ひとつ屋根の下

第十五話「ごめん」





 カカシとイルカが濡れ鼠のまま、木の葉荘に戻ると、玄関の前ではゲンマが立っていた。
「…見つかったか」
 二人を見て、ホッとした様子で言うと、ゲンマは早く中へ、と玄関の戸を開いた。そして、 手にしていた携帯で、何処かへ電話を掛けた。
「…あ、ゲンマですけど、二人が帰ってきました」
 そんな風に短く、二件連絡を入れた。多分青葉とアスマだ。
 玄関口に入った二人に、ゲンマは中からタオルを持って手渡した。カカシとイルカはそれを手に取り、 頭からぬぐっていく。
「とにかく、早く風呂に入った方がいいっスよ。風邪引いちまう。しかしまぁ見事な濡れ鼠だなこりゃ」
 くくく、と楽しそうに笑ってゲンマが言った。
「…アンタ、先に入りなよ」
 カカシがイルカにそう言うと、ゲンマはおや、という顔をした。
「一緒に入ったらどうっスか? どーせ男同士だし、風呂でかいし」
「いや…」
「…一緒に、入りましょう」
 するとイルカがそう言いだしたので、カカシは虚を突かれた思いでイルカを見た。 イルカはにこりと笑い、ね、とカカシの腕を引いた。
「………」
 カカシは引かれるままに歩きながら、イルカが嫌がると思っていたのに、と思った。
「…オレは後でいいよ」
 脱衣所に入って、カカシがそう言えば、イルカはカカシを振り返ってまた笑った。
「もういいんですよ、一回見られているし…」
 言うと、イルカは学ランのボタンを外しだした。上から順に外して、脱ぎにくそうに袖から腕を引く。
「濡れてて脱ぎにくいです」
 苦笑いを零し、脱いだ学ランを脱衣籠に放ると、重い音がした。そのままイルカはズボンに手を掛け、 ふと、顔を上げてカカシに視線を合わせた。
「そんなじっと見ないで下さいよ。カカシさんも早く脱がないと、風邪引いちゃいますよ。オレ、 お粥作るの苦手ですからね」
 少し頬を赤らめ、眉を寄せ、唇を尖らせてそんなことを言うイルカに、カカシは息を吐き、 自分の着衣に手を掛け始めた。
 確かに濡れた服はべたりと肌にひっついて脱ぎにくく、少々時間が掛かったが、 漸く脱ぎ終わる頃には、イルカは既に風呂場に消えていた。
 ガラリと音を立てて中に入れば、もくもくと湯気が立つ中、イルカは頭を洗っていた。 背中を向けて。その身体は、既に洗って流してないようで泡だらけだった。
 カカシはそれを一瞥して、その少し離れた場所に腰を下ろした。そして自分も、身体を洗い出した。
 するとイルカはざあっと洗い流したようで、そのまま浴槽に入っていく音がした。
 それを背中で感じながら、カカシは身体を洗う手を進めた。

