ひとつ屋根の下2

第20話「…言う通りにしな」





 駆け寄ってきた女が、カカシとイルカの目の前で立ち止まる。これくらい近いと、 結構表情が分かる。おそらく『マキ』と呼ばれた方の女はこちらだろう。一目見て、 イルカは彼女を美人の類だと分かった。
「やっぱりカカシくんだ! てっきり今日も会えないのかと思ってた。久しぶりだね」
 マキという名であろう女は、とても嬉しそうな様子だった。
 女と一緒に居たもう一人の方の女も、駆け寄ってくるのが見えた。
 マキという名であろう女に対してカカシは、それまでにイルカが見ていた女に対する素っ気無さも冷たさもなく、 それどころか親しいようだった。
「…お友達?」
 そこでマキであろう女は、カカシの隣に並ぶイルカのことを問うてきた。
 イルカは、カカシが自分のことを何て言って紹介するのだろうと、密かにドキドキしていた。
「…ま、そんなとこ」
 カカシは後頭部をガリガリと掻いた。
(…そんなとこ…か)
 友人。
 そうであればいいと思っていたはずなのに、 なんだか嫌な気持ちが広がっていくのはどうしてだろう。
「へえ。初めまして、私は遠藤マキ。カカシくんとは、部活が一緒なの」
 やはり、こちらの女の人が『マキ』だった。
 とても感じのいい人だと思った。
「初めまして…」
 イルカが名を告げようとすると、マキと一緒に居た女が、カカシをじーっと見ていたかと思うときゃあと騒いだ。
「うわっマジではたけくんだっ! 私はマキの友達のシズカでぇす。よろしくぅ」
「……」
 イルカは名乗るタイミングを失った。
「今日はこの子がウチに泊まりにくるの」
「そーなのぉ。明日のテスト勉強、これからするんだけど…カカシくんも一緒にどぉ?  なんちゃって!」
 シズカは名前と違って騒がしい女だった。
「もうシズカったら。ゴメンね、この子素面で酔える子なのよ」
「ちょっとぉマキ、私飲んでなんかないっしょ」
「…オレ、行くから」
 イルカの腕を引いて去ろうとするカカシに、マキが声を掛けた。
「カカシくん、チャッピー寂しがってるよ。また会いに来てあげて」
 すると、カカシはピタリと立ち止まり、マキを振り返った。
「…チャッピー…?」
 何のことだろうと、イルカは首を傾げた。
「チャッピー、待ってるよ。…私も、待ってるから」
「……!」
 始めからの態度に加え、このあまり押し付けがましくない、そして小さく付け足された言葉に、 鈍いイルカでも流石にマキの想いを悟った。
(このひとは…カカシさんが…)
 イルカは嫌なものを感じて、カカシを見た。カカシは平然としているようで、 しかしイルカにはどこか寂しそうにも見えた。
「…もう、行けないよ」
 カカシはポツリと、そう返した。
 だが、イルカはショックを受けた。話が見えてこないながらも、 イルカはカカシがマキの家に訪れていたことを知った。
 それでは。最近、部活や講義の後、木の葉荘に帰ってこなかったのは…。

「どうして…?」
 マキは悲しみを声に滲ませていた。
 どうして。それはイルカも思っていた言葉だ。
 どうしてこの女の人の所へ。二人は本当は、どんな関係だったのか。イルカは知りたかった。
「…オレ達、急ぐから。じゃ」
 なのにカカシはそうマキ達に告げると、イルカの腕を引いてずんずんと歩き出した。 カカシのその背は、マキを拒んでいた。
「……」
 イルカはカカシに腕を引かれながら、マキとのことを聞きたくて、けれども聞けなかった。
 カカシに聞きたいことなんて山ほどあるようで、それでもその一つも口にすることが出来ない。 いや、本当は知りたいことなんて、たった一つだけかもしれない。 だがその肝心の知りたいことが何なのか、まだ自分自身の中で上手く整理しきれていないから、 本当は何が知りたいのか自分でも分からないのだ。
 おかしくなっている。漠然とそう思った。
 よく分からない感情が、ここのところずっと渦巻いていて、消えたと思ったらまたぶり返す。
 どこから狂い始めたのだろうか。
カカシがこんなに近くて、けれども遠い。
 困惑しながらも、カカシの腕を握る力の強さだけが信じられるような気がして、 そのまま無言でいた。




