第四話「クーリングオフ」
ぞろぞろと、足並みを揃えたくは無いが向う先は同じ。
下宿やどの玄関口まできて、アスマと青葉とゲンマ、そしてカカシは靴を履いた。
「いってらっしゃい!」
イルカはにこにこと笑って、皆に手を振り送り出した。
カカシはそれに応えることは無かったが、他の皆は「おう」と応じてその戸を出た。
家の外に出ると、今日は天気が良く晴れやかな青空が広がっている。まだ空気は朝
ということもありヒヤリとしているが、これくらいの気候が一番過ごしやすい。
下宿やどから大学までは目と鼻の先にある。
やっぱり近いのは楽だねと、そこだけは素直に感謝しているカカシだった。
そんなことを考えて歩いていると、後方から自分の名を呼ぶ声がした。そしてこの声は。
「お、イルカじゃねえか」
隣を歩くアスマも気付いて振り返った。青葉とゲンマも足を止める。自分の名を呼ばれて
は、止まらないわけにもいかずカカシも足を止めイルカを振り返った。
「カカシさん! 忘れ物ですっ」
イルカはカカシに駆け寄り、手にしていた包みを渡した。
それは、お弁当だった。
「…ああ…俺、いらない。学食あるから」
「…え」
笑顔でカカシに弁当を渡そうとしたイルカは、そのままの姿勢で固まった。
「おい、カカシ…」
アスマが険を含んだ声を出した。
「弁当って、好きじゃない」
本心だった。
別にイルカが作ったからとかそんなんじゃなく、昔から弁当というものをおいしいと
思ったことは無かった。別段学食が好きなわけではないが、そっちの方がマシだった。
たまに自分に気のある女が作ってくることがあったが、カカシは同じように断っていた。
すると女はとても悲しそうな顔をすることが多かった。
しかしイルカは、笑顔を怒ったような顔に変え、弁当をぐいっとカカシに押し付けた。
「食べてから文句を言いなさいっ!」
そしてそう言い、ふんと鼻息を吐いた。
思わずその弁当を手にしてしまったカカシに、イルカはまた顔を笑ませて、それじゃあと
踵を返して駆けていった。
「……」
カカシはじっと、手の中にある弁当の包みを見た。
「イルカの弁当は美味いッスよ。見栄えは悪いけど」
そんなカカシに、ゲンマがそう言った。
そして三人は、カカシを置いて大学へと向って歩くのを再開した。
カカシは立ち止まったまま、三人の後姿を見、そしてイルカの去った方角を見た。
もうイルカの影は見当たらない。最後にカカシは、晴れ渡る空を見上げ、ふうと息を吐いた。
第四話「クーリングオフ」
大学生活は好きではない。
では高校時代が良かったのかといえば、そうでもない。
いつが良かったのかと訪ねられれば、なるほどどの時もいいと思える時など無かったな
と思う。
カカシはそんな風に、あまり感慨の無い生活を送っていた。
勉強が嫌いなわけではなく、むしろ何かを学んでいる、更には自分の興味の向くものを
学ぶということはカカシにとって一番価値あるものであった。だから大学にも進み、
こうして通っている。朝は眠さに負けそうになるが。
生活態度が不真面目だと自覚はあるし、何かと面倒臭がるが、授業中など、
講義が良ければ集中もした。そして木の葉大学は名門と称される通り、教授も良い。
特にカカシは、犯罪心理学のゼミが気に入っていた。火村助教授の講義は
一風変わっていて面白かった。
やがて昼になり、カカシは息を1つ吐くと、鞄を手に教室を出た。
もう授業は無いが、午後は弓道部に出ようと思っていた。
カカシは校舎を少し離れた場所にある、学生食堂に向った。食堂は広く、
そんなには混んでいない。そこで視線を彷徨わせ、ある人物を見つけるとそこへ
歩みを進めた。
「…あら、久しぶり」
カカシが前に立つと、目当ての人物――夕日紅は、うどんをすする手を一旦止め、
素っ気無くそう言った。黒髪にゆるくパーマをかけ、パープルのアイシャドウを塗った
化粧栄えのする綺麗な顔立ちをした、グラマラスな女性は、その外見とは少し不釣合い
なうどんを気にせず食べていた。どうやら好物らしく、よくうどんを食べている。
つるつると、勢い良く。時折り汁が飛び散ることにも気にしない。
