ひとつ屋根の下2

第12話「好きでもないヤツにキスされたら、嫌?」





 絨毯の上を、スポンジ素材のボールがころころと転がる。
 そのボールを追って、パグの子犬が短い足を走らせた。 絨毯の抵抗にボールの転がりは悪く、すぐに追いつき、そしてボールにじゃれつく。

「コラ、持って来いチャッピー」

 名前を呼ばれて、子犬のチャッピーはボールを口に銜え、呼んだカカシのもとへと駆け寄った。
「よしよし」
 見事にボールを持ち帰ったチャッピーの頭を、胡坐を掻いて絨毯に座っているカカシが撫でた。 撫でられて、チャッピーは嬉しそうに尻尾を振る。

 カカシは組んだ足の上にチャッピーを乗せ、両手を両手で掴み、上下にして遊んでいると、 そのチャッピーの頭をカカシの隣に座るマキが撫でた。
「…チャッピー、ここの所ずっとご機嫌なの。私はあんまり遊んであげなかったけど、 カカシ君がいつも遊んでくれるから」
 そう言って、マキもご機嫌な様子で笑った。




ひとつ屋根の下2 第12話「好きでもないヤツにキスされたら、嫌?」





 ここは、マキが一人暮らしをするマンションの一室だ。
 割合木の葉大学に近く、徒歩十五分程度の距離に建つ。当然木の葉荘からも近い。2DKと、 大学生が一人で暮らすには十分すぎる広さで、セキュリティもしっかりしていることから、 きっと実家は裕福な家庭なのであろうことが伺えた。マキはバイトだってしていないのだ。
 部屋の中も決して安価ではない様子の家具などが備わっていて、木の葉荘の住人とはえらい違いだ。
 しかしカカシは、何故彼女が一人暮らしをしてこんな贅沢が出来るかなどをマキに尋ねたことも無かったし、 知りたいとも思わなかった。だから今も何も知らない。彼女のことで知っているのは、 自分と同じ大学の三回生で同じ弓道部に所属していて、弓道は並よりも少し上手いぐらい、 そして犬のチャッピーを飼っている――というぐらいだ。
 当然、自分のことも大して話さない。
 マキがあれこれ詮索しないというのと、カカシ自身話したくないというのとで、 お互いの身の上話などは会話に上ることはなかった。
 だからここが、カカシにとって割合居心地がいいのかもしれない。
 大体にして、ここにやってくる目的は子犬のチャッピーだ。
 チャッピーを可愛がることで、カカシのストレスというか欲求不満はある程度解消されていた。

 しかしこの部屋で初めてマキは問いを口にした。
「…ねえ、聞いていい?」
「何を?」
「…イルカってヒトのこと」
「……」
 カカシはチャッピーから目を離し、隣に居るマキにその目を向けた。
「カカシ君が片思いするほどの相手って、どんなヒトか知りたくって」
「ふぅん? どんなって……」
 どんな人かと問われて、一言で済まそうとしたが言葉が続かなかった。
 イルカのことを説明することが難しいと気付く。一言でなんて表現できそうにもない。
 断片的に捉えるならば、優しいとか、可愛いとか、単純な所があるとか、すぐムキになる子供っぽい所もあって、 暖かいとか、生真面目とか、馬鹿正直とか、料理が上手いとか。けど、それだけでは決して無い。 そんな言葉なんかで、イルカを表現しきれない。
 返答に困っていると、マキは少し聞き方を変えた。
「じゃあ、どんなところが好きになったの?」
「どんなところ………」
 しかしこれもまた、カカシには難解な質問だった。
 大体気付いたら好きになっていたのだ。いつ好きになったかさえ分からないのに、これを好きになったなんて、分かるわけがない。
「…質問難しい」
 困ったように眉を寄せるカカシに、マキもじゃあどう問えばいいか困った。
 けれどもふと、カカシは口元を緩めて言った。
「ま、…あえて言うなら、全部?」
「……」
 イルカの笑顔を思い浮かべると、それだけで胸の中が暖かく満たされたような気分になるから不思議だ。
 そうして、好きだと改めて思う。
 イルカが好きでたまらなくて、時折胸が締め付けられることもある。
 傍に居ると、ぎゅっと抱きしめたくなる。その柔らかい唇に口付けて、離したくなくなる。 ずっと、イルカを独り占めしたくなるのだ。叶わないけど。
 紅に、好きなら待てと言われた。我慢しろと。
 恋愛経験の無いカカシは、イルカに好きになってもらうにはどうしたらいいのか分からずに、 ただ強引に押していたのだが、そう忠告されて、そういうものなのかと思った。
 だから、キスしたり抱きしめたりするのを、我慢している。
 結構辛い。
 なのでチャッピーでその不満を解消しているのだ。

