ひとつ屋根の下

第十話「ありがとうございます」





 イルカは連れて来られた場所に、笑えなくなった。
 この辺じゃ有名な一流ホテル。
 綺麗でお洒落なホテルで、当然高いという話。
 そして、このホテルのレストランは、イルカでも知っている、 雑誌によく載るカップルの名所。主にバレンタインやクリスマス。

驚きのあまり抵抗することなく呆然としたままカカシに付いて歩いたイルカは、 促されるままエレベーターに乗って少しすると、やっと普通の感覚が戻ってきた。
「か、カカシさん…っ、ここは何か違うくないですかっ?」
 高いとかそんなの抜きにして、こんなカップルの名所に男二人で。普通はもっとフランクな店を 選ぶものじゃないだろうか。周囲の視線が気になって仕方ないのは、無理の無い話だと思う。
 もしかして何となく思っていたのだが、カカシは金持ちのボンボンとかそういうオチなのかもしれない。
 人から視線を浴びせられることに慣れて、それ以前にこのレストランにおける自分達の存在を不思議に 思わないカカシは、イルカが何を言いたいのか分からなかった。
「ここで合ってるよ」
 テレビで言っていたホテルのレストランは。
 ここでの食事が最高だったと言っていた。
 しかし何だかイルカは半泣きのような顔をした。不思議に思いながらも、カカシはエレベーター のガラス張りの向こうに見える景色を示した。
「見て。観覧車が見えるよ」
 日が暮れかける外の景色、その向こうに大きな観覧車が回っているのが見えた。カカシの最終目標地点だ。
「わあ…本当だ」
 イルカはその観覧車に、目を輝かせて今までのことを忘れたように見入った。




第十話「ありがとうございます」





「カカシさん、買って来ましたよ!」
 道路のガードレールに腰掛けるカカシに、イルカは走りながらそう声を掛けた。
 カカシはイルカに気付くと、別段応えることなく身を起こし、歩き出した。その背を追い、 隣に並ぶと少し息を切らせたイルカが、腕に抱えた袋の中から、ホカホカの肉まんを取り出し、 カカシに差し出した。
「はいっ! ここの肉まん、すっごくおいしいんですよ! 俺大好きなんです」
 陽も落ちた頃合、薄っすらと星が見え始め、空が夜を迎える準備を始めていた。 こうなると吹く風が冷たさを増し、体が冷え始める。
 カカシはしかしイルカの差し出した肉まんを一瞥するだけで、それを受け取ろうとはしなかった。 スタスタと歩く歩調は早く、何処か冷たい。
 イルカは眉を顰めて、少しだけ躊躇ったが、次に眼に力を込めて、手にした肉まんをカカシの口に 無理矢理押し付けた。
「…っぐ」
 意表を突かれたカカシは、目を丸くしてその口に押し込まれた肉まんを噛んだ。
「いつまでも拗ねてないで、食べて下さい。いいじゃないですか、これでも」
「……」
 カカシはじっとりとイルカを睨んだ。イルカはその視線に怯むことなく、自分もその肉まんを一齧りした。
「あーおいし! ホーライの肉まん最高」
 もぐもぐと嚥下すると、じっと自分を見ているカカシに、その肉まんをまた差し出した。
「ホラ、ちゃんと自分で食べて下さい」
「……」
 カカシは無言のままだが、渋々といった調子で、その肉まんを受け取った。
 イルカはにっこりと笑って、袋の中から自分の分を取り出した。
 カカシは歩く歩調を緩め、やがて立ち止まった。人の往来の激しい歩道では、 食べ歩きをしようとしても難しいものがある。ガードレールに寄りかかると、イルカもその隣に並んだ。


 ホテルでディナーのつもりだった。
 しかしとんだ落とし穴というか何と言うか。人気のホテルのレストランは、やはり人気というだけあって 予約無しで席があるはずもなかった。
 はたけカカシ、一生の不覚。もしかしたら初めての挫折とも呼べるかもしれない。
 こんな場所だから、待ってなんかいられない。何時間になるかという話だ。
 イルカはホッとした様子で、別のところに行きましょうと言った。重い足取りで他の店に行けども、 今日は休日、何処も既に満席だった。
 更に重い足取りで歩いていると、イルカが通りに立つ店に気付き、待っていてくれと言い置いて その店で肉まんを買った。
 そして今に至る。
 肉まんを美味い美味いと隣でイルカが言うが、今のカカシにはただの肉の饅頭だった。 もそもそと食べては、喉が乾くなぁと思った。
 そんなことを思っていると、イルカは道の少し先に有る所にある自販機に行き、 ペットボトルのお茶を二本買ってきた。はい、とまた笑顔で渡されて、カカシは仏頂面で受け取った。
「何かね、カカシさんのことがちょっと分かってきたみたいです」
 なのにイルカは嬉しそうに笑いながら、そんなことを言い出した。
「カカシさん、子供みたい」
 くすくすと笑って言われ、カカシはムッとした。最後の一口を放り込み、ペットボトルのキャップを捻る。 何だか腹立たしいので言い返してやりたいが、何て言えばいいか上手く思いつかない。 悔し紛れにお茶をごくごくと飲んだ。口を離して一息を付くと、自分をイルカがじっと見ていることに気付き、 つい視線を向けた。
「…俺ね、もうずっとこんな風に一日過ごすことが無くて」
「…?」
「何か、余裕が無かったというか…服を買うのも選んだりせずに、その辺で安いの見つけた時に買って、 ゲーセンなんかも本当久しぶりに遊んだし。それで、凄く楽しかったんです、今日」
「……」
「誕生日を祝ってもらうのも、久しぶりで…何かこういうの、忘れてました。だから、今日は誘ってもらえて、 こうやって祝ってもらえて嬉しかったです。ホテルでの食事は駄目だったけど、 俺はこうやって祝ってくれようとしたカカシさんの気持ちが、何より嬉しいです。ありがとうございます、 カカシさん」
「……」
 イルカは本当に嬉しそうに笑った。カカシが見たかった顔だ。
 けれどもどうしてか、その顔を見ていると、余計に、ホテルでディナーが出来なかったことが悔やまれた。 イルカがこれでいいと言っているのに。