 …何だか妙に、緊張する…。

 そんな風に、思いながら。




第十五話「ごめん」





 カカシも身体を洗い終え、浴槽に浸かった。
「入浴剤?」
 風呂の湯が、乳白色だった。珍しい。
「はい。た、たまにはいいでしょう」
 ちょっと焦ったように、イルカが言った。カカシはふぅんと思うだけで、その湯に身を沈ませた。 暖かさがじんわりと身体の内部に沁みていく、その心地良さに息を吐いた。
 ふとイルカを見れば、イルカは何か言いたそうな顔でこっちを見ていた。
 カカシは身体を寄せ、イルカの頬に手を伸ばした。
「…目が腫れてる。泣いてたから」
 何だか可愛くてクスリと笑えば、イルカはかぁと頬を染めてカカシの手から離れた。
「ち、違いますっ、オレは泣いたりなんかしません!」
 むきになったように言うので、恥ずかしいのかと思った。
「それより……」
 イルカは言い出したきり、口ごもってしまった。だからカカシは自分から話し出した。
「…思い出した。母親のこと…アリスは、母さんだった」
 すると、イルカは目を瞠った。
「え……」
「今はそれだけだけど」
 イルカは、じっとカカシを見つめたが、やがて「そうですか…」と言った。
 まだ思い出したばかり、それも全てではなく、まだ自分の中で複雑に絡まっているから、 それ以上は言えないが、カカシは漠然と、イルカが居たからその事実を受け止めることが出来たのだと思った。
 イルカが、無防備に自分に腕を広げたから。
「じゃあ…、じゃあ、もう少ししてからでも、カカシさんのお父さんの話を…聞いてもらえますか?」
「……アイツはヤだけど、アンタからならいいよ」
 そう言えば、イルカは顔を明らめた。
「それじゃあ、ここはもう出て行ったりしないですかっ?」
 カカシに身を寄せ、そんなことを言うので、カカシは今になって自分がそういえば出ていくって 言ったんだったと思い出した。何だか間抜けている。すっかりそんな気は無くしていたから。
「…うん」
 頷けば、一層嬉しそうにイルカは顔を輝かせて、カカシに抱きついた。
「良かったー!」
 パシャン。そのすぐ後に水音が立ち、イルカはハッとしたような顔ですぐにカカシから離れた。 カカシはそれを、残念に思った。
「…何で? オレが居たほうがいいの?」
 そして、思ったままの疑問を口にすると、イルカはきょとんとした顔をした。
「? そんなの当たり前じゃないですか」
「……何で?」
 なにが当たり前なのかカカシにはさっぱり分からず、更に尋ねた。
 だってイルカに居て欲しいと思ってもらえるようなことをした覚えは無いのだ。友人、 というものでもなし、ただの管理人と下宿生。それは以前から感じていた疑問でもあった。  イルカは、自分のような男に、とても優しい。というか、構いすぎる。 そして深入りしようとしてくる。そんな風に真っ直ぐに躊躇わず、自分の領域に入ってこようとする 存在は今までに無かった。
 イルカは頬をぽりぽりと指で掻いて言った。
「…オレ…へ、変に思うかもしれないけど、ここに居る皆、…家族みたいだな、とか。 そんな風に感じていて…それが、とても嬉しくて」
「…家族?」
「はい。ひとつ屋根の下、まるで家族みたいにこうして皆でわいわいと楽しく過ごせて…オレ、 上手く言えないけど、出来るだけ長く、このままで居たいんです。いずれ皆、 卒業したら出て行かれるけど…それまでは…って。はは、そんなの思ってルの、オレだけだろうけど。 でも…オレには、カカシさんも木の葉荘の皆も大切なんです」
「………」
 大切な人。でもそれは家族として。アスマ達と一緒。
 こそばゆいような、ガッカリしたような気分だった。
 イルカは子供の頃に――今でも子供だが――いきなり両親を失くすことになり、 家族というものに焦がれていたのだろう。自分はそんなことは思わないが、だが。
 イルカを大切だと思う。しかしそれは家族としてではない、とも思う。
 そう言えば、イルカはガッカリするのだろうか。

 イルカは気恥ずかしそうにしながら、カカシの反応をチロチロと見た。
 カカシはそんなイルカに唐突に欲求が膨れ上がり、身体をぐいっと引き寄せた。 パシャンとまた水音が立つ。
「か、カカシさん?」
「キスしたい」
「えっ、えええっ!?」
 仰天したようなイルカの顔が、近づくと視界いっぱいに広がった。イルカは両手でカカシの顔を 押さえて拒んだ。
「ちょっ、もう、ここは外国じゃないんですってば!」
 焦りながらそう言って自分を拒むイルカに、カカシは面白くない気持ちになった。
まだ外国だ何だと言うのか。けれどもそうじゃない。イルカにキスしたいと思ったのは……――

 …何でだっけ?

