黒き焔

モドル | モクジ

  外伝【後編】  




 カカシは、石牢に閉じ込められていることに、内心では我慢ならなかった。
 目の前に見える柵。
 これさえなければ。

 …いや。
 本当は、こんな柵、抜け出せることをとうの昔に知っていた。

 皆が畏怖するこの赤い眼。
 ここには不思議な『力』が存在する。
 カカシはそれを、使えるようになりつつあった。
 強大な力が秘められているようで、なかなかに思うようにはいかない。うっかりすると、 暴発させてしまいそうになるのだ。
 誰にも気付かれぬようにしなくては。
 イルカにさえ。


 カカシがここを抜け出したい理由は、イルカ以外にはない。
 イルカが足に付けられた枷、あれがカカシには気に食わなかった。
 自分以外が、イルカを支配するなど。
 許せるはずがない。

 この柵が、イルカとの間に存在することも許せなかった。

 イルカを、この腕に抱き締めたい。
 あの暖かい身体を、何の隔たりもなく、思うが侭に。

 しかし、イルカを連れてここを抜け出すには、あまりにカカシは外の世界を知らなすぎた。
 捕まってしまっては終わりだ。
 イルカを危険な目には遭わせられない。


 そんな風に、考えていた時だった。

「……?」
 仄かに、何かの気配がした。
 誰だ、と神経を尖らせながら、カカシは気配を探った。
 ザアァ、と奥から滝が流れる音がする。その音が大きくて、微かな物音がしても分かり辛いが、 それでもカカシの鼻は異質なものを嗅ぎ取った。
 次の瞬間には、カカシは地を蹴った。
「……ッ!?」
 カカシはその鼻を頼りに飛び掛った。
 手には石を研いで作った剣。
 その剣が、同じような物質に当たったようで、ガツンと高い音が響いた。
「…わっ、ちょっとタンマ…ッ!」
 カカシが襲い掛かった相手は、茶色の髪に、顔半分が火傷の跡のような筋を伸ばしていた。
「…?」
 カカシは、自分以外に黒髪でない男を見たのは初めてだった。

「……すみません不躾に。ですが、アナタに危害を加えるつもりも無いんで、どうかお納め下さい」

 すると、その男の後方から腕が伸びて、カカシが剣を持つ腕を掴んだ。
 その男も同じく茶色い髪で、その頭に布を巻いていた。飄々とした態で、細長い枝を口に銜えていた。
 二人とも、滝の向こうからここに忍び込んだようで、ずぶ濡れだった。
「……誰だ…お前らは…」
 相手に敵意が無いと知ると、カカシも殺気を消して、刀を持つ手を下ろした。

「私達は、木の葉の国の者です。アナタを迎えに参りました」

「…木の葉の国…?」
 カカシがまだここへ閉じ込められる前に聞いたことがある国の名だった。確か、 この音の国と並ぶ大国であり、また敵対国だったはずだ。
「そうです。アナタは、我が国の血を引く方なのです。アナタの母上と、わが国の者が……過去に、 アナタを成したのです」
「……!?」
「…おいー減摩。もうちょっと違う言い方って無いのか? そんな、母親が不倫してたなんてよぉ」
 するとそこで、火傷の跡の男が口を挟んだ。こそこそと、口元に手を当てて減摩と呼んだ男の耳元に囁いているが、 ハッキリ言って筒抜けだった。
「…の馬鹿…どうして火影様もお前なんかを選んだのかねぇ」
 呆れた声で減摩という男がぼやくと、火傷の跡の男のカンに触ったようだった。
「なっ何だとっ!? お前そりゃどーいう…」
「……あのさ、早く説明続けてくれない? オレは自分の親が誰だって構わないんだし」
 いつになったら前向いて話がいくのかと、カカシがそこに割り入った。
 本当に、自分の母親があの女じゃなくても、自分の父親があの男じゃなくても、 そういったことはカカシにはどうでもよかった。
 しかし、そうか。
 自分の髪や瞳が恐ろしいと震えていたあの母親は、背徳の恐怖にも苛まれていたということか、 とカカシは妙に納得した。それだけだ。
 冷静に物事を受け止めているカカシに、二人は目を瞠ったようだった。
「…お前…そんな悲しいこと言うなよ…」
 そして、火傷の跡の方が、みるみる眉を八の字に曲げて、言っている自分こそが 悲しんでいるようだった。
「…まぁ、それなら話は早い。申し遅れました、オレは減摩といいます。それで、 アナタが木の葉の国の子だという証拠は、その赤い眼です。その眼は『写輪眼』と呼ばれるもので、 特別な力を宿した眼なんです。普段は現れない眼なのですが、 アナタは半分血が血族以外と混じっているから、常時赤いのかもしれません」
「ふぅん…写輪眼、か。お前達は?」
「オレ達は違います。その血族はとても少人数で、今ではアナタ以外には、僅か二人」
「…オレの父親というのは?」
「それは……」
 語尾を濁した男に、悲しそうな顔を更に悲痛なものに変えた男。
 別段、会ったことも無い父親という存在を恋しがるでもなく、ただ単に聞いてみただけだ。
「ふぅん。いいよ別に。それで、オレを迎えにきたってことは、 木の葉の国に連れていくってことだよね」
「はい。アナタの父親は、まさか相手が音の国の里長の娘だとは知らなかったようで、 しかも子供が出来ていたということも知りませんでした。 けれどもアナタの噂が風に流れて我が国に辿り着き、赤い眼ということで、もしや、 と調べてまいりました。それでやっと、最近になって真実が明るみになったのです。
 我が国としては、こうして石牢などに閉じ込められているより、是非、お迎えしたいと、 我等を使いに出したのです。…一緒に来て頂けますか?」
「………」
 カカシは考えた。
 この男達の話は、何処まで信じてよいものなのかを。
 こんな上手い話があるのだろうか。
 しかし…。