「…あー、やっぱ男だよ」

 そんな二人に、女の声が割り入ってきた。
 明らかに自分たちに向けられた声に、カカシとイルカは視線を向けた。自分達より数歩離れただけの場所、 そこに行き交う人々の群れから外れ、女が二人立っていた。
 カカシは見覚えのあるような気がしたが、その程度のことだけで、すぐに興味を無くした。 けれどもカカシが視線を向けたことで、女達はカカシとイルカに一歩近づいた。
「畠君、偶然だね! 私らちょっとぶらついてたら、こんな所で畠君誰かと居るんだもん、驚いちゃった。 それで、もしかして彼女? とか思ってたんだけど、お友達かぁ。どうも、畠君と同じ大学のリーコでーす!」
「同じくマユミですぅ。ねぇね、丁度二人づつだしぃ、一緒しない?」
「え…」
 イルカは突然現れた女達、そしてその誘いに驚き、カカシを見た。
 カカシは明らかに面倒臭げに、女達には眼もくれずにイルカの腕を引いて歩き出そうとした。 イルカはそんなカカシと女達を交互に見やり、困った顔でカカシの名を呼んだ。
「か、カカシさん…、あの、ちょっと」
 カカシは振り向きもせずに声だけ返した。
「何?」
「あの女の人達は…っ?」
「ほっとけば」
「カカ…」
「ちょ、ちょっとちょっとお! シカトすることないじゃん! 何アレ!」
 女達の怒声が二人の背に向けられたが、それでもカカシは気にすることなくイルカの腕を引いて歩いた。