そんな紅の前の席に、カカシは腰を下ろした。
カカシは昼食をとる時、大概紅を探し、その前に腰掛ける。
紅はカカシより一学年上で、同じ弓道部である。だからといって仲が良いわけではない。
では何故彼女の前に座るかというと、紅はいい虫除けになるのだった。
カカシが学食で食べていると、女が寄ってきたりする。わざとらしく隣に座り、
何かと話しかけてこられるのがウザかったカカシは、紅と座ることでそれを回避させていた。
女達は、紅には敵わないと、近寄ることが出来ないのだ。それは部活動でも同じで、
紅も部内で揉め事を起こされては困るので、カカシの傍に極力居るようにしていた。
カカシは鞄の中から、弁当の包みを取り出し、億劫にそれを広げた。
「手作り弁当? 珍しいわね、アンタが女から受け取るなんて」
「違う、これは下宿の管理人が作って持たされたの」
「えっ弁当まで作ってくれるの!? 凄い! …羨ましいわねぇ」
本当に羨ましそうに言う紅に、カカシはきょとんとして問うた。
「何が?」
「弁当よ。私も弁当作ってくれる人欲しい」
「自分で作ったら? 女って弁当作るの好きでしょ」
「んなわけないでしょう。アンタって本当認識がおかしいわよね」
「どーして? だっていらないって言っても作ってくる女多いし」
カカシは紅の言うことが分からないと、首を傾げた。
「…それ真剣に言ってんの?」
紅は呆れたように言った。カカシは変わらず、分からないという顔をする。
そんなカカシに慣れている紅は、最早時間の無駄とばかりに話を逸らした。
「それでどう? 下宿での生活は」
「サイアク。アスマぶっ殺してやりたいくらい」
憎憎しげに言うカカシに、紅は驚き、目を大きくさせた。
「何で? アスマは気に入ってるみたいなのに…あそこ」
「俺はやなの。あーいうの。何ていうか、騙された感じ。契約書もちゃんと見ずに
署名しちゃったからねー…今更破棄出来ないし、違約金払えないし」
あーあ、と大きく溜息を吐くカカシに、紅はあら、と首を傾げた。
「だったらクーリングオフすれば?」
「…クーリングオフ?」
初めて聞く単語に、カカシは反復してぱちくりと瞬いた。
「知らないの? 消費者が、契約したものを、一方的に解約出来ることを言うのよ。
確か期間があったはずだけど…」
少し考えるように視線を逸らして紅が言った。カカシは少し身を乗り出した。
「そんなのあるの?」
「頭良くても知らないことも多いわよね、アンタ。あるわよ。後は自分で調べなさい」
本気でもう知らない、面倒だとばかりに、紅はうどんをすすることを再開した。
こうなった紅は、尋ねるだけ機嫌を損ねるだけだと知っているカカシは、仕方ない、
後で調べようと弁当の蓋を取った。
「…管理人って、男?」
紅がその弁当の中身を見て、思わずそんなことを尋ねた。
「…ああ。何で?」
「だってそんな感じじゃない」
大きな、海苔巻きの三角おにぎりが二つと、おかずに少し焦げた玉子焼き、
大きなから揚げ、少し焦げたウインナーが入っている。雑然と。そこには、
何と無しに男の作った弁当という風合いが醸し出されていた。だって彩が無い。
形も崩れているし、押し込まれたような感じだ。
「ふーん…新しい管理人に変わったとは聞いていたけど、今度は男の人かぁ。
前はおばさんだったけど」
「え、そーなの? 新しいって、最近?」
「そうよ。確か二週間くらい前だったかな? 正確には覚えてないけど、つい最近のことよ」
「ふぅん…」
カカシは箸を手にし、ゆっくりとそれをおにぎりに伸ばした。大きなおにぎりを掴み、
一口含む。
「……!」
つまらなそうな顔でそれを口に含めたかと思えば、数度噛むとカカシは表情を変えた。
驚いた顔で嚥下する。
そんな顔でごくりと喉を通らせるから、紅もどうしたのかと思った。大抵何を食べても
顔色を変えたことが無いのに。
「…不味いの?」
思わずそう尋ねると、カカシは
「…美味い」
と、答えた。
そしてさっきまでの億劫そうな態度を変え、弁当を無心に貪るように食べだした。
そんなカカシの様子に、紅は驚かずにはいられなかった。また、そんなに美味しいのか、