ひとつ屋根の下2 第20話「…言う通りにしな」





 木の葉大学後期テストの最終日。
 既にテストを終了させていたライドウは、 とてもにこやかに最終日にテストのある面子をイルカと共に見送った。ちなみにゲンマとカカシだ。 アスマは終わらせている。青葉は昼からだ。この二人は見送りなんてことはせず、 各々の部屋に戻った。
「ふっふっふ。早く苦しんだ分、終わるのも早い…君達は存分に苦しんで来たまへ」
 そうやって喜ぶライドウは、これが言いたいが為に見送りをしたのだが、 実はこのテストを誰も苦しんでないとは思いもよらなかったようで、「な!」 と話をふられたイルカも「はぁ…」としか答えず、黙っておくことにした。
 こんな日々も、今日で終わる。
「さぁーてっと。今日は何しよっかな。バイトも無いし…そうだイルカ、 一緒に買い物にでも行かね?」
 ぐん、と腕を伸ばして背伸びをし、朝の新鮮な空気を吸い込んだライドウは、 息を吐くとイルカに誘いを掛けた。
「…え? 買い物?」
 ライドウに誘われるのは初めてだ。イルカはきょとんとして瞬いた。
 二人の会話は、一先ず玄関を上がったところで続けられた。
「ああ。最近寒いから冬服欲しいしさ。ぶらっと街に出ねぇ?」
「今から…ですか?」
「ぷははっ、んな早くから開いてる店なんてねーって。昼過ぎぐらいでもいいけど。 気晴らしに何かぶらぶらしてぇ」
「……でも…オレ」
 イルカは返答に詰まった。
 確かにイルカも買い物に行きたいとは思ったし、ぶらぶらと歩くのもいいとも思った。 ライドウと一緒なのも楽しそうだ。
 しかし、外は恐ろしい。
 言い淀むイルカに、ライドウは「ああ、そっか」と勝手に納得した。
「お前はまだまだ試験勉強があるもんな! 悪かった」
 ニッカと笑い、ぐりぐりとイルカの頭を撫でる。
 そういうわけではないのだが、イルカもそれ以外に理由を告げることもできないので、 「すみません」と小さく告げた。気にすんなって、と気遣うライドウの手は大雑把でだけど優しい。
 それでも、ダメなのだ。
「オレも去年までこの時期は苦しんでたからな。喉元過ぎればなんとやらで忘れちまいがちだけど …なんならカカシさんが帰ってくるまで、オレが勉強見ようか?」
「本当ですか? じゃあ数学を…」
 イルカがそう言うと、ライドウはピタリと固まった。
「…数学? …いや、オレは歴史がいいな。そうだ世界史か日本史なんかどうだ?」
「いえ…歴史はもうやったし…、数学が…もしくは英語を」
「……わ、分かった…」
 若干引き攣りつつも、ライドウはイルカと一緒にイルカの部屋に向かった。
 しかしライドウは、イルカの渡した参考書を開けて、沈黙する。黙々と読んでいるのかいないのか。 ライドウは一向に顔を上げようとはしない。それに、顔色が悪いように見える。
「? …ライドウさん?」
 するとライドウは、がばっと本から顔を上げると、机を挟んだ向こう、 小首を傾げるイルカの肩をバンバンと力強く叩いた。
「いたっ」
「わっははっ、イルカ、オレ急用思い出しちまった! 悪いな!」
 無理に笑い声を上げ、ライドウはさっさと部屋を出て行った。
 イルカはポカンとして、それを見送った。




 やがて昼食時にまた皆が揃って食事をとり、青葉だけが最後のテストを受けに行った。
「ゲンマ、買い物行こうぜ!」
「んー? …まぁいいけど」
 乗り気ではない様子のゲンマを誘い、ライドウは街へ一緒に出掛けて行った。
 それを見送り、イルカは片付けをして、暇そうなアスマとカカシも手伝ってくれた。
「管理人さん、ちょっと一服したら、勉強しよっか」
 食後はどうにも頭も動きも鈍っていけない。だから勉強前の休憩は必要だ。
「いいんですか? 疲れてるんじゃ」
 気遣うイルカに、カカシはそれでも勉強を見ると言った。
「…だって。明日はオレ、出掛けるから見れないしね」
「え……、…そ、そうなんですか」
「なんだお前、珍しいな…日曜に居ないなんてよ」
 そこで、アスマが会話に入ってきた。
 確かに珍しいことで、カカシはもう何ヶ月も日曜はイルカの勉強を見ていた。
「まぁね…」
 カカシは意味ありげに、アスマをチラリと見た。
「ん?」
 何だろうとアスマが思った時。

「オレ、明日は紅と…えーと映画観に行くんで」

 カカシは少しばかりつっかえながらも、そんなことを言ってのけた。
「「……ッ!?」」
 それには、イルカとアスマ二人して驚いた。
「…な…何だって…? おま、いつからそんな…?」
「だから、勉強しよ。あと一時間後ぐらいに、管理人さんの部屋に行くよ」
 アスマのその動揺たっぷりの問いには、カカシは答えなかった。そしてさっさと、 自室に戻って行った。
 アスマだけではなく、イルカの動揺も知らずに。