 それから歩き続け、何処かの駅の乗り場近くのベンチに腰を下ろした。
 もう真っ暗で、街灯が辺りを照らす。
 腰を下ろしてイルカは息を一つ吐き、それからカカシに言った。
「もう…、何もあんな態度取らなくったって…」
 零すような声に、カカシは顔を向けた。
「あれでいーの。下手な態度に出れば、勘違いしてつけあがる」
「そんな…」
 イルカは冷たいカカシの物言いに、何か反論し掛けたが、結局息を吐くだけで続けなかった。 そんな言い方無いとは思うのだが、ハッキリした態度を取るのは、カカシらしいといえばらしい。 勿体無い、結構綺麗な女の人なのにな、と思う。でも、自分はあんな風に女の人に誘われたことが無いから、 どう対処していいのかさっぱり分からなかったが、カカシは慣れているように思えた。 きっとモテるのだろう。それに、カカシには彼女が居るのだ。
 そう思えば面白くないというように、ムッとした気分になるのは、モテない男の僻みだろう。ああ駄目だ、 こんな心の狭いことじゃ、とイルカは首を振った。
 それにしても…。
 イルカは、ふと、思っていたことを口にした。
「…俺、カカシさんには嫌われていると思ってました」
 嘘偽りなく態度に出すカカシ。あの女の人達を見て改めて実感する。それを思えば、 最近の自分への態度は、きっと欲目無しに自分に優しく、とても嫌っているようには思えなかった。
「何で?」
 ぱちくりと瞬いて問われ、イルカは何でとは何だと聞き返したくなった。少し拗ねたような口調で言った。
「だって…、俺のこと、嫌いって言ったじゃないですか」
 カカシは言われて、最初にそんなことを言ったな、と思い出した。
「あれは、勘違いだったって分かった」
「勘違い?」
「そう。アリスが言ったんだ」
「…アリス?」
 イルカはきょとんとした眼を向けた。
「それって、人の名前ですか? 外国人さん?」
「いや日本人」
「…ふぅん」
 曖昧な返事を浮かべたイルカは、何処か不機嫌にも見えた。どうしたのだろうかと思えども、 カカシには機嫌を伺うようなことが出来る器用さは持ち合わせていなかった。
「……モデルさんなイメージの名前…」
 するとイルカは、ポツリとそんなことを洩らした。
「何が?」
 一体何のことか分からず、カカシが尋ねると、イルカはチロリと視線を向けた。
「カカシさんて、女の敵みたいな人ですよね」
「は?」
「アリスさんとか紅さんとか、一人に絞ったらどうですか」
「紅? 何で知ってんの?」
 イルカが紅の名を口にしたことに驚き、つい身を乗り出して尋ねれば、イルカは益々不機嫌に顔を曇らせ、 軽く睨んで見せた。
「二股なんて駄目です。悪事千里を走るですよ。俺は別に、告げ口とかしないけど…」
「何言ってんのか分かんないけど、紅のことは何処で知った? アスマが連れて来たのか?」
「アスマさん? 何でアスマさんが関係有るんですか? カカシさんの彼女でしょう?」
「はあ!? 冗談はやめてくれない? 何で俺があんなのと」
「あ、あんなのって何ですか! あんなに綺麗な女の人捕まえて!」
 どうしてここでイルカが怒るのか分からず、憤然とした調子のイルカにカカシが眼を丸くしていると、 通りかかった人々がひそひそと話す声が聞こえた。喧嘩か何かと興味半分でこちらをチラチラと見ていた。 カカシが少し睨むと、そそくさと過ぎ去っていく。そして今度は二人の間に気まずい空気が流れた。
「…何か勘違いしているようだけど、俺は紅ともアリスとも何とも無いから」
「え…だ、だって…」
「で、何で紅知ってるの?」
 戸惑いながらも、イルカは答えた。
「それは…、この前、ウチにカカシさんを尋ねて来られたんですよ。でもカカシさんは大学から帰って 来られていないから、会えなかったんですけど。応対に出た俺を見て、『カカシから聞いているわよ。 お弁当いつもおいしそうね』なんて言われたんですけど…その、だから彼女さんかと思って」
「はぁ〜…」
 カカシはアホらしいと溜息を吐いた。  あの女。居ないのを知っていて来たな。イルカの顔が見たいが為に。凄い野次馬根性だ。 他にすることが無いのだろうか。
「あいつは、大学の部活仲間なだけだよ」
 そう言っても、イルカはまだ不審な顔をしていた。
「じゃあ、アリスさんは…?」
「アリスは、大学の教授の友達。ついでに男なんだけど」
「え…えええっ!? …お、男の方だったんですか…」
 イルカは驚きの声を上げた後、毒気が抜かれたように、呆然と呟いた。
「その…すみません、俺変なこと言って」
 イルカは今度は小さくなり、頬を赤らめて言った。
「別に誤解が解けたんならいいけど」
 別段怒った風も無く、カカシはやれやれと息をつくと、イルカはすまなそうな顔のままで言った。
「カカシさん…女の人にモテるから、彼女ぐらい居ててもおかしくないというか、むしろ居て 当然なんですけど、二股なんて思ってしまったのは馬鹿です。いくらモテたって、 カカシさんがそんな不誠実なことはしないですよね」
「俺、彼女なんて居ないけど」
「えっ、な、何でですかっ!?」
 イルカは咳き込むように問いを口にし、また身を乗り出した。
「何でって、いらないから?」
「そんな…勿体無い…」
 カカシの返答に、イルカは気が抜けたようにドサッとベンチにもたれた。
 何が勿体無いのかさっぱり分からないが、まぁ紅が彼女だなどとんでもない誤解が解けて良かったと思った。

 少しの間そうして話すことも無く過ごし、ふと見上げた先にある大きな時計は八時を過ぎようとしていた。 もう今日はこれで帰るか、とカカシが思っていると、イルカが遠くを指して告げた。右の方向に。
「カカシさん、あれ。あの観覧車って、さっきのホテルから見たやつですよね。綺麗ですね」
 キラキラと照明を散りばめて、遠くに見える観覧車は回っていた。
「…そーだ」
 最終目標を思い出した。ディナーの後に行くつもりだった場所。テレビでそこに乗ったのが良かったと 本当に嬉しそうに言っていた。
「あそこ、行こうか。乗りに」
「え…ええ?」
 イルカは驚きの声を上げたが、カカシが立ち上がって笑みを向ければ、やがてイルカも笑みながら 立ち上がった。
「そうですね。…俺、実は観覧車って、乗ってみたかったんです」
 イルカは少し遠い目をして言った。何かを思い巡らせながら、何処か寂しそうに。
 そんなイルカに、カカシは胸にまたつっかえるものがあった。そこで止まっているが、 今にも声に出てしまいそうなもの。それが何かは、自分にさえ明確に分からない。
 ただ、あの。初めてイルカを見た時に、その後の再会に感じたものとよく似ている。けれどもそれは、 自分の中で姿を変えた。似ていて、今は違うもの。
 この指先から零れてしまいそうな気さえするのに、らしくなく戸惑って胸の奥に閉じ込めている。

「じゃあ、行こうか」
 言えばイルカは頷き、二人は観覧車に向って歩き出した。




(04.10.21up)