ひとつ屋根の下2

第11話「オレ、変だ」





 台所の、テーブルの上に簡易コンロ。その上に、大きな土鍋がぐつぐつと音を立てている。

「おー、今日は鍋か」
 お腹を空かせて台所に入ってきたアスマが、嬉しそうにその土鍋を見た。 鍋が好きであるし、今夜は随分冷えてきたのでとても美味しそうだ。
「水炊きです。もう寒くなってきたし、いいでしょう」
 葱を刻んでいたイルカが振り返って笑った。
 青葉は必死に大根を摩り下ろしている。
 そんな様子を見て、アスマは自分も何か手伝おうと、棚から食器を取り出した。
 すると、時間を見計らってゲンマとライドウもひょこりと台所に顔を出した。
「おっ、鍋だ」
 ライドウも一気に嬉しそうな声を上げた。
「一人暮らしじゃ鍋は食えないもんな」
 誰に言うとも無くライドウがそうごちながら土鍋に近付いて、上から眺める。 そして「美味そう」とまた嬉しそうに言った。

「…あとはカカシか」
 他の木の葉荘の住人は、すっかり揃っている。
「カカシさんはまだ部活から帰ってないと思います」
「あれ、今日は遅いんだな」
 イルカがそう言うと、普段はとっくに帰っている時間なのにとアスマは壁時計を見た。

「…カカシさん。部活じゃなくて彼女とヨロシクやってんじゃないっすかね」

 そこでライドウが、鍋を見ながらそう言った。
「…え?」
 反応したのはイルカだ。
「さっき言ってた話? お前が見たっての」
 ゲンマがそう言うと、ライドウはそうだと頷いた。
「………」
 イルカは、一体どういうことだとその話の続きを待った。
 すると。

「――― ただいま」

 玄関の戸を開ける音と共に、カカシの声がした。
「帰ってきたか。丁度いい」
 やっと食べれると、アスマは自分の席に座った。
 ライドウの話もそれで終わりだ。
「…お出迎え、待ってるんじゃない? カカシさん」
 ライドウを見たまま動きを止めていたイルカに、ゲンマがそう声を掛けた。
 いつもイルカが居る限りは、つまり夕方は毎日、誰かが帰宅するたびにイルカは玄関へ行き出迎えていた。 カカシはすっかりそれに慣れ、むしろ今ではきちんと「ただいま」が言えるようになり、 イルカが出迎えてくれるのを待っていた。
「…あ、」
 つい失念していた。
 イルカは慌てて、玄関へと向かった。
「出迎えてもらうまで動かないって、カカシさん可愛いトコあるよな。イルカを母親と勘違いしてるんじゃないの」
 ライドウは、決して本人の前では言えないことを、笑ってゲンマに言った。
 ゲンマは曖昧に笑うだけで、それには答えなかった。


「…お帰りなさい」
 イルカが玄関口に立つカカシにそう声を掛けると、カカシは漸く靴を脱いで上がった。
「お腹すいた。晩飯、何?」
「水炊きですよ。お鍋、好きですか?」
「鍋…そういや食べたことないかも」
 嬉しそうな様子のカカシに、イルカもつい嬉しい気持ちになる。
 …だが。

「カカシさん…、今日は部活、遅かったんですね」

 やっぱり頭の中を離れていかないことがある。
 確かに、アスマの言う通り、今までならもうとっくに帰ってきているぐらいで。 イルカの傍で青葉のように晩御飯の仕度を手伝ったりしていた。
 今日ばかりではない。
 といってもここニ、三日のことだが、部活の無い日は講義を終えるとすぐに木の葉荘に戻ってきていたカカシが、 何処ぞに寄り道をするのか晩頃にならないと戻ってこなかった。
 カカシだって何かとあるだろうし、寄り道や友人と遊びに行ったりなど当然あるだろうと、 あまり気に留めてはいなかった。
 けれども先程のライドウのことといい。
 そして…実はもう一つ、イルカには気になっていることがあった。

 昨日の日曜は、カカシがご褒美のキスを強請らなかった。

 こんなこと初めてだった。
 身構えていたのが馬鹿みたいだった。
 カカシは普段と同じ様に勉強を教えてくれたけれども、普段のように触れてこなかった。 そう思うと他にも気にしていなかったことに気付くもので、 以前はよく抱き締めてきたが、ここ最近はそういうことも無い。
(…もしかして…でも…)
 ライドウの『彼女』という言葉が頭の中を回って、イルカはぎゅ、とエプロンを握った。
 一方カカシは、イルカがそう問うと、イルカから目を逸らせた。
「ん? …ああ、ま、ちょっと」
 そう言って、後ろ頭を掻く。
「……ッ」
 そして、部屋にカバンを置きに、階段を上がっていった。
 イルカはカカシが階段を上る後姿を見つめた。

