ひとつ屋根の下

二十話「昔話はこれでお仕舞い」





「ちょっと…ミズキ、これってどういうこと?」

 イルカが突然、走り去ってしまい、呆然とした一行の中、最初に声を放ったのは紅だった。
 呆気にとられた表情で、イルカの去った方を見送っていたミズキは、紅に問いかけられて、 戸惑った顔をした。
「えー、そんな…どういうことって、オレが聞きたいッスよ。なんだあれ〜?」
 色素の薄い、茶色い髪をがしがしと困ったように掻きながら答えるミズキに、 カカシはずいっと近寄った。その言い知れぬ圧迫感に、ミズキは思わず後ずさった。
「…アンタさ…あのひととどういう関係?」
「ええっと…、幼馴染っていうか…、あいつとオレ、ガキの頃近所だったんですよ。 それで昔はよく遊んだりしてたんですけど、あいつが両親亡くなって 親戚の家にやっかいになるようになってからは、あんまり付き合い無くなったんで…」
「アンタと同じ学年だったわけ? イルカ君」
 今度は紅が質問をした。すると、ミズキは何故そんな質問をされているのか分からないという 顔をしながらも、はい、と答えた。
「……」
 その返事に、思考を巡らしたカカシは、やがてイルカの後を追いかけるようにその場を駆け出した。
「あ…っ、カカシさんっ?」
 一回生達はカカシまで走り去ったことにまた驚いて声を上げたが、紅は黙してその行動を見送った。

「…さぁて、あれはもう放っておいてアンタ達練習を開始しなさい」
 紅は一回生達にそう告げると、自分もさっさと練習に戻った。
 言われて、少しの間戸惑いはしたものの、やがて一回生達は、練習に入った。




 木の葉大学のすぐ近くに建つ木の葉荘。
 その距離、僅か一キロ余り。歩いて二、三分程度だ。
 そしてその木の葉荘では、只今和やかな談笑が客間で繰り広げられていた。

 木の葉荘の下宿生であるゲンマは、友人のライドウという名の学生を連れてきていた。 ゲンマの紹介で新しくこの木の葉荘に下宿することになったので、ここのオーナーと 契約などの手続きをする為に、アスマが祖父であるオーナーを迎えに行っていたのだった。
 契約などの手続きを終えた後は、青葉も交えて暫く談笑に耽っていると、 客間のすぐ隣りが玄関なのだがそこの戸がガラリと開いたかと思えば、 客間の前の廊下をバタバタと走る音がして、最後にバタンと戸を閉める音が管理人室辺りがした。

「…イルカ…か…?」
「あの足音はイルカだ」
 青葉が断言した。
 青葉のことは置いといて、部屋の位置からいってもそうと思えるのだが、 彼らしくも無い帰宅の仕方だ。
 いつも彼は、「ただいま」と元気に挨拶をして戸を開け、あんな風にバタバタと走ることもない。
 何か様子がおかしいと思えども、それを確かめに行くのもどうかという所だ。
 しかし彼とは、ここを出ていく前にバッタリ玄関先で会い、新しい下宿生を紹介するという話を していた。それでこうして話しながら待っていたわけだが…。

 ふう、と息を吐くと、アスマがソファから立ち上がった。
「…ちょっくら、呼んでくるわ」
 そう言って、客間を出ると、また再び、玄関の戸が開いた。ちらりとそちらに視線を向ければ、 玄関の様子が窺えた。

「…カカシ?」
 アスマは少しカカシの様子に驚いた。
 だってカカシは、まだ弓道着を着たままだったのだ。
「何だお前、その格好は」
「…管理人さんは?」
 カカシはアスマの問いかけには答えずに、別の質問をした。この野郎、と思う前に、 そういえばイルカはこの男と一緒に弓道をしていたことを思い出した。
 そして先ほどのイルカの帰宅の仕方。今のカカシの様子。
 この二人の間に何かあったと思うのは、自然な洞察結果だ。
「……何があった?」
「それはこっちが聞きたいよ」
「…はぁ?」
 さっきから、ちぐはぐな、答えとも言えないものしかカカシから返ってこない。そりゃまぁ、 通常でも会話が成り立たないことが多い男ではあるが。
 だがしかし。

「…あのひと…浪人したんじゃなくて、留年したんだ…?」

 そんな言葉が飛び出てくるとは露とも思わず、アスマはつい驚きに目を見開いた。
 瞠目して自分を見るアスマに、カカシはやっぱりそうだったのかと確信したようで、そう、 と呟いた。
「い…いや…お前何でそのこと…。…イルカから聞き出したのか?」
「ううん。管理人さんの同級生ってのが、部活の後輩だったわけ」
 部活の後輩、と聞いて、なるほどそういうことか、とアスマは納得した。
 弓道部の練習に参加して、その同級生と再会してしまったのか。
 それで…とアスマは後方を振り返った。管理人室のある方角。
「そ。部屋に戻ってんの」
 アスマのその様子に、部屋に戻っていることを知ったカカシは、靴を脱いで上がり、 部屋に向おうとして…それをアスマが引きとめようと手を伸ばすと同時に、 戸が開いたままの客室から呼び止める声がした。