 カカシは部屋に戻ると、ベッドの上にごろんと寝転がった。
 そして、ふう、とため息を吐く。
 どうしてこんな茶番を演じなければならないのか。結果的に乗らされてしまった自分も嫌になる。
 紅に相談したのが間違いだったのかもしれないが、他に当てもないのだからしょうがない。
 先日、紅にマキとのことを詰られた時に、紅は教える代わりにデートをしようなんてとんでもないことを言い出した。


「…は? なんでそんなことしなきゃなんないの」
 カカシには、さっぱり意味が分からなかった。何故紅がそんなことをしようと言うのか。 気が触れたとしか思えない。
「やーねぇ。教えてあげる代わりに、別にデートぐらいいいでしょう」
「嫌だよ。気持ち悪い」
「…なんですって?」
 紅の背後に、紅蓮の炎と般若の像が見えた気がした。
「いや…」
 カカシの本能が、言う通りにしないと死ぬと悟った。
 けれども、嫌なものは嫌なのだ。
 どうしてイルカにべったり引っ付ける(最近はべったりはできないが)日曜に、 紅なんかとデートをせねばならないのか。
 裏に何かがあると分かっているだけに、気持ち悪い。
「こんな美女がデートしてあげようって言ってんのよ。ありがたくお受けしなさい」
「……じゃあ、教えてくれなくてもいい」
 ムスッとしてカカシが言うと、紅はカカシの腕を掴んだ。
「何…」
 怒って振り払おうとしたカカシは、紅の顔を見て思わず息を呑んだ。

「…言う通りにしな」

 そう、底冷えのする声音で告げた。
 ―― それで終わり。


 全く、こんな茶番、笑い話にもならない。
 『アスマに言っといてね』という辺りで、魂胆が見え見えだ。 どうせそんなことだろうと思ってはいたが。
 こんなことでどうなるというのかと呆れていたが、実際アスマの反応を見るに、 中々に動揺を誘えていたところを見れば、結構いい手なのだろうか。
 こうやって他人の手を煩わせずに、とっととくっ付けばいいものをと、 カカシは自分のことを棚に上げて思った。
 話の成り行き上、ついイルカが一緒に居るのに言ってしまったが…まぁ、 イルカはこれでどうということはないだろう。
 そもそも紅との誤解を、一度ちゃんとイルカに解いている。二度も同じ誤解なんてしないと思うし、 何より自分がどれだけイルカを好きかなど、イルカには十分過ぎるぐらいに分かっているんだし。
 更には、イルカは自分のことなど好きでもなんでもない。
「…あ、痛い」
 自分で自分の傷をえぐった思考に、カカシは自嘲を浮かべようとして、それも失敗した。
 大体紅はマキとのことで色々と言ったが、イルカは昨晩マキと会っても何も言わなかった。 当然だ。きっとどうでもいいことなのだ。
 だから、紅の助言は結局不要なものだった。

 あと約四ヶ月。試験を終えたところで、イルカが自分を好きになってくれるのだろうかと、 自分らしくなく不安が過ぎる。
 しかしそうなれば、どっかにイルカを閉じ込めて、好きになるまで出さないまでだ。
「…って、オレってこんなヤツだったのか」
 我ながら、すごい執着に呆れる想いだ。
 人を好きになると、自分が自分でなくなるような気がする。それが少しだけ怖い。
 イルカを…一番大事な人を、傷つけてしまいそうで。
 それでも。どうしても手に入れたい。
 初めて望んだもの。
 イルカ以外、何も要らないとさえ思うのに、なんだか遠回りをしているような気がして、 苛つきさえ感じる。

「…っと…、そろそろか」
 カカシは時計を見て、むくりとベッドから起き上がった。
 イルカの傍に居ると、欲望が膨れ上がってしょうがない。触れたいし、抱き締めたい。 キスだって何度もしたい。
 好きだと何度も告げて、自分のことだけでいっぱいにしたくもなる。だけどそれはダメなのだ。 恋愛は難しい。
 せめて勉強なら。料理中や片付け、勉強中は、そういった欲求をどうにか散らして集中することが出来るから、 イルカの傍にいることが出来る。
(…といっても本当は危ないんだけどね)
 色々と限界がきているだけに、チャッピーで解消したいところだが、 やはり忠告は受け入れることにしておくとする。
 さて、とベッドから降りて、カカシはイルカの部屋に向かった。


 そんなカカシには、これから先に待ちうけている未来のことなど、知る由もなかった。



(07.06.10up)