシが問うた。
「…なんで分かった?」
「ふたりが握手してるとこ見てたのー」
そうだったのか、浮かれてて気付かなかった。しかしまぁ実害無さそうだし、いいかと開き直り、イルカ
先生の自宅を知ってるか訪ねた。
「…私、新しい口紅欲しいのよねぇ」
これが目当てか。上忍のくせにたかるとは。
「はいはい、じゃ今度買ってやるから。…早く教えてくんない?」
■ ■ ■ ■
「ここか」
古ぼけたアパートを見上げてカカシは呟くように言った。
二階の203号室だと聞いたので、階段を上がっていく。それにしても何て古い。踏みしめる度にギイギイい
うのに、もうやばいんじゃないかなぁ、イルカ先生が登ってる時に壊れたらどうしようと心配になった。俺
の目の前だったら、さっと助けて更に高感度アップなのになぁ、と考えてにへらと笑った。イルカが忍者
だということをすっかり忘れている。
部屋の前に立ち、今更ながら緊張する。すうっと息を吸い、吐こうとした時いきなりドアが開いた。
「…え、カカシ先生…?」
驚いた顔のイルカに、あんぐり口を開けた間抜け顔のカカシ。覆面をしていた為そんなアホ面を見せずに
助かったのだが、奇妙さは伝わっただろう。
こほんと咳払いをして、呼吸を整えると、カカシは白々しく言った。
「こんにちは、イルカ先生。実はナルト達に、イルカ先生が心配だから様子を見に行くように言われまし
て…。お体の具合はどうですか?」
「えっ、そんな、あいつらカカシ先生にそんな事を!?す、すいません…」
イルカが恐縮して言った。
「気にしないで下さい。俺も心配だったんで」
そう言うと、イルカは申し訳なさそうな顔をしながらも嬉しそうに笑った。
くうっかわいい!押し倒したい!!
荒い息を抑え、また一つ咳払いをした。
「それはそうと、どこかに行こうとされていたんですか?」
「え…、ああ、今日、近くのスーパーで、お米が三割引なんですよ」
「…え?」
「これは見逃すわけにはいきません。最近は米も不作なようで、高いんですよね!」
力んで言うイルカに、はぁ…と唖然としながら頷こうとしてはっとした。
「…って、イルカ先生顔色悪いじゃないですか!寝てないと!」
「そういうわけにはいきません。こんなチャンス、またと無いですからね!」
またも力説されて、圧倒されそうになる。
…そんなに薄給なんだろうか…中忍って…
アカデミーに加えて、受付までしているのに。というか。曲がりなりにも忍びがこんなに家庭的――とい
うか主婦――でいいのだろうか?
「わかりました。俺が買って来ます」
正直言って、スーパーに買い物なんて行ったことは無いが、これも愛しいイルカの為だ。
「そ、そんな、いいです、悪いですよ」
遠慮するイルカに、大丈夫ですと押し切った。しぶしぶ承諾するイルカに、笑顔で請け負う。
「それじゃあ…ほんとにすいませんけど、お願いします」
「はい!だから、ふとんでちゃんと寝てて下さいね」
そう言って踵を返そうとすると、「カカシ先生!」とイルカに呼び止められた。思わずカカシは期待を込
めて振り返る。イルカは潤んだ目でカカシを見返した。それにカカシの胸はドキドキする。もしかして…
と胸をときめかせながらイルカの言葉を待った。
「あの…、卵もついでにお願いします」
ときめく胸が停止した。
「…はぁ」
「88円で、一人二パックまでなんです…!」
涙目でそう告げるイルカに、もはや返事する気力もないカカシだった。
■ ■ ■ ■
はじめてのお使いだった。
自慢じゃないがスーパーなど行ったことがない。愛は偉大だ。
卵はまさに売り切れ寸前で、忍術まで使ってしまった。
しかし恐ろしい。安いとはいえ普段と50円の差が有るだけではないか。
カカシには分からなかった。
「どうもすいませんでした…」
「いえいえ、ああ起きないでいいですよ、そのまま寝てて下さい」
布団に寝込むイルカに、笑ってそう言った。
さっきは出て行こうとしていたイルカだったが、やはりしんどそうだ。何故米と卵で行動する気になれた
のかはやっぱり理解出来ないが、イルカの役に立てたことはカカシにとって喜びであった。
「今、おかゆを作りますね」
そう笑って告げると、イルカは言った。
「いえ、おかゆはあるんで…」
「あ、もう自分で作っちゃったんですか?」
遅かったか、と思ってカカシが言うと、イルカはいいえ、と緩く首を振った。
「俺の主食は、おかゆなんです」
カカシが意味を理解するのに数秒かかった。
「…あ、おかゆが好きなんですか」
「違います、その方が安くつくからです」
きっぱりとそう告げるイルカに、カカシは耐え切れず涙を浮かべた。
「か…カカシ先生!?」
イルカはカカシのその様子にびっくりして声を上げた。
「うう…っ、もう俺、耐えられません…!」
え、とイルカが言う間も無く、カカシは部屋を飛び出た。
イルカが呆然とカカシの去った後を見ていると、またもすごい勢いでカカシが舞い戻って来た。
「あ…おかえりなさい、カカシ先生」
少しホッとした顔でイルカがとんちんかんな事を言うのも構わず、カカシは手にしたスーパーの袋から牛
肉(和牛ヘレステーキ用)と鰻を取り出した。イルカの喉が鳴る。
「イルカ先生、アナタは明らかに栄養失調です。これを食べて下さい!」
二人の目と目が光った。
それから猛然と食事を平らげるイルカがいたとかいないとか。
終
(02.09.29up)