第十二話「子供のままでしょう」
うろうろと玄関口で歩き回る青葉は、やがて人の気配を戸外に感じて、その戸を凝視した。
やがてそこがガラッと音を立てて開かれると、待ち人の顔があった。
「…イルカ!」
青葉は感極まって声を上げ、顔中に喜びと安堵を表した。
「…イルカ…? な、何かあったのか?」
「えっいいえっ、何も無いですっ!」
ぶんぶんと首を振って、イルカは笑った。
「そうか…ならいいが。…ところで畠カカシは一緒じゃないのか?」
青葉が息をつき、そう尋ねると、イルカは途端に今気付いたかのような顔をした。
「あ、そ、そういえば…」
オロオロとするイルカの背後に、ヌッと黒い影が差した。
「…俺も居るけど」
「ひゃあ!」
いきなり背後から声がして、イルカは飛び跳ねんばかりに驚いた。振り向くとそれはカカシで、
イルカはその顔を確認すると、慌てて靴を脱いで上がり、バタバタと走って逃げ込むように部屋に入った。
「あ、イルカ!」
青葉はカカシに問い詰めるよりも先に、そんな態度を見せたイルカを追いかけた。
「……」
カカシはふうと息を吐くと、珍しくもイルカが脱ぎ捨てにした靴を適当に揃え、自分も靴を脱いだ。
「…お、今帰ったのか」
するとそこへ、階段から降りてきたアスマが声を掛けた。
「えらい騒がしかったが、青葉が五月蝿かったんじゃねーのか? 何処行ってたのかとかよ」
にやにやと、興味本位で尋ねてくるアスマに、カカシは無表情で返した。
「別に…」
「ふぅん? ところで何でお前、その右頬腫れてんだ?」
アスマは、カカシの右頬が赤く腫れているのに気付き、問うた。
カカシはそう尋ねられ、頬を手で擦った。ぶすっとした顔で。
「…引っ叩かれた」
「お前が? もしかしてイルカにか? また何やらかしたんだお前」
「……」
しかしそれには、カカシは答えなかった。
アスマを置いて、部屋に上がる為に階段に足を掛けようとして、一瞬イルカの部屋に目を向けた。
しかしそれは一瞬だけで、カカシはすぐに視線を逸らし、階段を上った。
イルカは部屋に入るとドアを閉め、電気もつけずにドアに背を凭れさせて暫くその体勢でいた。
ドキドキと心音が忙しない。唇をそっと指でなぞった。
カカシにキスされた。
そう思うと心臓の忙しさは増していった。顔がカーッと火照るのが分かった。
最初はよく分からなかった。振り向いた先にカカシが居て、けれどもそのカカシは、
今まで一緒に居たカカシと別人のように、少し怖いと思うぐらいに真っ直ぐな瞳で見つめ返してきた。
どうしたのだろう、と戸惑っていると、右手をそっと包まれ、カカシの瞳がどんどん近づいてきた。
アップに耐えられなくなって、とっさに瞳を閉じれば、次には唇に柔らかい感触が重なった。
優しく重なったそれは、少しして離れて、瞬く間にまた重なった。頬に手が添えられ、
離れていく時に吐息を感じて、唇が濡れていることを知り、カカシとキスしていることを理解した。
驚いた。
どうしてカカシと。
どうしてカカシが。
半ばパニック状態になりながらも、イルカは身を捩ろうとすると、ゴンドラがぐらりと揺れて
動くことも怖くなった。
観覧車はゆっくりと降りていく。
地上の星を見下ろしながら、観覧車は変わらずゆっくりと回っていた。
ゆっくり、ゆっくりと二人を乗せて空へと運び、やがて落ちていく。
落ちていく、その果ては―――
「や…」
嫌だ、と言おうとした唇をまた塞がれて、イルカは段々頭がぼうっとしてきた。
何だかもうどうでもよくなってきた頃、ガシャンと音がした。
観覧車の戸が開いた音で、唖然としたような従業員の顔が覗いた。
途端に正気づき、イルカはカカシを殴りつけ、慌てて観覧車を降りた。イルカは身の置き所の無い気分で、
前も横も見ることが出来ずに地面に視線を向けたまま、足早にその場を去った。
足をつく地表が揺れる。ぐらぐらと頭の中も揺れた。
ズボンのポケットには携帯、手にはプレゼントの服が入った袋。
イルカはドアにもたれたまま、くそ、と呟いて唇を服の裾で擦った。しかし拭ってもカカシの
唇の感触が残っていた。
…キス。男相手でも、あれは紛れも無くキスなんだ。
俺のファーストキスが。
「…イルカ?」
ドアの前に立ち、青葉がそう呼びかけながら、ドアをノックすると、
「…くっそおおおおおっっ!! 畠カカシの大馬鹿ヤロー!!!」
突然イルカの雄叫びが木の葉荘中に響き渡った。
青葉は至近距離でそれを聞き、鼓膜が破れそうになった。しかもドアをぶち破るような勢いで、
イルカが丁度青葉の顔の辺りになる部分を『ドゴッ』と音を立てて殴りつけ、
流石の青葉も凍り付いてその場に暫く佇んでいた。
第十二話「子供のままでしょう」
――――……ここから出ちゃだめよ。いい?
どうしてだめなの?