「……カカシ君、だったかな。その前にこっちにおいで」

 丁度開けた戸の前を通り過ぎようとしていたから、部屋の中から声を掛けられて、 カカシは客室に顔を向けた。
 すると真正面にあるソファに、オーナーが座っているのが目に入った。
 今年の春先に一度会っただけだが、カカシは覚えていた。小柄で白髪だらけの毛髪、 顎に生えている髭も白髪になっていた。皺くちゃの顔からして、結構な歳と思われるその老人は、 人懐こい笑みを湛えている印象で、今もその記憶のままの表情をしていた。

「アンタ…」
 他に、青葉とゲンマと見知らぬ男が一人。三人ともオーナーに視線を注いでいた。  その中心、オーナーは、皺だらけの顔を更にくしゃりと笑ませて、言った。

「…ワシから、少し話をしよう」




二十話「昔話はこれでお仕舞い」





 さあ、と薦められ、一先ずカカシは客室に入った。話というのを聴く為に。
 後にアスマが続き、カカシの後ろから咎めるように自分の祖父に言った。
「…いいのかよそんなこと。他人が言うようなもんじゃ…」
「いいのじゃよ」
 しかしオーナーは、あっさりと肯定した。
「本人からは言い難いこともある。それにここに居るみんなは、 これからもイルカとひとつ屋根の下暮らしていく者たちばかりじゃ。知っていても良かろう」
 だがそこで、カカシは初めてライドウに気付いたようで、ライドウを指差した。
「この男は?」
「あ、ども、ライドウっていいます。来週からここに下宿することになりました」
 へこりと頭を下げて、ライドウは自己紹介した。
 顔に大きな火傷の跡が残る男で、ひとの良さそうな顔をしていた。
 しかし聞いておきながら、すぐに興味を無くしたカカシはふいと顔を背けた。 ライドウは少なからずショックを受けた。
「…その…オレ、席外したほうがよくない?」
 ライドウがぼそっと言った。自分はまだここの住人ではないのだから、 聞いちゃいけない気がしていた。カカシの態度でやっぱりそうなんだと思った。
「いいのじゃよ。君も、もう木の葉荘の一員じゃ」
 しかしそうオーナーは言った。
 ここの一員、と言われて、ライドウは思わずジーンと感動した。
「カカシさんはああいう人なんだよ。イチイチ気にすんな」
 更にはこっそりと、慰めるわけでもないがゲンマがライドウに教えた。


「さて…どこから始めようかのう…。やはり、ワシとイルカが出会った時からか。
 しかしそれより少し前…からの方が分かりやすいかの」
「いいから早く話してよ」
 少しイラついたように、カカシが先を促すと、オーナーは笑みを洩らした。
「では、イルカのことを少し。
 彼は…彼の両親が亡くなったのは、小学六年生の冬、だったそうじゃ。それからは、 親戚の家に預けられた。…そして、高校に入学と同時にその家を出て、一人暮らしを始めたそうじゃ」
 皆がオーナーに意識を集中して聞いていた。
「両親が残した遺産は、イルカの手元にはそれほど残らなかったようでの。イルカは必死にアルバイトをしたそうじゃ」
 それらのことは、カカシは既に知っていた。両親の死から親戚の家、そして高校での一人暮らし。
たくさんアルバイトをしていたと、聞いた。

 しかし何だろうか。
 さっきから、何かうわ滑ったようなこの感覚は。
 大事なことが、抜け落ちているような、そんな気がするのは何故だろう。それがどこの部分かは はっきり分からない、漠然としたものを感じつつも、今はオーナーの話を黙って聞いていた。

「学業の方も頑張っておったようでのう、何せ有名校の私立の特待生であったから、学費はほぼ免除、 代わりに成績を落としてはいかん。イルカはそうやって、勉強に励み特待生の座を維持しつつ、 木の葉大学でも特待生を狙っておった」
「へえ…頭いいんだなぁ」
 木の葉大学は名門校。特待生とは成績上位の者だけがなれるもので、それは非常に困難なことだった。 ここに居る皆は木の葉大学生なので、それがどれぐらいのものかはよく分かった。
 声を上げたのはライドウ。つい口をついて出てしまったらしい。
 イルカのことを何も知らないので、感心したように言った。

「しかしのう…そうした無理が祟ってしまったのじゃ」
 そこでオーナーは、声のトーンを下げた。
 ここからが、話の本質だと思った皆は、固唾を呑んで続きを待った。アスマは少し俯いた。 きっとこの先の話を知っているからだろう。

