ひとつ屋根の下

>十八話「アンタ、イルカ君か?」





 土曜日。
 カカシは大学に朝から行き、イルカはその日は学校が休みで、 昼過ぎからカカシを訪ねることになっていた。
 時間は昼の一時。場所は大学の弓道場。

 イルカは青葉と二人で昼食をとった。
 アスマは昼前に用があるとかで出掛け、ゲンマは遊びに行くと言って外出、 青葉は大学に行ったが休講とかで帰ってきた。
 食事が終わり、時計を見ると十二時半を過ぎていた。
 そろそろ用意をしなければ。
 片付けは青葉が手伝ってくれ、イルカが食器を洗い、それを青葉が拭いてくれた。
 青葉とする会話は、他愛も無いものであったが、イルカはとても安らいだ気持ちになった。
 そういえば、ここ最近はあまり話す機会は無かったように思う。
 カカシと居ることが多かったからだ。
 カカシは、青葉と話していると、とても寂しそうな顔をする。それがイルカには、 親をもしくは友人を取り上げられた子供のように思えて、カカシとの時間を選んだ。
 いつかこうしている内に、カカシの心の扉が、他にも開かれるようになって欲しい。その為に、 彼の信頼を得ることが出来た自分は、絶対にカカシを拒絶しないし、 何があっても全て受け入れようと決めていた。
 いわば、心のリハビリのようなもの。
 それは…イルカにも、経験があった。この、木の葉荘での暮らしがそれだ。
 独りで居た自分を、この木の葉荘のオーナーと出会い、そしてここでの暮らしを薦めてくれた。 管理人として。
 実際にここにやってきたのは、実は去年の暮れだ。
 始めはただ、管理人の職務を遂げることだけ考えていた自分に、ここの住人であるアスマと、 今は卒業してしまった人達は優しかった。
 高校生だという事実に驚きはしたが、それで自分の身上をあれこれ詮索などすることなく、 『仲間』のように受け入れてくれた。
 屈託無く接してくれる二人に、イルカは段々暖かいものを感じ始めた。
 誰かとの暮らし。
 同じテーブルで同じものを食べ、会話したりして、ひとつ屋根の下で暮らす。
 遠くには両親と。
 その次は…親戚と。
 暗い影を落とすそれと決別すべく、高校からは一人暮らしを始めたイルカには、 こうしてまた誰かと暮らすということが、始めはそれほど意識していなかったが、 …ひとつの『家庭』のように思えてきたのだ。
 最初はむっつりとして、イルカと話をするどころか眼さえ合わせようとしなかった青葉だったが、 家族の温かさを覚え始めたイルカが、このひとともそうなりたい、と思って接していると、 やがて氷が徐々に解けていくかのように、段々と心を開いていってくれた。
 そして、青葉には両親も兄弟も居ない、天涯孤独の身の上だということを知った。
 彼は、他人と接するということが大変苦手だったのだ。
 天涯孤独ゆえの、ひとに気を許すまい、というバリアーを張っていた。
 程なくして、アスマやゲンマも両親も兄弟も居ない境遇ということを知り、 イルカはオーナーがどういうつもりでここを紹介したのか、本当の意味で分かったような気がした。
 ここは、『家族』を持たない者達が、それを築きあう場なのだ。
 それはほんの数年程度のことで、現に今年の春に卒業して居なくなってしまった人もいて寂しかったけれども、 イルカにはありがたかった。
 高校生活で身に付きつつあった、誰の手も借りずにひとりでも生きていく、という悲壮感が、 いつの間にか自分から笑顔を奪っていた。
 イルカは、木の葉荘で、皆と笑いあう、ということが自然に出来るようになっていた。
 それは長い時間など要しなかった。
 仲間意識というのだろうか。それも違う気がする。だって身の上など知らないうちに、 打ち解けることが出来たのだから。
 ただ、とても居心地のいい空気が皆と居ると発せられて、 その暖かさが身を包んでくれたのだけは真実だ。

