猫の気持ち、君の気持ち

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  26.猫の気持ち  




 吾輩は猫である。
 名前はもうある。タンゴという名前だ。

 大好きな、大好きなご主人さまにつけてもらった名だ。大切だ。宝物だ。
 最初は『イルカ』って、ちょっとばかり……な名前だったけど。それが誰の名であるか知っているから、ちょっとばかり胸を痛めたけど。でも嬉しかったのは本当で。
 カカシさんに助けてもらった日から、隠れて傷を癒やしつつも、カカシさんのことが気になって、忘れられなくて、会いたくなって。
 ある程度傷が癒えた頃、私は木ノ葉の里へ忍びこんだ。
 そうしたら、カカシさんは、子供三人の面倒を見ていて、出会った頃の冷徹な雰囲気ではなかった。表情があまり覗けないのは変わらないが、のんびりとした風情で、飄々として、そしてあの中忍の男が―――イルカという名の男が、好きみたいで、ずっと彼ばかり見ていた。
 私はカカシさんにあの時のお礼だけでも言いたくて、それなのにカカシさんを遠くから見つめるだけで終わる日々を送っていた。
 カカシさんは私に気付くことはなかった。おそらく敵意も何も無いただの猫に、注意を払う必要が無かったからだろう。
 カカシさんを見ていて解かったのは、彼は自分への関心も興味も好意も何もかもに対して、無関心なことだった。
 そんなある日、私がカカシさんの姿を見つけると、丁度イルカに告白をしているところだった。
 てっきり、イルカもカカシさんを好きだと思ってたのに、どうしてか彼はカカシさんを振った。正直ビックリした。
 傷心のカカシさんに、どうしたらいいかわからなくって、どう声を掛けたらいいかわからなくって、それからもカカシさんをこっそり見守っていた。
 するとどうだ。
 あのイルカという男が、空から落ちてきた。
 私はその瞬間を見ていたが、間違いない、イルカは誰かに突き落とされたのだ。
 それを、たまたま通りかかったカカシさんがキャッチした。なのに、イルカはカカシさんに冷たかった。意味がわからなかった。あの男は、どうしてああも天の邪鬼なのだろうか。
 カカシさん。カカシさん、どうかそれ以上、その男の為に傷つかないでください。
 私がいます。
 私なら、カカシさんに絶対そんなこと言わない。
 それで、私はあの男のように飛び降りた。
 怖くは無かった。
 絶対カカシさんなら、助けてくれると信じていた。―――あの男のように。


 私はこの地を去らねばならない。
 それは私がカカシさんの邪魔になるからだ。
 あの男のことは覚えていた。あの日、私を殺そうとした中忍だ。カカシさんが私をどこまでも連れて行ってくれるようになり、あの男はカカシさんと一緒に居る私の正体に気付いた。
 だから、今日は気をつけていた。ひとりきりで家にいたからだ。
 そうすると、予想に漏れずあの男の気配がした。
 どうしようかと、そこで考える。逃げるのも隠れるのも簡単かもしれない。しかし、これからも続くのだろう。そうすると、どうなるというのだろうか。
 一度話をしてみた方がいいかもしれない。そう結論を出して、私は逃げも隠れもせず、そこでじっと男が現れるのを待った。
 そうしたら、あの男とは違う男が顔を出した。
『タンゴ』
 イルカだった。
『カカシさんがお前連れてなかったから……、ちょっと、気になって』
『………』
 イルカも、判っているのだ。あの男が私を警戒していることに。
 それもそうだ。イルカは知っているのだから。一年前の任務の時から。
『いいか、お前は動かずにじっとしてろよ』
 イルカは、私があの男を警戒していることを知っていて、こうして声を掛けたのだと理解した。そしてあの男を、自分でどうにかするつもりのようだった。
『いや、そんなことはしなくていいです』
 もしもそれで、イルカの身に何かあったら、カカシさんが悲しむ。それは駄目だった。
 そもそも、私が今は隠れて逃げられたとして、―――いつまでそれを続けることになる? 何も解決などしない。
『心配するな。オレがなんとかする』
 しかしイルカはニコリと笑うと、「大丈夫だ」と言った。とんちんかんな会話だ。私はイルカの身を案じてなどいない。イルカの身に何かあった場合の、カカシさんのことを憂慮しているだけだ。
 制止しようとしたが、それより先にイルカは出て行った。
 外に出て周囲を窺ったけれど、イルカはもうこの辺りに居ないようだった。あの男もだ。気配を感じはしたから、イルカが何処ぞへ連れて行ったのだろうか。同じ里の中忍同士、まさか殺し合うような展開にはならないだろう。けれども、傷を受けない保証は無い。やはり気になった。
 私は外へ飛び出し、二人の気配を追った。


