ひとつ屋根の下2

第14話「じゃあお借りします」





 どくどくと、心音がやけにうるさく聞こえる。
 イルカ自身の中を巡る、よく分からない衝動は、 何処かへ駆け出してしまいたいという気持ちにさせた。
「…こ、こんなとこで…」
 イルカは今更ながら、膝に当てた顔を上げ、辺りをキョロキョロと見渡した。玄関口には、 自分以外に人影は無い。
 一先ずホッと息を吐いた。

 先程のカカシは、一体どうしたというのだろう。
 ここの所一向に触れようともしなかったくせに、こんな場所でいきなり抱きしめてきて、 しかもキスをしようとするなんて。何を考えているのか、さっぱり分からない。
 …などと胸の内に悪態をつきつつも、頬は熱く火照ったままだ。
 こんな風に、突然抱きしめられたことも、更にはキスされたことだって何度もある。
 しかし、こんなにも胸が痛いぐらい鼓動が跳ねたりはしなかったように思う。

(いやでも。やっぱり突然だったし。木の葉荘の住人に見られるかもしれないと思ったから、それで)

 そんな風に蹲ったまま頭の中がぐるぐる回っていると、階段を降りてくる足音が聞こえた。
 今までにもうどれぐらいキスをしただろう。
「…管理人さん? どうしたの?」
「い、いえっ別に…っ、さ、行きましょうか」
 玄関で蹲るイルカを不思議に思って問うてくるカカシに、イルカはすぐさま立ち上がって靴を履きだした。
「そんな格好でいいの? 結構寒いよ、外」
「え…、あ…」
 イルカは、トレーナーにジーパンの格好だった。
 そう問うカカシは、高そうな黒のロングコートを羽織っていた。 さっきはストライプ柄のシャツにチャコールのジャケット姿だったのに、 全くもって衣装持ちだ。
「…わざわざ着替えたんですか?」
「だって寒いし。って、別に上着だけだよ」
 言いながら、手に持っていたマフラーを首に巻いた。
 男の自分が見ても、本当に格好良いと思う。
 さっきの格好も似合ってて良かったが、今の格好はまた違って良い。どんな服装も、 カカシに掛かれば一級品に見える。まるでモデルのようだ。
 だから、女にモテるのだ。
 そう思うと、胸がチクリと痛んだ。
 『彼女』という言葉が脳裏に浮かぶ。
 けれども。
 けれどもカカシは、さっき自分を抱きしめて、そしてキスをしようとしたのだ。
「管理人さん? その格好で行くの?」
 再度問うてくるカカシに、イルカはハッと我に返ってともかくも上着を取りに部屋に戻った。
 しかし開けたクローゼットの中には、ロクな衣装は無い。
 カカシの隣りに並んでも、遜色のないようなものは。
「……」
 ともかくも、時間が無いことだし、そもそもそんな風に考えるなんてどうかしている。
 イルカはいつも着るジャンパーを取り出して、羽織った。
 玄関に戻ると、カカシは既に靴を履き終えていた。イルカは慌てて靴を履き、カカシが玄関の戸をガラリと開けた。 カカシに続いて外へ出ようとしたイルカは、しかし躊躇して足を踏み出せないでいた。 ここから出るのだと思うと、無意識にもいやな汗が握り締めた手に掻いている。
「管理人さん?」
 戸の向こう、カカシがイルカを振り返って、そしてイルカを待っていた。
「……」
 その姿を見て、イルカは漸く足を一歩踏み出すことができた。




ひとつ屋根の下2 第14話「じゃあお借りします」





 まだ夜といっても時間にしてみれば七時にもならないのに、 それでも星が輝きだす夜空が見上げればそこにある。
 カカシが言った通り、外は大分寒い。
 ここのところずっと家の中に居たから、感覚が分からなくなっていた。換気の為に窓を開けることはするが、 それも昼間だけの話だ。やはり夜はずっと寒い。
「さむ」
 寒さにイルカは思わず身を震わせた。
 ナルトの家までそんなに距離が無いのは助かる。
 隣りに並んで歩くカカシは、あまり寒く無さそうだ。なんたって暖かそうなコートにマフラーまであるのだ。
「寒い? 管理人さん、マフラーや手袋なんかも必要じゃない?」
 寒がるイルカの様子を見て、カカシはくすりと笑った。
 笑われると、なんとなく面白くない。身体を鍛えているわけではないが、軟弱と思われるのは嫌だ。
「別に平気です」
 イルカは少しむう、と膨れてカカシから顔を逸らした。
 そういえば、マフラーや手袋が無かった。
 いつも買おう買おうと思いつつ、冬を終えるのだ。
 割合暖冬だったせいもあって無くても過ごせたのだが、今年はどうやら例年より冷え込みそうだ。 やっぱり買うべきだろうか。
 そんな風に考えていると、冷気を含む風が首周りに感じなくなり、ふわ、と柔らかな感触が頬に触れた。
 カカシが、自分がしているマフラーを外し、イルカの首にかけたのだ。