 考え込んだカカシを見て、減摩と呼ばれた男は口元を笑ませた。
「…ともかく、ゆっくり考えてみてください。オレ達は別に今すぐ、というわけではありませんので。 また、ここに参ります。…では。行くぞ羅依銅」
「おう」
 くるりと背を向けた減摩に習い、羅依銅もそれに続こうとして、カカシを振り返って駆け寄った。
「…?」
 羅依銅は、カカシの肩に腕を回し、そっと耳に口寄せた。
「あのさ、オレ、何でも相談に乗るからさ。お前も若いんだから、あんまり抱え込むなよ」
 そう筒抜けの声で囁く羅依銅は、未来の自分を知る由も無かった。
 そして二人は、滝川を泳いでいった。

「……木の葉の国、か」

 思っても見ない、好機の到来となるか。
 それとも、我が身を滅ぼす結果となるか。

 そんな風に考えていると、入り口の方から、ふわりと柔らかい風が入り込んできた。 その風はカカシの身を包み、やんわりと離れていく。
 甘い香りを乗せて。

「…イルカ」

 この風は、イルカが起こしたものだと知っていた。
 奥の滝を見つめていたカカシは、柵の方まで走り寄った。

「…カカシさん!」

 するとそこには、満面の笑みを浮かべた、イルカが居た。

 ――…ああ…。

 カカシは自分に向けられたその笑顔を、感嘆に似た気持ちで受け止めた。
 イルカは、腕にたくさんの果物を抱えていた。
「何かね、今日、たくさん実が成っていたんですよ。ホラ、どれも美味しそうでしょう?  まだ早い時期なのに、凄いですよね」
 嬉しそうにイルカが言いながら、その果物をカカシの元に差し入れる隙間から渡していった。
「……き…きっと、神様が、カカシさんの誕生の日を、お祝いして下さってるんですよ。だから、 これは神様からの贈り物です」
「………」
 俯いたまま顔を上げないイルカの、その手は真っ赤だった。よく見れば耳も赤い。
 カカシはイルカが何を言いたいのか合点がいった。
 先日、自分が貰ったものが生誕の日と名前だけだと言ったからだ。
 別にあれは意味のある言葉じゃなく、イルカが気にしているようだったから、 アンタが居ればそれだけでいいって言いたかっただけだった。そこだけが言いたかったんだけど。
「…イルカ、こっち向いて」
「……」
 イルカは、そろりと赤い顔を上げた。
「こっちにもっと寄ってよ」
 呼び寄せると、イルカはおずおずと、しかし素直に近づいてくる。
 それでも隔てるものが邪魔をする。
 カカシは枷の間に腕を通し、イルカの頭を引き寄せれば、枷の間にイルカの鼻だけが通る。 カカシが付けた、所有の印が。
 カカシはそのイルカの鼻に、自分の鼻を摺り寄せた。
「…っ」
 途端に真っ赤になって身を引こうとするイルカを、許さずに今度は両腕で抱きしめた。
「…ありがと」
「……え…」
「とっても嬉しい」
 そう言って笑めば、イルカも数拍の後、赤い顔が満面の笑みに変わった。

 イルカは知っているだろうか。
 初めての出会いから、今に至るまでに、いつも向けられるその笑顔こそに、 自分がどれだけ救われてきたかということを。
 自分がどれほど、イルカを欲しているかということを。
 それ以外はいらない。

 イルカは自分のものだ。
 その所有の印が、その顔に大きく刻まれている。
 けれどももっと。
 もっとイルカが欲しい。
 この腕に抱いて、何もかもを食らい尽くしたい。


 ――決めた。ここを出る。
 その時は、イルカも一緒に連れて行く。例えそれが、地の果てだろうと。
 何処でだって、きっと守りきってみせる。
 勿論、イルカに拒否権は無い。

「…うん、楽しみ」
「……え? 何がですか?」
 その日を思い描いて、満足気に頷いたカカシを、イルカはきょとんとした顔で尋ねた。
そのまん丸な黒い瞳に、笑みを零して、カカシは「いつか分かるよ」とだけ返した。




(05.09.16up)
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