 そして、カカシにもそうなって欲しかった。
 過去の自分のように。青葉のように。

「…これから、カカシの奴と落ち合うんだっけ?」
 皿を拭きながら、青葉が切り出した。
「ええ。一時に待ち合わせだから、もうすぐです。…でも本当に、オレが行ってもいいんでしょうか」
 苦笑いを浮かべてイルカが言った。
「…イルカ…そこまで畠カカシに付き合う必要は無いぞ」
「え…」
「どうするかはお前が決めたらいいと思うが。ひとつ言っておく。…畠カカシは子供じゃない」
「……」
「お前の気持ちは分かる。だが、畠カカシの気持ちも分からんでもない。あいつは、 お前が対等でないのは喜ばんぞ」
「それは…どういう…?」
 自分が、対等でないって、どういう意味なのだろうか。
 分かりかねて青葉をじいっと見つめると、青葉はイルカの頭にぽん、と手を置いた。
「まぁオレは、畠カカシがどうだろうとどうでもいいがな。お前さえ幸せなら」
「…青葉さん」
「だが! これだけは言っておく!」
 いきなり語気を強めた青葉に、イルカは少しビックリした。
 青葉は何処に発火装置があるのかは知れないが、普段は沈着冷静(世間評) なのにいきなり興奮状態に陥るのがイルカは不思議だった。
 発火装置は己だと気付くことは、残念だが一生無い。
 青葉は大声で叫んだ。

「畠カカシはッ! 男なんだあぁ〜〜ッ!!」

「…………」
 イルカは眼が点になった。
 話の展開についていけなかった。
 大体何故、そんな当たり前のことを叫ぶ必要があるのだろうか。
「…いいな? 分かってくれイルカ」
 しかし真顔で迫られ、イルカはこくりと頷く他は無かった。

 そんな時、玄関先で賑やかな音がした。
 誰かが帰ってきたのだろうかと、イルカは青葉から逃げるように玄関先へと向った。
 ひょこり、と顔を出すと、その玄関に居る人物に、目を開いた。

「…オーナー!?」

 そこには、アスマと共に、この寮のオーナーが居た。




>十八話「アンタ、イルカ君か?」





 カカシは食堂で弁当を食べ、校庭の木陰でのんびりとしていた。
 まだ十二時半過ぎ。
 もう七月に入ろうとしているこの季節は、ムシムシとして暑いが、こうして木陰に入るだけで 随分と違った。風がそよぐ、それが心地良い。
 今日は土曜日ということもあって、大学自体人が少ないので、騒がしいこともない。
 ひらり、と一枚の葉がカカシの目の前を舞い落ちてきて、カカシは木を見上げた。
 もう緑のが生い茂っているこの木は、春には綺麗な桜の花を咲かせていた。
 そして、丁度この木の辺りに、イルカが立っていた。

 今も鮮やかなまま胸に残る光景。
 長い髪を切り落として、泣いていたあの日のイルカ。
 他人に興味を持たないカカシが、未だ鮮明に覚えているほどの強いインパクトだった。
 どうしてだろうかと。
 解けない謎と共に、イルカが強く胸に住みついた始まり。
「……」
 そんな物思いに耽っているカカシの前に、突然ひょこ、と顔が目の前に現れた。

「どーしたんや、カカシ君。こんな所で」

 それはアリスだった。
 彼特有の、人懐こい笑みを浮かべて話しかけてきた。目線を横に向ければ、やはり予想した通り、 助教授も一緒だった。
 連日居るのは珍しかった。彼はこの大学から結構遠い所に住んでいるのだ。
「今日も来てんの?」
「ああ。昨晩飲み過ぎてな、泊めてもろたんや。カカシ君は恋人とでも待ち合わせてんのか?  好きな子を思い出してるような顔してたで」
 冷やかすように、アリスが言った。
「…なんで? ううん。管理人さんと」
 怪訝な顔をしながらも、カカシが正直に答えると、アリスは意外だと表情にのせた。
「…そ、そうなんか。てっきり…ま、まぁ、仲良くてええことやな。でも管理人の子て、高校生やろ?  なんでまた」
「一緒に弓道すんの」
 そう、カカシがはにかむように笑いながら言うので、アリスは目を瞠った。それを、 隣りに立つ助教授が腕を引いた。
「そろそろ行くぞ。邪魔して悪かったな」
「じゃ、じゃあなっ」
 カカシから少し離れた所で、アリスはひとつ息をついた。
「びっくりしたなぁ。あんな顔もできるねんな」
「してただろ」
「いつ?」
「…おにぎり食べる時」
 助教授の言葉に、友人は納得したように頷いた。
 そして、こっそりとした仕草で尋ねた。
「…お前はあの子がこうなること、分かってたんか」
「何がだ?」
「分かってるくせに。ヤな奴やな」
 睨む友人に答えず、助教授は口の端を吊り上げて笑った。