 しばらくそうして探していると、イルカの気配を察知することができた。私は猫だ、夜目が利く。イルカは無事のようで、ホッとした。
 安堵すると、その胸に今度は暗雲が立ち込めてきた。
 このままでいたかったけれど。
『カカシさん』
 私は、そろそろ潮時なのだろうと思った。
 これ以上ここにいると、カカシさんの迷惑になるかもしれない。敵の忍獣を飼っている、なんて言い出されたりしたら、それで謀反の疑いを掛けられでもしたら。
 私は名残り惜しむようにひと声鳴いてカカシさんの名を呼ぶと、カカシさんの家を出た。


 そうして今、木ノ葉の国境付近までやってきた。
 あと少しで木ノ葉とも、そしてカカシさんともお別れだ。
「………」
 少しばかり足が止まったが、いつまでもここにいるわけにもいかない。
 私は一歩足を踏み出し、駆けだそうとした時だった。
「タンゴ!」
 ひと際大きな声で名を呼ばれ、私は振り返った。
 やはりそれは、イルカだった。
「………」
 何故こいつが。
 私は訝しみ、警戒を解かずに彼の足もとを見つめた。
「よかった、見つかって。お前、勝手に居なくなるなよ。カカシさんが心配して探し回ってたんだからな」
「カカシさんが?」
 パッと顔を上げると、イルカは私を複雑そうな顔で見下ろした。
「オレはお前が羨ましいよ」
「……?」
「オレも、お前のようになれたらいいのに」
 イルカの言うことは不思議でならなかった。
 だけどこういうこと、以前にも言われた気がする。そう―――カカシさんに。
 おかしなものだ。全く性格が違うように思う二人が、私相手に同じことを言っている。
「タンゴ戻ろう」
「ダメです。私がこれ以上居たら、カカシさんに迷惑が……」
「それなら大丈夫だ。言ったろう、オレがなんとかするって。まぁ、結局はカカシさんに最後任せたけど」
「え?」
「ともかくも、戻ろう。カカシさんも、もうすぐ来るよ」
 イルカが私に手を伸ばしてきて、その手を素直に受け入れるのを躊躇った。
「アナタはどうして、カカシさんに嘘をつくんですか?」
 イルカの手が、ピタリと止まる。
「カカシさんを苦しめるのは、もうやめて頂きたい」
「………うん、ごめん。オレが悪かったよ」
 やけにしおらしくイルカが言うと、私の頭を撫でてきた。警戒を解いたわけではない。憎たらしく思う部分もある。だが、このひとはカカシさんが愛しているひとであり、大切に想っているひとだ。私は大人しく撫でられた。抱えられても、爪を立てたりしなかった。本当は嫌だったけど。ぷるぷるしてると、イルカが背中を撫でてきた。
「オレ、お前をまた抱っこしたかったんだ。あったけぇ」
 嬉しそうにイルカが言うから、私はしょうがないか、と諦めに似た気持ちで、身体から力を抜いた。
 ああ、本当だ。暖かい。
「……!」
 そこで、私は知った気配に気付いて耳をそばだてた。
「カカシさん」
「ああ、そうだな」
 私は思わず、ぴょんとイルカの腕から抜け出した。
「タンゴ!」
 カカシさんが付けてくれた、私の名前。
 私は嬉しくて、カカシさんの広げられた腕に飛び込んだ。



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