ひとつ屋根の下2

第23話「その理由はちゃんと分かってる?」





 世間の話ではない。
 紅の目の前の世界だ。

「…なんなのよ鬱陶しい」
 紅がそう言ったとて、目の前に座るカカシはどんよりと重い空気を背負ったままだった。
 いつもの昼食時、食堂に来てみれば。
 一体全体、何をこの男は常に無く暗いのだろうか。
てっきり今日は、昨日のプレゼントの結果を聞くことになるのだろうとか、 アスマと自分とのことに興味は無くても皮肉の一つぐらいはあるだろうとか予想していたというのに。
 そこで紅は、ハッと気付いた。
 もしかして上手くいかなかったのでは、と。
 というか、それ以外には無い気がする。
 しかし何故。
 流石の紅も、真正面から訊くには勇気がいりすぎた。そもそもの原因は自分が作ったようなものなのだ。
 しかしそれは、カカシの口からあっさりと出た。
「管理人さん…プレゼント、受け取ってくれなかった。紅の嘘吐き」
「えっ受け取ってくれなかったの!? 嘘、なんで?」
 まさかあのイルカが、人からの好意を受け取らないだなんてと、紅は驚いた。
「なんでって、それはこっちが聞きたいよ」
 ハァ、と大きく息を吐く。
「…アンタ、またヘマして怒らせたとかじゃないの?」
「お前なぁ……、…分かんない…」
 一瞬怒りかけたカカシは、しかしやってないと言い切れなさに萎んだ。
 それは、ずっと考えていることだ。
 何か気に障るようなことをしたのかもしれないと。
 けれどもどれだけ考えた所で、カカシには思い当たることが無かった。
 イルカは、怒っていた。
 ―― 否。哀しい顔をしていた。
 考えれば考えるほど、カカシにとってはプレゼントを受け取ってもらえなかったことよりも、 そっちの方が気になってきた。
「当事者のアンタが分かんないんじゃねぇ…」
 八方塞だと、紅は頬杖をついて溜息を吐いた。
 それにしても、あのイルカが。
 カカシが何か気に障るようなことや、怒らせるようなことをしたとしても、 受け取らないなんてことがあるのだろうか。あったなら、それはよっぽどの理由に思えた。 それぐらい、あまり付き合いが無くても分かるつもりだ。
 しかし。
 紅はチラリと目の前の欝人間を見る。
 放っておいてもいいが、昨日の借りがあるのだ。
「…ほら。昨日のアンタとイルカ君との会話、どんなだったか言ってみなさいよ。 何か問題あったら教えてあげるから」
「何って…別に…。ただプレゼントって言ったら、いらないって言われたぐらいで」
「そんな単純なもんじゃないでしょう? 一言一句漏らさずに言うのよ」
 このうどんが伸びぬ間に。
 紅が珍しくも食べずにカカシの話を聞いている。
 カカシは、昨日の二人の会話を覚えているだけ紅に話した。

「…ちょっと待って。アンタが私とのことを説明しようとした時に、 イルカ君『分かってます』って言ったの?」
「うんそう。だからオレの言った通りでしょ? 管理人さんは、オレがどれだけ好きなのか分かっ…」
「黙って。…その時、どんな顔してた? 例えば笑ってた?」
「どんなって…笑ってはいなかったけど。どっちかっていうと真面目な顔?」
「……それって、誤解している方の『分かってます』じゃないの?」
「えっなんでそーなんの?」
 カカシはさっぱり分かってない様子で、ぱちくりと瞬いた。
「アンタこそどうやったらそう…もういいわ。それで?」
「それでも何も、要りません、だよ」
 その時のことを思い出して、カカシはしゅんとうな垂れた。
「ふぅん…」
 紅は呟くと、分析結果待ちのカカシを置いて、いただきますと合掌した。ずるずる、 とうどん麺をすする。
 一方カカシは、待ちぼうけ状態だ。弁当を出すことさえしない。
「アンタ弁当は?」
「無い」
「…弁当作りたくないぐらい嫌われたの?」
 そう言うと、カカシはすごい勢いで首を横に振った。
「冗談でもそういうこと言わないでくれない? 今日はね、珍しく管理人さんが寝坊したの」
「寝坊?」
「そ。だから今日は朝食も無くて、自分らでパン焼いて食べた」
「へえ、珍しいわねホント。だったらアンタも何か買ってきたら?」
「うーん…それがこれといって食べたいものが無くってさ。やっぱり管理人さんの作ったのでないと」
「へえへえ」
 アホらしいとばかりに、紅は一気に麺をすすった。飛び散る汁を、カカシが迷惑そうに見ている。 が、紅は一向に気にしない。
「……」
 紅は、心の中でしょうがないか、と決行を試みた。




 イルカは洗濯物が風に棚引くのを見ながら、縁側に腰掛けた。
 その背は常に無く曲がっている。
 仔猫は昼頃、アスマの友人がやってきて持って帰ってしまった。
 とても悲しくて、惜しむ目をつい向けていると、飼い主の友人は、いつでも見に来てくれ、 と優しく声を掛けてくれた。家を教えてもらったので、毎日でも通いたい所だが、 一緒に居た青葉は何故か行っちゃダメだと強く言ってきたし、どのみち今は一人では行けない。
 風に揺れる洗濯物を見ていると、今朝の大失態をふいと思い返し、しょんぼり具合が深くなった。
 寝坊なんて、始めてした。
 それもそのはず、昨夜は泣きすぎて寝入ったものの、それも朝方近い時間だった。

(父ちゃん…母ちゃん、ゴメン)