 そうして歩いている内に、一人の男が、キョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていた。 手の内にあるメモのようなものを見ながら、また辺りを見渡すのを見て、 お節介焼きの友人は話し掛けた。
「何処、探してるんや?」
「あ…」
 顔を上げた男は、大学生にしては幼いような印象があった。少し長めの髪に、 髪と一緒で真っ黒の瞳。鼻の上に真一文字の傷が印象的だった。
 そしてその外見を見て、ひょっとして…と思っていると、
「すみません…、弓道場って、何処にあるのでしょうか」
 と男が尋ねてきたので、やっぱりそうだと確信した。
「アンタ、イルカ君か?」
 名前を言うと、男は驚いたように目をまん丸に開いた。
 その顔に、やっぱりそうや、と友人は満足気に目を細めた。
「ど、どうして…」
「ああ、カカシ君からちょっと聞いてて。今日、一緒に弓道するって言ってたから」
 カカシと知り合いと分かると、イルカはホッとした顔をした。
「いやぁ、会うてみたかってん。何か想像してたより男っぽいかな」
「いいや十分可愛いじゃないか」
「…お前が言うと変態臭いからやめろ」
 目の前で繰り広げられる会話に、イルカは反応に困った顔でオロオロとしていた。
「ああ、ええとごめん。弓道場やな。ここからこういって、 あそこの建物の手前を左に曲がったらあるわ」
「分かりました。どうもありがとうございました!」
 ぺこりと頭を下げ、二人と眼が合うと、今度は晴れた顔でにっこり笑った。
 そして、振り返りつつもまた頭を下げて、教えられた通りに進んでいった。

 遠ざかる背中を見つめ、にやにやと笑いながら友人が言った。
「カカシ君の好みてああいう純朴系統なんやなぁ。なんや可愛いわ…なでなでしたい」
「…お前も十分変態臭いぞ」
 助教授は、そう言って眉を顰めた。




 遠ざかる二人の背中を眺めながら、カカシは以前にもアリスにそういったことを言われたことを 思い出した。

 『好き』

 今までに、誰にも抱いたことの無かった感情の名前。
 …なのかもしれない。
 幼い頃から、たった一人の肉親となった父親を拒絶し、また他人に関心さえなかったカカシ。
 そんなカカシには、具体的にどういったものを指すのかが分からなかった。
 だからピンとこない。
 ただ、過去に。
 母親に抱いていた感情をそうというのなら、少し違う気がした。
 似ている、と思っていたけれども、違う。
 どうと言われると、ただでさえ感情の表現が下手なカカシには答えるのが難しいのだが、 イルカは…。

 会いたいと思うし、傍に居たいと思う。
 一緒に居ると安心して、笑いかけられると嬉しくなる。
 笑った顔を見ると、抱きしめたくなったり、キスしたくなったりする。
 かと思えば、胸が締め付けられるような感覚になったり、居ないと何とも言えず――寂しい。

 ……寂しい?

 何だそれは、と思った。
 思い返せば、抱いたことのない感情ばかり。
 誰かに傍に居て欲しいだとか、寂しいだとか。
 笑顔ひとつで抱きしめたくなるのも、キスしたくなるのも、嬉しくなるのも。

 これが、『好き』という感情なのだろうか。


 見上げると、木の葉が風にそよいでいた。
 キラキラと日の光が葉の隙間から覗く。

 それを眺めながら、イルカに会えば、分かるような気がした。



(05.08.29up)