「彼が高校三年の夏…、二学期が始まる頃に、風邪をひいたのじゃが、微熱を押して 学校やバイトを続けていたせいで、風邪をこじらせてしまったそうじゃ。 そこから一週間ほどは寝込んでしまったらしい。
 一週間の遅れを取り戻さねばと、イルカはまだ体調が優れないにもかかわらず、学校に行き、 バイトをし、夜遅くまで勉強をした結果…、今度はバイト先で倒れてしまったそうじゃ。 しかしそれは幸いなことじゃったろう。もしも家の中で倒れていてら、 誰も居ないのじゃから危険なことになっていたに違いない。…じゃが、 バイトをしていたことが学校側にバレることにもなったんじゃ」
 一旦オーナーは話を切り、茶をすすった。
 ふう、と息をつくとまた話を再開した。
「彼の通っていた高校では、バイトは厳禁じゃった。厳しい学校だったようでのう…。更には、 肺炎にかかってしまい、身体の衰弱具合から入院を余儀なくされたんじゃ。…おおそうそう、 この時にワシと出会ったんじゃ。ワシも丁度その頃、入院しておってのう。何、ちょっとばかり…」
「…おい、じいさん。アンタのことは今はどうでもいいだろう」
 アスマが呆れた声で窘めた。
 一様に真剣な目が自分に向いていることを見て取ったオーナーは、すまんかった、 と素直に詫びて肩を竦めた。
 そしてまた話し始めようとして、懐かしむように目を細めた。


 出会いは病院で。
 入院していたオーナーと同室で、尚且つ丁度隣りに入ったのが、イルカだったという。
 冴えない、暗い表情をしていたものの、その心根が優しいことはオーナーには分かった。そして、 彼を訪う人は居なかったのが、オーナーには気がかりだった。まだ少年なのに。 家族の状況は分からないが、数日経っても友人の姿さえ、見かけなかった。
 ちなみにその入院生活中に、ぶらりと見舞いにやってきたアスマとイルカが仲良くなっていったという。

 そんなイルカに、やっと見舞いが訪れた。
 見た感じは、彼の父親にしては若い男で、ピシッとスーツを着込んでいたから誰だろうと オーナーには気になった。丁度やってきていたアスマも同じようで、漏れ聞こえてくる会話を、 聞き耳を立てるつもりはなかったが、つい聞き入ってしまった。
 するとそれは、学校の先生だった。
 そして、バイトをしていたことが学校側にバレて、その処分が重いこと、 大事な試験を入院中で受けれなかったことに対しても、状況が厳しいというこを伝えていた。
 イルカはただ、すみません、とだけしか言葉を発しなかった。
 すみません。
 何度もそう、学校の先生に対して詫びていた。

 痛ましくて――腹立たしくて、聞いてられなかったとアスマは後に語った。


 イルカの体調はなかなかによくならず、オーナーが先に退院することになり、 たまにアスマと二人で見舞いに行った。
 彼はいつも教科書や参考書を手に勉強をしていて、早く学校に戻りたいと言っていた。
 入院生活が一ヶ月を過ぎた頃、漸く退院できるようになったイルカの、 その退院日にアスマとオーナーが二人で訪れると、学校の先生とバッタリ出会った。
 何だか嫌なものを感じながらもイルカの元に行けば、イルカは虚ろな目をしてベッドに腰掛けていた。

 何があったのかを尋ねると、イルカは淡々と、――留年になりました。…と言った。
 特待生でもなくなってしまったと。
 ちょっと困りました、と言って、困ったように笑った。
 その傍らには、参考書があった。
 彼の両手は白くなるぐらいにきつく握り締められて膝の上に置かれ、腕も震えていて …それでも笑っていた。普段笑わない彼が。


「…じゃから…ワシはここで働かんか、と言ったのじゃ。彼の、本当に笑った顔が見たくてのう。 それで手元に置いておきたかったのかもしれん。
 かなり驚いておったイルカは、暫く考えさせてくれ、と言ったが、 コレも説得してここの管理人の話を受けてくれたのじゃ」
 コレ、と言って、オーナーはアスマを顎で示した。
「そして高校を、ここの近くの学校に編入して、今に至る。…ということじゃ」

 しんみりとした空気が流れた。
 誰もが無言の中、カカシも無言で。
 拳をぎゅっと握り締めた。

「…その決断は正しかったと、今の彼と君達を見ていると思うんじゃ。木の葉荘の方針は、 間違えてはなかったとのう」

 さて、ワシの昔話はこれでお仕舞い。
 これからは、君達がまた、好きに築いていってくれるといい。

 オーナーは、にこにこと皺くちゃの顔で笑った。



(05.11.21up)