おそとは、とても危ないのよ。いい子だから、ここで大人しく待っていてね。
アリス。いっちゃうの?
ええ。でもきっと、帰ってくるから。
うん、まってるね。
でもおそとは、とてもひろくてしらないものがいっぱいあったよ。
どこにいったの?
にてないから、いらないの…?
まっているのに……―――
ぼんやりと瞳に映し出す天井は、何かが違った。
「……」
カカシは薄っすらとしていた意識のまま、視線を彷徨わせた。無意識に、何かを探すように。けれども、
目覚めるきっかけになった声が耳に届いて意識がはっきりとした。
「朝ですよー!」
カカシは上半身を起こして、頭をぼりぼりと掻いた。
そうだ、ここは木の葉荘だ。
何の為にか、そう再確認をした。
「……」
カカシは開けた弁当箱の中身に、目に見えて落胆の相を示した。
「あら、今日もおにぎりじゃないのね」
学生食堂でいつものように向かい合って座る紅は、ずるずるとうどんを啜りながら、そんなことを言った。
カカシはぶすっとして、箸を手にした。
イルカは出かけた日曜以来、目を合わそうともしない。明らかに避けられている様子に、
周りの者は二人に何があったのかと詮索するような目で見た。
喜んだのは青葉だけだが、青葉も何があったのか気になって仕方ない様子だった。
「ねえ、どうしたの? イルカ君忙しいの?」
「…五月蝿いな。大体お前、わざわざ顔見に行っただろ。この暇人。お陰でお前が恋人だって盛大な
誤解されてたぞ」
「あっはは! だって興味有ったんだもん。アンタを手懐けるなんて大したもんだと思ってね」
「何それ」
手懐けるって何だ、と流石にカカシも馬鹿にされた言い方だと分かった。それにそもそも別に、
自分はイルカに懐いて(?)なんかいない。
面白くないと表情に出したカカシに、紅は気付いているのに話を続けた。
「いい子じゃないの、イルカ君。アンタ泣かせたり虐めたりしたら承知しないわよ」
「馬鹿馬鹿しい。子供じゃあるまいし」
カカシは冷めたように言い、箸を手にお弁当を食べだした。
無心に食べるカカシに、独り言のように紅は言った。少し悲しげに。
「…子供のままでしょう、アンタは」
「…何? 何か言った?」
カカシが弁当から顔を上げ、尋ねると、紅は「別にぃ」ととぼけた。
「そうだ、アンタ今日部に出るの?」
「ううん。今日はバイト行くから出ない」
「あっそ」
イルカは、学校から帰る途中にあるスーパーで買い物を済ませてから、木の葉荘に帰った。
日曜に買出しが出来なかったので、昨日買い物をしたかったのだがイルカが通うスーパーは月曜は
定休日だった。
大きな袋を三つほど提げて木の葉荘に帰り着くと、その前に大きな車が停めてあった。
車のことは詳しくないが、きっと高級車だ、ということは分かる。更に視線を玄関に向けると、
その玄関の戸の前に、一人の男が佇んでいた。
「…あのう?」
誰だろう、と思いながらも声を掛けると、その男はイルカを振り返った。
歳は四十代ぐらいの、グレイッシュなスーツを着こなす紳士風の男。身なりといい雰囲気といい、
上流階級の人間であることは容易く知れた。
そんな男がここになど、何の用件だろうと思っていれば、男はイルカに品のいい笑顔を向けた。
「…こんにちは。お尋ねしますが、ここは『木の葉荘』で合ってますか?」
「は、はい」
「良かった。それで、アナタはここに住んでいる方ですか? 誰も居ないようで、困っていたのですが…、
管理人さんは?」
「あの…俺、です…」
イルカはもじ、としながらも答えた。学生服を着てこんなことを言っても、誰だって信じないに違いない。
けれども他に答えようもなかった。
男は一瞬目を瞠ったが、やがてまた笑顔になった。
「そうですか。…それは良かった。アナタに、お伺いしたいことがあったのです。アポイントも取らずに
来てしまい、失礼しました。もし今お時間がよろしければ、少しいいでしょうか」
「え…、あ、あの…」
何て順応性の高い人だと思いつつもイルカが動揺していると、男は少し照れたように笑った。
「ああすみません、名乗りもせずに。…私はこういう者です」
男は、イルカの前に名刺を差し出した。けれどもイルカの両手は、袋を抱えて手が出せなかった。
そのことに気付くと、男は頭を掻いて、益々申し訳無さそうにした。
「またもすみません、そんな荷物を持ったままなのに。さあさどうぞ、荷物を置いて下さい」
「す、すみません」
男が避けた玄関に立ち、イルカは鍵をポケットから取り出して開けた。ガラリと音を立てて戸を開け、
中に入って荷物を置くと、また戻ってきて男に声を掛けた。
「お待たせしました、どうぞ」
男は再び名刺を差し出し、イルカはそれを受け取った。
受け取った名刺を見たイルカが驚いた顔をして、その名刺を凝視した。そこにある名は。
「…畠…?」
その名刺には、畠グループ取締役社長、畠エノキとあった。
まさか、と同じ名字の人間を思い浮かべながら、男の顔を見上げれば、男は、穏やかに笑って告げた。
「はい。…畠カカシの父、です」
(04.11.19up)
マッキーの「てっぺんまでもうすぐ」の歌詞から少し拝借しました。