第六話「心の傷痕」
ガシガシとカカシが髪を洗っていると、今度はアスマが、風呂場に入ってきた。
「おう、カカシじゃねえか」
「……」
カカシはアスマの姿を認めると、再び顔を戻して髪を洗うことに専念した。
アスマは、カカシの髪の毛や目のことも知っていた。しかし、出生のことなどは話した
ことはない。アスマも聞いてこなかった。ただ、畠家の庇護を受けていることは…
父親が畠財閥の社長だということは、何かの拍子に知られた。それでもアスマは、
何も聞いて来なかった。だから付き合い続けることが出来たのだと思う。
別に知られたくないとか、聞かれたくないとかは思わないが、言いたくは無かった。
何となく。覚えている過去もそう無い。記憶に残っているのは、殆どが畠家に養われて
からのことだった。
アスマはカカシの隣の風呂椅子に腰掛け、鼻歌交じりに身体を洗い出した。
先に洗い終えたカカシは、風呂に浸かった。そうしていると、雑に洗い終えたアスマが
ドボンと入ってきた。ふーっと気持ち良さそうに息を吐き出す。
「…イルカ、お前のその姿に驚いていただろ」
「……」
何で知っている、という顔でカカシがアスマを見れば、アスマはにやりと笑った。
「そこでイルカに会ったからな。『カカシさんて日本語上手いんですね』って言ってたぞ。
どうやらお前を外国人と思ったみたいだな」
当たらずとも遠からず。というやつだろうか。
「『だから言動がちょっと違うんですね』とも言っていた」
続けられた言葉に、カカシは少しムッとした。アスマがにやにやと笑うのも余計に
癇に障る。終いには「おーにーぎーりーのー天才〜」なんて歌い出したから、
アスマの首を絞めた。バチャンバチャンとアスマが暴れて水飛沫が上がる。
それもうざったいのでカカシは手を離した。
しかし、アスマの口振りからすると、イルカは元に戻ったのか、と思った。どうにも、
あの背を見てしまってから何だか様子がおかしいと思っていたのだ。
「…そういえば、どうしてここって入居募集とかしないの? 部屋余ってるし、
風呂もこんなに広いのに」
「何言ってやがんだ、ここは人容れれば容れるほど赤字なんだぞ」
「へ?」
「普通に考えてみろよ。三万円で足りると思うか?」
「……思わない」
「だろ?」
でもそれじゃあ、どうして。そんな疑問を汲み取ったアスマは、謎解きをした。
「爺さんが変わり者だと前に言ったろ。まぁあれだ、“木の葉大学に通う、
親の居ない生徒”って条件を満たす奴を居れてんだ、ここは」
「…何で?」
「さぁ。でもそういうわけで、一般で募集しねーんだ」
ふぅん、とカカシはひとまず納得して見せた。そういえばアスマも居なかったな。
それでは、青葉やゲンマもそうなのか。カカシもあれこれと詮索するタイプではないので、
それでこの話は終わりになるはずだった。…が。
「じゃあさ、管理人が高校生っていうのも、人件費を安くする為?」
そんなことをぽつりと零したカカシに、アスマは今思い出したという風に言った。
「そういやお前、そのこと紅に言ったんだな。さっき電話掛かってきて、どういうこと
だって五月蝿かったぜ」
俺がやってることじゃないのによぉ、と愚痴り、カカシの質問に答えた。
「違う、イルカにもそれなりに給料出すはずだぜ。イルカを雇ったのは、ケチる為じゃ
ねーよ」
「じゃあ何で?」
アスマは、面倒臭いと息を吐いて、そうだな、と言った。
「イルカも親無しだからな。…確か小学6年ぐらいの時に、交通事故か何かで死んじまったんだとよ」
第六話「心の傷痕」
「――君は猫舌かい?」
「わりと」
こぽこぽと音を立て、カップに湯が注がれる。安物のインスタントコーヒーの匂いを
させたそれを手渡されて、カカシは受け取った。
「それは良かった。俺もなんだ。丁度いい加減だと思うよ」
そう言って、木の葉大学の助教授はカップに口をつけた。カカシもズッとすする。
今日はこの助教授の講義を受講した後、レポートについての質問をしたついでにというか、
彼の研究室で話しこんでいた。
カカシは割合、この白髪の多いが歳の若い助教授と話をするのが好きだった。
彼も一風変わっていて、気取りがなく、かといって気さくというわけでもない。だが、
裏表の無い、信用出来る男だと思っていた。少なくとも他人を裏切るような類の人間
ではない。
その助教授は、カカシの話がひと段落ついたと見ると、自分の見解を話した。
「…君の話によると、その管理人の少年は、君だけでなく下宿人皆にその背中を
見られたくなかったようだ。でもそれが何故なのか、君には分からない」
「…はい。だって見た限りじゃ、その傷痕はもう塞がっていて、触れられたからって
痛むようにも思えないし…」
「けれど、君が触れることで痛みを訴えた。つまりは、必死に隠していた傷を君に見られ、
古傷が疼いたってことさ」
助教授は、ずず、とコーヒーをすすった。カカシは訝しい目で助教授を見た。
「君が触れたのは、彼の心の傷痕だったんだよ」
「…心の…?」
助教授は頷き、いいかい、と前置きした。
「背中の傷なんて、自分でつけられるものではない。ということは、他人の手によって
成されたものだ。…傷痕は、切り傷ではなく、線状の火傷の跡みたいなものだったって?
