第十六話「オレが嫌だから」
カカシは、ホストのバイトを辞めた。
だからしょっちゅう、寮に居るようになった。
寮、というよりも。
…イルカの部屋に入り浸るようになった。
そうして知った、イルカのことがある。
朝は新聞配達、戻ってきて朝食と弁当を作り、学校に行って帰ってきたら夕食の仕度。
片づけをしてから風呂の用意と学校の宿題や勉強をして、風呂に入ってそれから洗濯をすることも
あれば(毎日ではない)、掃除をしたり(軽く)、色々として、門限になれば戸を閉め、
それから眠るのだ。
カカシはそれを、何日か観察し続けて、ほとほと感心した。よくもまぁ、こんな頑張るもんだねと。
更に。イルカはバイトをしていたのだ。
それは小学六年生の家庭教師、というものだった。
今まで知らなかったのは、その家庭教師の日が毎週金曜日で、丁度カカシのバイトと同じだった
からだ。
イルカが夕食後、姿を消したので何処に行ったのだろうとうろうろしていると、
偶然バッタリ廊下で鉢合わせたアスマが教えてくれた。
「…家庭教師?」
「ああ。近所の小学生のガキだとよ」
一日ひっついていただけで、その多忙ぶりは分かったのに、
それでも家庭教師のバイトを入れていることに驚いた。
「じいさんが紹介したんだよ。週に一回だし、小学生相手だからそんな大変じゃないだろうってな」
「ふぅん…。どんなガキ?」
「さあ。詳しくは聞いたこと無かったからな」
「どこの家?」
しつこく尋ねてくるカカシに、アスマは内心驚いていた。こんなに他人に関心を示すなど、
今までのカカシからは想像もつかなかった。
これはいいことなのか、それとも…。
そんな風に思考を巡らせてみたが、面倒になってアスマは放棄した。
「確か、こっから東に300M歩いた先にある、赤い屋根の大きな家だとよ」
「…そ。あんがと」
礼まで言ったカカシにまた驚きながら、アスマはさっさと玄関に向うカカシの背中を見送った。
「すげぇな…イルカ…。猛獣使いってのか」
ムツゴ●ウも真っ青だな。
ほとほと感心してアスマが呟いた。
このところの、カカシの変わりよう。間違いなくイルカが影響している。そして、
あの雨の日からこっちは、青葉も顔負けのべったり具合だ。青葉はイルカが忙しいから
普段はそう近寄らず、新聞配達や、食事の手伝いなどをする程度だが、カカシは何の遠慮もなく
イルカの部屋に入り浸り、自分の部屋にいるより長い時間を過ごしていた。
その時、ふと、違う考えが過ぎった。
「…まさか………恋?」
呟いてから暫く突っ立っていたアスマは、やがて「まさかな」と笑った。
第十六話「オレが嫌だから」
カカシはアスマの言った通りに歩いていると、やがて大きな家を見つけた。
屋根の色はもう真っ暗で見えないが、赤といわれれば赤なのかもしれない、という感じだ。
「……」
さて、つい来てしまったはいいが、イルカはいつになったら終わって出てくるのだろうかと思った。
腕時計を見れば、夜の九時前。
カカシは顔を上げ、明かりの灯る部屋の窓を見た。
あの部屋に居るのだろうか。
そんな風に思っていると、丁度イルカが玄関のドアを開けて、出てきたのだった。
「それじゃあ、失礼します」
「いつもありがとうございます」
イルカが向き合って挨拶しているのは、子供の親かと思えば、
イルカとそう歳の変わらぬような男だった。
眼鏡をして、長い色素の薄い髪を後ろで束ねていた。
その隣りに並ぶ、これまた色素の薄い、玄関の明かりのせいか金髪にさえ見える髪をした子供が、
元気に手を振った。
「イルカ先生、ありがとう! また来てくれってばよ!」
嬉しそうに笑う子供の頭を、イルカがぐりぐりと撫でた。
「ああ。じゃあ、また来週な。それまでに、ちゃんと勉強しておけよ」
「…げーっ」
途端に嫌そうな顔をする子供に笑い、イルカは一礼すると振り返った。
その光景をじっと見ていたカカシは、イルカがこちらに向って歩いてくるのを知ると、
何と無く隠れたくなった。
だが。
そのイルカの後ろを、先程挨拶していた少年がついて歩いているのを見て、ムカッとした。
玄関の戸から門戸までの数歩。
少年は、門戸をイルカの背後から開けた。イルカが振り返り、礼を言おうとすると、
そのイルカの腕をぐいっと強く引いた。
「…えっ!?」
門戸から先は、二段程度の階段になっていた。
いきなり引っ張られ、ぐらついた身体をカカシは受け止めた。
「…か、カカシさんっ!?」
されたことにも驚いたが、それがカカシということにも驚き声を上げるイルカに構わず、
カカシは少年を睨みつけた。少年はそれを、眼鏡の奥で余裕の笑みともとれるものを浮かべた。
「び、びっくりした…、カカシさん一体どうしたんですか? どうしてここに?」
イルカがふう、と大きく息を吐いて、カカシの腕から逃れた。
「…迎えに来た」
カカシはそれだけ返した。ムスッとしたままで。
迎えに来た、と言われて、イルカは何でだろうと不思議に思った。
「…イルカさんのお知り合いの方ですか? どうも初めまして」
にこり、と眼を細めて手を差し出す少年に、カカシは無言のまま、手を握り返さなかった。
「カカシさん」
咎めるような声を、イルカが出した。
カカシは益々、不機嫌になっていった。チラリ、と視線だけ少年に向け、そのまま踵を返して