「…そう。そんなに好きなんだ。でも、振られちゃったの? それともまだ好きって告げてないの?」
 マキは苦いものを噛み潰して、笑顔を作ってみせた。
「まだ振られてないよ。好きだって告げたけど、今はそういうこと考えられないからってんで、 考えられるようになるまで待ってるところ」
 振られただなんて縁起悪いことを言われたくないと、カカシは少し不機嫌気味な顔になって、 チャッピーをいじることを再開した。両手を上下にバタバタさせる。肉球の感触が気持ちいい。
「え…? 考えられないって…」
 と、言いかけてしかしマキは口を噤んだ。
「あはは、ごめん私聞きすぎだね」
 マキは苦笑いを浮かべて、頬を掻いた。
「今はレンアイどころじゃないってさ」
 だがカカシはその答えを告げた。
 そして。

「…ねえ。好きでもないヤツにキスされたら、嫌?」

 急に、そうカカシが真顔で問う。
「…え…? ま、まぁ…そりゃ…嫌なものでしょう?」
 マキには、カカシが何故そんなことを問うのか最初は訳が分からず数度目を瞬かせた。 どうしてイルカとのことを問うているのに、そんな話になるのかと。
 だがそう答えると、カカシが少し傷ついたように見え、そしてどことなく落ち込んだような雰囲気を纏わせたので、 もしかするとイルカとのことで尋ねているのかと悟った。
「私だったら、好きでもないひとにまとわりつかれたり、好きとかしつこく言われたりするのも嫌だな。 うん。これって私だけじゃなく、普通だと思う」
 そう言い足すと、カカシは更にショックを受けたようだった。
 マキの胸がズキッと痛む。
「…そうなんだ…。好きって言われるのも嫌なんだ」
「……い…嫌っていうか…困るっていうか…うざい、とか?」
 マキはカカシから視線を逸らした。
 罪悪感が無いわけではないが、さりとてこれは一般的な答えだと思う。なにも、 嘘をついているわけではない。


 暫くカカシは無言になり、マキも何も言えなくなった。
 そうして少しばかり時間が経って、カカシは壁に掛かっている時計をふと見た。もう六時を回っている。
「…っと、こんな時間か。もう帰るよ」
「帰るの? たまには一緒に夕飯食べない? 私、結構料理得意なんだから」
 マキが引き止めるようなことを言ったが、カカシは頷かなかった。
「いやいい。帰る」
 腕の中のチャッピーを、絨毯の上に置く。そして立ち上がったカカシは、 鞄を手に持ち玄関へと向かった。その後にチャッピーがワンと鳴きながらとてとてとついていき、 マキも続く。
「…明日も来る?」
「うん」
 ここのところ、というかこのマンションに来だしてからは、ほぼ毎日来ている。
 カカシが即答したので、マキは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、明日はウチで食べて帰ってよ。いつも一人で味気ないんだ」
 しかしその誘いには、カカシはやっぱり頷かなかった。
 一人で食べる食事を、味気ないという気持ちが今のカカシには理解できる。
 過去、ずっと一人きりの食事であった時は、何も感じたことはなかった。
 寂しいとも、味気ないとも。
 けれども木の葉荘で過ごす内に、最初は嫌だった他人との生活や食事が、楽しいと思えるようになった。 今では一緒に食べるのが当たり前のようになっている。帰宅が少し遅れてもイルカは待ってくれているし、 皆が食べ終わった後に帰ってくる時も、イルカが食べている間ずっと傍に居てくれた。
 だから、今なら独りの食事は味気ないものだろうと思う。
 それでもイルカの作る料理が食べたい。
 それに…あまりそうしてここに居るのは、ダメなような気がした。
「…そう、残念。じゃあ、気をつけて」
 マキもあまりしつこくはしない。そう言って、笑って手を振った。
 しかしチャッピーは不満なようで、ずっと足元で鳴いている。カカシはそのチャッピーの頭を撫でた。
「じゃあ」
 カカシは短く告げると、玄関の戸を開いて出て行った。
 パタンと戸が閉まり、少し経ってからマキは鍵を掛けて、足元にいるチャッピーを抱き上げた。
「私にも…まだまだチャンスあるってことだよね」
 そう呟いて、チャッピーをぎゅっと抱きしめた。



(07.03.11up)