「…カカシさん」
「それなら寒くない?」
「そ…そんな、いいです。カカシさんが寒いじゃないですか。オレ、もうすぐそこまでだし。 カカシさんの方がずっと長い間、外に居ることになるんですから」
 イルカは急いで自分の首に掛けられたマフラーを外そうとした。だがそれをカカシが止めた。
「いいよ、してて。受験生が風邪引いちゃダメだし」
「でも…」
「いーから。オレはね、アンタを守る使命があるの」
「…え…っ」
 イルカは驚いた声を上げた。
 カカシは恥ずかし気もなく何かのヒーロー染みたことを言って、笑っている。
 ここは笑う所だったのだろうか。けれどもイルカには笑えなかった。
「あの日、管理人さんの両親に守るって約束したから」
「え…ええ? 何なんですかそれは…あの日って…?」
 いつも理解し難いことを言うカカシだが、今回も同じく訳が分からない。
 だけど、嬉しいと思う気持ちが胸の中に在る。
 カカシが自分を守ると。
 それだけで思わず涙腺が緩みそうになる。

 しかしそんな気持ちを、次の言葉がかき消した。
「ええと、管理人さんがオレの胸で泣いた日」
「…っ!」
 カカシの返答に、イルカはガーッと顔中真っ赤に染まった。
「……な…泣いてなんかいません…! オレは…っ」
「あーハイ。そうだったね。そーいうことにしとくんだったっけ」
「もうっオレは泣いてませんからねっ!」
 顔を真っ赤にして怒鳴るイルカに、カカシは笑って「はいはい」と言った。
 むっつりして怒りながらも、イルカは妙に安堵していた。
 カカシだ、と思った。
 ここ最近は何か様子がおかしかったけれども、今すぐ傍に居る男は、いつものカカシだ。

 そんな風に気を緩めたイルカの手を、カカシがぎゅっと握り締めた。
「…!」
 突然の行動に驚いて、条件反射のように身体がビクリと小さくだが跳ねると、 カカシはすぐに手を離した。
「…あ、手握るのもダメ? ごめん」
 そして「色々と難しい」とひとりごちた。
「え…、あ…その」
 イルカは、カカシが手を握ることを嫌がったと思ったようだと分かった。
 嫌だったわけではないが、かといって良いと言うこともできなかったので、何も言えずにいた。
 誰かと手を繋ぐなんて、小学生のしかも低学年以来したことがない。照れくさいし、 あまり人通りも無い道だがそれでも誰か通りかかるかもしれないのだ。
 いつもいつも、カカシは本当にそういうことには無頓着だ。日頃目立つ容貌の為、 他人の視線を集めることに慣れすぎているのだろうか。気にするこちらが小さい人間に思えるほど、 カカシは周囲を気にしない。そんなカカシが時折り羨ましく感じる。
 しかし、それにしたって随分あっさり引き下がるものだ。少し前までのカカシならば、 こちらが嫌がろうが構わず自分がしたいように振舞ったというのに。
「………」
 二人の間に沈黙が降りて、イルカは無意識のようにカカシの腕に触れた。
「何?」
 カカシがイルカに問いかけてくる、その声音はとても優しい。
 いつものカカシだ。
「…あ、いえ…、…その、じゃあお借りします」
「うん」
 カカシが嬉しそうに頷いた。
 本当は、もうマフラーが無くても良かった。
 吹く風は冷たいままだが、なのに身体中が暖かくなっていくのは何故だろう。

 木の葉荘からそんなに離れていないナルトの家は、そうして歩いていると程なくして到着した。
「…じゃ、また迎えに来るから」
「はい。ご飯、冷めていると思うんでレンジで暖め直して下さいね」
「うん」
 頷くと、カカシはイルカに背を向け、スタスタと去っていった。
 その後姿を見送りながら、イルカはカカシのマフラーを握った。
 外に出るのが怖かったイルカは、この金曜日のナルトの家に行く時しか出ていなくて、 一週間ぶりに外を歩いた。
 カカシが帰ってこなくって、部活も無い日なのにと思うとこの家庭教師の送り迎えも忘れているのかもしれないと、 寂しいような気分になり、そしてナルトの家に行くのをどうしようかと思って不安だったが。
 アスマは木の葉荘で一番暇そうな奴と、カカシに声を掛けたらしいが、 イルカはカカシで良かったと思っていた。
 カカシと一緒だと、外に出ることが出来た。
 全く怖くないわけではないが、それでも不思議と大丈夫だと思えるのだ。

 カカシの姿が見えなくなる頃に、漸くイルカはナルトの家のチャイムを鳴らした。



(07.04.06up)