想い秘かに

温泉旅情編2

 カカシはまるでカラスの行水のように温泉に入った後、浴衣を着てしょんぼりとしながら部屋へと戻った。毛先か らポタポタ落ちる雫がまた哀れさをかもし出して、何とも言えない気持ちだった。
 ガラリと開けて、部屋に入るとイルカはるんるんとしながら、お帰りなさい、と言って笑った。それだけで、カカ シの気分は浮上した。安い男だ。
 しかもよく見ると、見なくともだがイルカも浴衣を着ている。髪を括っているため、項も大放出だ。鼻血が出るか と思うほど色っぽい。ほわ〜となって頬を染めるカカシに、イルカはまだ濡れてますよと肩にかかったタオルでカカシ の髪を軽く拭ってくれた。
 ありがとう温泉!
 ありがとうありがとう!
 カカシは今、この世の幸せを噛み締めていた。
「じゃ、ご飯にしましょう! もうね、用意してくれているんですよ!」
 うきうきとしてイルカが言い、その背後を見ると確かにお膳の上に豪華な食事が用意されていた。
 二人は向かい合わせに座り、先ずは互いの酒を注いだ。乾杯をして、くいっと飲むと、イルカはプハッと言ってお 猪口を置き、頬をすぐに染めていた。顔を赤くしてにこにこ笑うイルカは、凶悪に可愛かった。ここで念願の、酒を 酌み交わすということも達成され、カカシは更に幸せな気持ちになった。
 しかし。
 カカシはこれまでの経験上、幸せに浸りきれないものもあった。
 何か有る。きっと思わぬ落とし穴が。
 そう思う己にちょっと哀れみつつも、気構えてしまうカカシだった。
「カカシ先生、見て下さい! この立派な伊勢海老! うわ〜っ、まだ動いてますよ! それにこの刺身の盛り合わ せもおいしいです!」
 ご機嫌な調子で、イルカが料理を頬張る。あれもおいしい、これもおいしいと本当に嬉しそうにおいしそうに食べ るイルカを見て、カカシはとても嬉しくなった。にこにことして、思わずイルカの食べっぷりを見てしまう。
「カカシ先生は食べないんですか?」
 そんなカカシに気付き、イルカは箸を止めて尋ねた。
「いいえ、食べますよ」
 そう答えて、箸を伊勢海老に伸ばした。
「…あっ」
「え?」
 するとイルカが悲痛な声をあげ、どうしたんだろうと見ると、イルカの視線は一心にとあるものに注がれていた。
 カカシの箸の先。伊勢海老だ。
「……」
 カカシは箸の方向を変え、今度は刺身の盛り合わせに向った。
「…ああっ」
「……」
 カカシは、自分のおすましを取り敢えず飲んだのだった。



■  ■  ■  ■



 食事の後、また温泉に入りに行くとイルカが言い出した。
 今度こそは見逃すまいと、気合を込めてカカシはそれに従った。
 気合満々で先ずカカシが湯の戸を開けた。
「…わー、流石にこの時間だと混んでますねー」
 背後から覗くように見て、イルカが言った。その通りに、風呂場はむさ苦しい男共でごったかえしていた。それを 見て、カカシはスッと熱が冷める思いがした。
「イルカ先生、今は止めておきましょう」
「え?」
 カカシはイルカの腕を引き、来た道をまた戻った。
「ど、どうしたんですかカカシ先生」
 戻る途中に、イルカがカカシに問いかけた。
「あの温泉は、危険です」
「何が?」
 まさかイルカの裸体を他の男に見られるのが嫌だとは言えず、カカシは必死に言い訳を考えていった。
「…イルカ先生、今、とある菌が発生しているのをご存知ですか?」
「へ? 菌? どんな名前ですか?」
「ドフトエフス菌です」
「どふとえふすきん?」
「そうです。それはまだ公に発表されてないのですが、何でも男の多く集まる所に大量発生するそうです。だから、 今後大浴場には行ってはいけません」
 カカシは至極真面目な顔つきでイルカに言った。イルカは分からないながらも、はぁ、と返事をした。
「ドフトエフス菌…何だか聞いたことがあるような…。どんな菌なんですか?」
「その菌に感染した者は、『罪と罰』に思い悩むようになるんです」
「へえ。何だか怖い菌ですね。特に俺達忍びの者には…」
「そうでしょう。だから、絶対もう男共の集まる大浴場は駄目ですよ。いいですね!?」
「はい…。あー残念だなぁ、俺銭湯や温泉大好きなのに」
 しょぼんとしてイルカが言った。
 多少の後ろめたさが有ったが、納得してくれて良かったとカカシは胸を撫で下ろした。自分が見れないのは残念だ が、他の奴らに見せるくらいなら、である。
「へ…部屋に付いてる風呂なら大丈夫ですよ。そ、そこに一緒に入りませんか…?」
 カカシ一世一代の誘いであった。
「え? 嫌ですよ。せまっくるしい」
 イルカは本気で嫌な顔をした。こうしてカカシの一世一代は潰えた。





(03.07.15up)