と食べてみたくなった。一体どんな管理人なんだろうかと、興味も沸く。
「管理人ってどんな人なの? まさかどこぞの料亭のシェフだったとか」
この弁当の外見からはあり得ない話ではあるが、思わずそんな風に尋ねた。そういえば、
アスマに管理人が代わったと聞いた時は、別段それ以上の興味を持たなかったが。
カカシは、顔を上げ、事も無げに言った。
「どんなって…ま、高校生」
カカシは食後、図書室へ行き、クーリングオフについて調べた。
どうやら自分のケースだと、契約を交わしてから八日以内なら出来るらしい。
なるほどそんなことが出来るのかと、カカシは知った。八日。確か自分が契約を
交わしたのは六日前だった。
その後部活に出て、夕方頃にそれを終え、ふと木の葉荘と反対方向にあるコンビニで
おにぎりを買い、それから木の葉荘へ戻った。
「あ、おかえりなさーい!」
ガラリと玄関の戸を開けると、丁度そこを通りかかったイルカが元気良く挨拶した。
にこりと笑ってそう言い、ばたばたと台所の方へ消える。
カカシが靴を脱ぐと、イルカが舞い戻ってきて「弁当箱出して下さいね」と言ってまた
消えた。
一先ず自室に戻り、鞄を下ろした。ふう、と疲れた息を吐き、もうひとつ手にしていた
コンビニのビニール袋から、おにぎりを取り出した。
「……」
カカシはそのおにぎりを、包みを解いて口に含んだ。
「ごはんですよー!」
一階からのイルカの声に、二階の自室に居たゲンマやアスマ達はぞろぞろと階段を降りた。
「あー腹減った」
ゲンマはぼやき、自分の椅子へと腰掛けた。
もうテーブルの上には、晩御飯が用意され、ご飯も茶碗によそわれていた。
後は揃って食べるだけだ。
アスマと青葉も席に着き、最後に入ってきたカカシは、手に弁当の包みを持っていた。
そしてそれを、イルカに手渡した。イルカは手にした包みが軽いことに顔を明らめ、
その包みを解いて弁当箱を取り出した。蓋を外すと綺麗に食べられていて、
更にイルカは喜びを顔中に浮かべた。
「ちゃんと、食べてくれたんですね」
嬉しそうにイルカが言った。そんなイルカに、カカシはこう返した。
「美味かった」
そう、はっきりとカカシが言うと、向かい合うイルカは、目を見開いた。聞いていた
アスマ達も、一様に驚きに目を見開いた。
「でもさ、おかしいんだよね。俺、おにぎりがあんなに美味いものとは思ってなくて、
今まで食べたおにぎりって美味くなかったのにって、試しにコンビニで買って来て食べ
たんだけど、やっぱり前と同じく美味くなかった。ねえ、どうやって作ったの?」
まじまじと、真顔でカカシがそんなことをイルカに尋ねる。
「え…えと…」
いきなりのそんな質問に、イルカは戸惑い、顔を火照らせ、返答に詰まった。
そんなやりとりを呆然と見ていた三人の内、ゲンマは漸く正気づいて、ぷっと吹き出した。
そして、カカシに向かって言った。
「コンビニなんかと比べてもね。あれはね、イルカが握ったから、美味しいんですよ」
あっけらかんと告げられ、カカシはゲンマを見た後、またイルカに視線を戻した。
イルカは赤い顔のまま、あたおたしている。そんなイルカの手を、カカシが掴んで
目の前に持ち上げた。そしてこう言った。
「…アンタ…おにぎりの天才?」
カカシはあくまで真顔だった。
イルカもゲンマ達も、その場に居たカカシ以外の者は目が点になり、やがて、
「…ッぎゃーーーっはっはっはっ!!!」
と、ゲンマとアスマは爆笑した。腹が痛い、腹が捩れると、バンバンとテーブルを叩く。
青葉は顔を引き攣らせて笑うのを堪えていた。
カカシはそんな三人を見て、何故笑っているのか理解していないように、怪訝な顔をした。
そんなカカシに、言葉を失くしていたイルカも、可笑しくなって、お腹を抱えて笑い出した。
周りが笑う中、訳が分からないまでも、面白く無いと思ったカカシは、むすっとした顔で立っていた。
しかし。
そうか、イルカが作ったおにぎりだからなのか、と思った。
そして初めて、クーリングオフを、少し躊躇ったのだった。
(04.06.15up)
ヒムはまぁ…分かる人は笑って下さい(笑)