 自問自答しようとしていると、いきなりガラッと勢いよく戸が開く音がした。
「イルカッ!」
 するとそれは、青葉だった。
 やたらめったら慌てた調子で、取り乱したように濡れた服を着たままイルカの顔を見るなり だだっと駆け寄ろうとして、ずるりとタイルに滑った。
「おわぁっ!?」
「あ、青葉さんっ!」
 そんな青葉にイルカが驚き、声を上げた。だが浴槽の中に肩までしっかり浸かったままだ。 運動神経が良いのか、青葉はよたよたしつつも何とか踏みとどまった。
 ふう、と青葉とイルカが息をつく。
「おいおい、落ち着けよ」
 そこでガラリと音を立て、今度はアスマが顔を出した。二人とも、身体も服も濡れていた。 アスマはカカシと目が合うと、にやりと笑った。そんなアスマから視線を外し、 カカシは再び青葉を見た。
「…何やってんの」
 そこでカカシが冷静に、というか見下したように言うものだから、青葉の自尊心を思い切り刺激した。 真っ赤になって憤怒の形相を作って怒鳴った。
「何をっ大体お前が姿をくらましたりするから皆してこんな目に遭ったんだ、 少しは申し訳無さそうにしろっ、何イルカとのんびり風呂なんて入ってんだっ、 羨ましいじゃないかっっ!!」
 一気に捲くし立てて、はぁはぁと息をつく青葉が落ち着きだした頃に、漸くカカシが口を開いた。
「…ごめん」
 素直に謝るカカシを、青葉は今度は気味悪いものを見る目で見て後ずさった。一方イルカは、 嬉しそうに笑いながら、カカシの頭を撫でた。
「えらいですカカシさん、ちゃんと謝れましたね」
 カカシはそんなイルカを、ムスッとした顔で見た。イルカに甘やかされるのは好きだが、 子供扱いされるのは何となく面白くない。
 だからカカシは、イルカを背後からぎゅっと抱きしめた。途端にイルカは、 バシャバシャと水音を立てて嫌がった。
「もうっ、何ですか急に、離して下さいっ」
「そうだ離せこのっ、カカシッ!」
「やだね。…お前、いい加減出て行けよ。ここは風呂入るとこだぞ」
「何ィッ!?」
 激昂する青葉に構わず、カカシはそっとイルカの耳元に告げた。
「アンタからも言ってよ。…見られたくないでしょ」
 何のことかを悟ったイルカは、ハッとした顔をして、そして青葉を見て言った。
「あの…、青葉さん、すぐにオレ達出るんでそれまで待っていてもらえますか…?」
「い、イルカ…」
「おい青葉、ともかく服脱ごうぜ。身体にひっついて敵わねぇ」
 アスマまでこう言うので、青葉も渋々頷いた。
「うむ、分かった」
 そしてしゅんとした様子で、大人しく青葉は出て行った。
「すみません、ありがとうございました…カカシさん」
 カカシが背後から抱きしめたのは、そういう意味だったのかと思って、 イルカは未だ背後から抱きしめるカカシに言った。
「いいよ別に。オレが見せたくなかったんだから」
「え…?」
 カカシは、イルカの背中の、肩甲骨の辺りに唇を滑らせた。
「あ…っ」
 イルカが身体をピクンと跳ねさせる。だが震えはしなかった。
「オレがこの傷見ても大丈夫? 触っても?」
「は…はい…」
 そう、とカカシは満足気に呟いた。
「…え?」
「…さ、出ようか。って青葉が脱衣所に居るだろうから、タオル巻いて。後はオレが背に庇うから」
「あ、はい」
 ざばっと浴槽から出て簡単に身体を拭き、カカシが言ったように脱衣所に出た。 もう脱ぎ終わっていた青葉とそしてアスマも居て、アスマはさっさと入ろうぜと青葉を促して 風呂場に入って行った。
 ホッとしたイルカが、バスタオルで身体を拭いていく、その背に残った傷痕を、 カカシはじっと見た。

 …この傷の上に、オレが傷をつけたい。

 イルカの背に告げた言葉を胸のうちに反芻した。




(05.08.01up)