数年前のもののようだったと」
「…はい」
「考えられるものといえば、両親からの虐待か…その後の親戚からの虐待か、
学校での虐めかもしれないな」
「……!」
カカシは驚き、目を見開いた。そんなこと、思いつきもしなかった。だって彼は、
よく笑い、周りから好かれるような人種なのだ。今の木の葉荘の奴等がそうであるように。
まだほんの数日の付き合いでしかないのだが。
「…事故でとかじゃ…」
「それだったら、隠す必要は無いだろう。恐らくその少年にとって、その傷痕は、
忌まわしい記憶でしかないものだ。誰にも見られたくない、触れられたくないような」
そんな馬鹿なという思いも有るが、この助教授の説得力のある話には、非の打ち所が
無かった。洞察力に優れ、犯罪心理学などを講義できるほどにその手のことにも
精通している。何件かの犯罪事件も解決しているほどだ。
「…とりあえず、そろそろメシにしないか? 俺の腹が満たしてくれと泣いているんだ」
じっと考え込んでしまっていたカカシに、助教授はそう言って笑いかけた。
時間も丁度昼時。カカシは頷き、持っていた鞄の中から弁当箱を取り出した。
イルカお手製の弁当。バラご飯になった日に、文句を言ってからはずっとおにぎりだ。
助教授は、電話を掛けた。
「…アリスか? ああ、今から昼飯だ。…そうだ。…分かった」
助教授は短く告げて、電話を切った。ふとカカシに向き直ると、おや、といった顔をした。
「…どうした?」
「…え…、あ…」
カカシは話しかけられ、ハッとした顔をした。凄く驚いた顔をしていた。
「あ…、その…アリスって…」
「ああ。さっきここに居た男の名前だ。女みたいな名前だろう」
何処か楽しげに助教授が言った。
カカシが研究室に入る前に、助教授の友人が居た。どこか人を和ませる雰囲気を持った
その男は、気を使って、席を外していたのだった。
アリス。
その名に、覚えが有った。
遠い記憶の中に…
「……」
チラチラと脳裏を掠める面影は、部屋をノックして入ってきた存在に掻き消された。
「おう、もうええんか? 腹減ったな」
方言で話す、そこそこ整った顔立ちの三十前後の男。しかしとても『アリス』なんて
イメージではない。
人懐こい笑みを浮かべたその助教授の友人は、当然のように助教授の隣に腰掛けた。
そして、前に座るカカシの弁当を覗き込んだ。
「手作り弁当か。ええなぁ美味そうや」
「確か、管理人が作ってくれているんだったな。美味いか?」
助教授が、自分の昼ごはん用の、コンビニの弁当を取り出しながら言った。
「美味いですよ」
さらりと言うと、友人は羨ましそうな顔をした。
「俺も弁当作ってくれるひと欲しいわ。管理人ておばちゃんか? 気のええひとやな」
「いいえ。高校生の男です」
またさらりと言うと、今度は驚いた顔をした。そして隣の助教授を見る。
「はぁ…。まあ歳が近いなら、仲良くなれてええな」
友人がそう言うと、カカシはピクリと反応した。
「…仲良くなんかないですけど。俺、嫌いだし」
「え?」
「おいおい…照れんなよ。大体嫌いな奴の弁当を、そんな美味いと言って食う奴が居るか」
からかうような口調の助教授に、カカシはムッとして返した。
「そんなんじゃないですよ。おにぎりが美味いのは、天才だからです」
天才、と言われて、目の前の二人は首を傾げた。
「あのひとって、なんかワケが分からなくて苛々するから。だから嫌い」
憮然とした面持ちで言うと、「苛々する、か…」と助教授は呟いた。
カカシは箸を手に、おにぎりを口に含むと、美味いとそれを嚥下した。やがて無心に
食べだすカカシに、その様を眺めていた助教授の友人は、異なことを告げた。
「…それって、嫌いやなくて、気になるゆうことちゃうのかな」
何だそれは、とカカシが首を傾げる。友人は笑った。
「嫌いな奴の作ったモン、そんな風に美味そうに食う奴なんて居てへんで。好きと嫌い
を取り違えてへんか?」
「おい、ミステリー作家さんは、いつの間に恋愛小説家になったんだ?」
そこへ助教授が、面白がるように言った。ミステリー作家とは、友人のことのようだった。
隣に腰掛ける友人は、助教授を睨みつけた。
「うるさい、茶々入れんな。それにミステリー作家やのうて推理小説家といえ。そういう意味やのうて、友情ってもんがあるやろ」
カカシを前に成される論議に、当のカカシ本人は理解不能なままだった。そもそも
好き嫌いも元来抱かない感情なら、友情などは彼方遠く、宇宙の話だ。
しかしこの友人の告げたことは、カカシの中に不思議と残った。
(04.07.06up)
色々とすみません…。罪悪感から某二名は作中ほぼ名前を出さないことに。