スタスタと歩き出した。
「悪いな。ちょっと、人見知りするんだ」
イルカがそう、少年に向けて言うので、カカシは振り返り、イルカの腕を強引に引いた。
「も、ちょっと、カカシさんっ!」
腕を引かれながら怒った声を出すイルカに構わず、カカシはずんずんと歩き進めた。
気に食わない、あの男。
「…アンタ、家庭教師なんか辞めなよ」
ズンズンと歩きながらそう言うと、イルカはぶんとカカシの腕を振り払った。
カカシは立ち止まり、イルカを振り返ると、イルカは眉間に軽く皺を寄せて怒った顔をしていた。
「辞めません! どーしてカカシさんにそんなこと言われなきゃいけないんですか」
「…オレが嫌だから」
「何で嫌なんですか?」
カカシはそこで詰まった。何でと問われても。
「…あの男が嫌な感じだから」
ということになるのだろうか。
すると、イルカは呆れたような顔をした。
「カブトのことですか? 嫌な感じはカカシさんの方ですよ。その人見知りするとこ、
どうにかならないですか? あんな、自分より年下の子を掴まえて」
イルカがあの男を『カブト』と呼ぶのも癇に障った。それに人見知りとは何だ。
そんなことを言われたのは初めてだ。
「それにオレは、カブトじゃなくて、その弟のナルトって子の勉強見てるんです。
ナルトが受験に合格するまでは、面倒見る約束だから、それまでは絶対に辞めません」
「……アンタの受験は?」
そう言うと、イルカは瞬き、そして顔を明らめた。
「なぁんだ! オレの受験の心配してくれてたんですか!」
とても嬉しそうにそう言い、カカシに近づいた。にこにこと笑うイルカを、
カカシは衝動的に抱きしめた。
「わっ! もー、カカシさんて甘えたですね」
よしよし、と言ってイルカはカカシの背をぽんぽんと叩いた。
甘えたってなんだ、とカカシはムッとした。
「大丈夫ですよ。週に一回だし、中学受験だし。オレ、結構頭いいんですよ」
だから大丈夫、と笑うイルカに、カカシはそれ以上言えなくなってしまった。
「…カカシさん、起きてください」
「……んー」
イルカが控えめにだが揺さぶると、カカシは眼を眩しそうに眇め、こしこしと手の甲で擦った。
未だぼーっとしているカカシに、イルカはくすりと笑った。
夕食後にイルカの部屋に行き、学校の宿題をするイルカと話をするともなくずっと畳の上を
転がっていたカカシは、イルカが風呂に行くと寝てしまったらしかった。
イルカは風呂に入った後は、明日の準備をし出すのだ。カカシはそれを邪魔する気はなかった。
イルカが多忙なのは知っている。
だからもう、部屋を出て行こうと思った。
するとイルカは、鼻歌を歌いながら、小学生用の参考書を取り出し、パラリと捲りだした。
明日は家庭教師だ。
カカシは未だに、イルカに家庭教師を辞めさせたかった。
――あの男は危険だ。
そう本能が訴えている。
一先ずカカシは、イルカを迎えに行くようになった。
どうにか辞める気になることを考えながら。
「…ジジイを使うか…」
ここのオーナーで、イルカに家庭教師を紹介した張本人。そいつなら、
辞めさせることも出来るだろう。問題は、どうやって会うかだ。
「…? じじいって、何ですか一体」
そのカカシの呟きを聞いていたイルカは、首を傾げて尋ねてきた。
「別に。何でもないよ」
カカシはしらばっくれた。
イルカも別に深く追求しようとせず、そこで話を終わらせた。そして、
それから思い出したかのように、カカシに言った。
「そういえばカカシさん、最近部活行ってないんですか?」
「いや、行ってるよ」
「そうなんですか。いや、いつも帰りが早いから」
そういえば、ここの所、ちょっと顔を出す程度で、さっさと帰っていた。
「いいなぁ弓道。オレも大学に行ったら、弓道部に入るつもりです」
「…弓道に興味あるの?」
きょとんとしてカカシが尋ねれば、イルカもきょとんとして返した。
「あれ? オレ、中学では弓道部に入ってたって言ってませんでしたっけ?」
「聞いてない」
初耳だった。
「じゃあ何の時に話たっけなー。まぁ、そうなんですよ。そんなに上手くなかったけど、
弓道はとても楽しかったです」
「今は入ってないの?」
「管理人してたら、流石に部活は…」
困ったように笑うイルカに、カカシは思いつくまま言った。
「…じゃあ、大学に来なよ。やらせてあげる」
「…え?」
「今週の土曜の昼から。ちょっとの時間だけだったらいいでしょ? ここと近いんだし」
「ええっ? でもそんな、オレなんて部外者っていうか、」
「いいよ。全然だいじょーぶ」
ね、と戸惑っているイルカに、強く言い聞かせるように言った。イルカは、
「は、はぁ」とカカシの強引な口調に負けて頷いた。
そんなに部自体は活動が盛んというわけでもなく、土曜は基本的に休みの日で、
部員もまばらに来ては好きなように練習をするので、まぁ大丈夫だろうとカカシは簡単に考えていた。
ちょっとの時間だし。
今日は木曜日だから、あと二日後か。
そのことに思いを馳せたカカシは、家庭教師辞めさせ作戦のことをすっかり忘れてしまった。
そしてその土曜日に。
今まで知り得なかった、イルカの秘密を知ることになるのだった。
(05.08.08up)