(…カカシさんが…初めて誤魔化した…)




ひとつ屋根の下2 第11話「オレ、変だ」





 下宿生が全員居なくなると、木の葉荘は静かなものだ。
 イルカは一コマ目から講義があるという皆を送り出すと、いつものように家の中に戻り、 今日はゴミの日だからゴミ出しをした。ゴミは木の葉荘の玄関前まで取りに来てくれるから、 楽だ。
 置き終えると、すぐにまた戻る。
「…ふぅ」
 玄関の戸を閉め一息つくと、台所に戻って手を洗い、そして―― いつもなら高校へと向かったが、 イルカは自室に戻った。
 今日は本来なら登校日だ。
 三年生になったイルカ達は、めっきり登校日が減ってきたが、それでも全く無いというわけではない。当然ある。
 しかしイルカは、ここのところ…つまりはカジと再会してから、学校には行ってなかった。
 学校ばかりではない。
 木の葉荘から外に出るのが恐ろしくて、引きこもってしまっている。
 それでもナルトの家庭教師を休むわけにはいかないし、カカシ達に不審を抱かせてしまうから行く。 しかしカカシと一緒だ。
 ある程度事情を知る、アスマがイルカを助けてくれている。
 アスマが、カカシに「最近物騒だからな。迎えに行くだけじゃなくて、送ってやったらどうだ」 とさり気なく切り出してくれた。
 イルカは思ってもみなかったことだったが、カカシはすんなり「そーだね」と頷き、 送り迎えをしてくれた。申し訳なかったが、有り難かった。
 そして、一番問題なのが食料等の買い物なのだが、これもアスマがオーナーに相談して、 最近利用する家庭が多いという宅配サービスを取り入れてくれた。

 アスマとオーナーは、イルカの過去を全部とまではいかないが、知っている。
 隠してはいても様子がおかしいことは気取られてしまい、その上買い物にも行けずに八方塞だった為、 イルカはカジがこの街に来ていたことを打ち明けた。

「…それで…そいつはお前に何かしたのか?」
 顔に険しさを滲ませながらアスマが問うた。本気で心配してくれている。
 イルカは首を振った。
「いえ…、オレ、驚いて逃げて…それだけです」
「…そうか…」
 アスマはカジと会ったことはない。向こうも多分、アスマのことなどは知らないだろう。
 特に何かされたわけでもなし、手を打つといっても何もない。
 ただ、イルカが過去に囚われてどうしても抜け出せないでいるだけのことで。
 結局は自分で乗り越えるしかないと分かっていたし、アスマもそう思っているのだろう。 他人がどうこうできるものではないと。
 それでも放っておけるわけでもない様子のアスマに、 だからこそイルカは、出来るならばアスマにも知られなくはなかった。
 アスマはじっとイルカを見つめ、イルカの頭に手をぽんと置いた。
  「…何かあったら、いつでも言えよ。オレ達はお前の味方だからな」
「……ッ!」
 そう言ってイルカの頭を撫でるアスマに、イルカは喉を詰まらせた。
 優しくて、暖かい。
 アスマが…従兄弟だったなら。
 何度か思ったことがあるが、そんな仮定なんて詮無いことだ。
 それでも、このアスマも全てを知っているわけではない。 カジから逃げているということと、その為に留年したぐらいで。
 アスマは優しいひとだから、自分から言わない限りは聞き出そうとはしない。
 果たしてこの優しさに甘えていていいのだろうかと思いはすれども、 かといってイルカには他にどうしていいかも分からなかった。
 この木の葉荘に居たい。皆と出来る限り、一緒に居たいのだ。
 かといって、このままずっと外に出れないようではダメだということも分かっている。
 今はまだ知られていないが、いつまでも学校に行かないイルカを不審に思い始めるひとが出てもおかしくはない。 嘘をつくのも辛い。
 学校やクラスメートには、風邪で寝込んでいることになっているが、それだって限界があるだろう。

 それでも。
 怖くて、不安で仕方ないのだ。

 木の葉荘に居ても、一人だと少し怖い。不安で玄関が気になったり、物音に敏感になってしまったりしている。
 そういったものを紛らわす為に、イルカは用事や勉強に自分を追い立てた。
 洗濯をして、掃除をして。
 一段落着くと、勉強をする為にテキストを開く。
「……」
 しかしそうすると、今度はカカシが頭の中にひょっこり顔を出した。

 『彼女』

 昨日のカカシ。その前の日のカカシ。更にその前の日のカカシ。
 このテキストをいつも指差すあの白い手が。
 自分に触れなくなったのはいつからだったか。

「…なんか…オレ、変だ」
 そう一人ごち、イルカはテキストを放り出して畳の上に寝転んだ。


 カカシが触れないことが、イルカの不安を一層煽っていた。


(07.02.14up)