 失恋の痛手にこんなに泣くなんて。もう二度と泣かないと両親に誓ったこともあって、 恥ずかしいし情けない。
 布団に丸まって、仔猫を抱いて。カカシのことを思い出す度に涙が零れて仕方なかった。 仔猫の柔らかさと暖かさが、涙を余計に後押しした。声を押し殺して泣いたものだから、 あんなに泣いたのにスッキリとした気分にはならない。
 起きてみたら真っ赤な目に、不細工な顔で。
 ある意味寝坊をして、皆と顔を合わせなかったのは良かったのかもしれない。
「……」
 正直、カカシとどんな顔をして会えばいいのか分からない。
 昨日は感情のまま、プレゼントを拒否したが。
 少し冷静になって考えてみると、カカシにとても酷いことをしたと思う。 彼は悪気などさらさら無く、自分のことを思ってしてくれたことなのに。中身を見もせず、 突っ返すなんて最低だ。
「…ああ、もう」
 何処かに消えてしまいたいとさえ、思った。

 ―― その時。

 ピンポーン、とチャイムが鳴る。
「……」
 誰だろうか。ともかくイルカは、カメラのモニターを見た。
 するとそれは、紅だった。
「!」
〈こんにちは〉
 紅はインターホンに話しかける。
「こんにちは…、あの、今はまだカカシさんは…大学から戻ってないですけど」
〈いいのよカカシなんて。私はアナタに話が有って来たの。…今いい? イルカ君〉
「…オレに…?」
 紅が、どうして。一体何の用件だろうか。
 ざわざわとざわめく胸を抱えながらも、イルカは「どうぞ」と返事をした。




ひとつ屋根の下2 第23話「その理由はちゃんと分かってる?」





 イルカは一先ず紅を客間に通すと、台所で茶を淹れて戻った。
「ありがとう」
 紅は湯飲みに少しばかり口をつけると、茶托に置く。
 イルカは戸惑いながらも、紅の正面に腰を下ろした。
「ここへは、二度目ね。一度目は…ハロウィン祭の時。ついこないだの出来事なんだけど、 結構昔の話みたいにも思えちゃう」
「……その、あの時は大変お世話になりました」
 ハロウィン祭へは、仮装をして参加が条件だ。しかし変装グッズなどを持っていなかったイルカは、 カカシの尽力によって紅が衣装を貸してくれ、更にはメイクまでしてくれた。
「何の。楽しかったわ。私が作った女版イルカ君に人気があったのも見逃さなかったわよぉ」
 紅は意地悪く笑ってみせた。
 イルカは引きつった笑いになる。出来ればあの時のことは忘れ去ってしまいたい。
「…実はね、もうひとつ見ちゃったことがあるの」
「え…?」

「アナタとカカシとの、キスシーン」

 紅の爆弾発言に、イルカは飛び上がらんばかりに驚いた。
 まさかそんな。
 あんなところを、誰かに…紅に見られていただなんて。
 イルカは一気にどうしていいのか分からなくなり、プチパニック状況に陥った。
 なのに紅は、にこにこと笑っている。
 その紅がどうしてこんな話題を持ち出したのか…そう考えた時に、 イルカのパニック状態の頭が急速に冷えてきた。
 紅は、カカシの彼女だ。
 きっと浮気現場を見たようなものだったに違いない。
 そう思い至った時、漸く紅の意図が分かった。
「…すみませんでした。その、オレ…」
 しかし謝っておきながらなんだが、あれはカカシが強引にしただけであって、 いわばこちらは被害者なのだ。なのにどうして謝っているのだろうと、 自分の卑屈さに嫌気も差してくる。
 そんな風に思って中々顔を上げれないでいると、紅がクスリと笑う気配が伝わった。
「やだな。どうしてイルカ君が私に謝るわけ? さっぱり意味が分からないわ」
「……え…、でも」
「そりゃあさ、ナマホモ見ちゃったからかなりの衝撃だったけど。 別に謝って欲しくてこんな話題出したわけじゃないし」
 ナマホモという言葉は、これもイルカに衝撃を与えた。
 今までそんな風に考えたことはなかったが…そうか。ホモというやつなのか、と。
 しかしイルカをホモというのと同時に、彼氏であるカカシをもホモと言っていることになる。 こうなると、紅の意図などさっぱり分からなかった。
「…じゃあ、何で…」
「分からない? 私はカカシがアナタのことを好きだって知っているのよ、と言いたかったの」
「…!?」
 イルカは目を見開いた。
 紅は余裕気に微笑んでいる。ウェーブの掛かった髪を一房掴んでくるりと指で巻いた。
「あのシーンを目撃するまでは知らなかったけど。あの後カカシに訊いたら、最初は恋人だ、 なんて言ったのよアイツ。後でただの片思いに訂正してきたけど」
「……」
 テレビも音楽も無い空間は、紅の声がほぼ占めている。
 イルカは戸惑ってばかりで、ろくに疑問を挟むことも出来なかった。
 いや、しなかったという方が正解なのかもしれない。紅の話を全部早く聞きたいと思った。
「カカシね、いつも昼食は私と食べてるんだけど、理由知ってる?」
「…いいえ」
「私はあいつに群がる女の、虫除け代わりにされてるのよ。まぁ、 世の中には見目がいいってだけであんな男に群がってくる女がたくさん居るんだから、不思議よねぇ」
「そ、そんなことは…っ、カカシさんは顔だけじゃ…」
 ない、と最後までは続けず、イルカは口を噤んで頬を染めた。
 思わず言ってしまったが、紅は変に思ってないだろうか。
「やぁだ、イルカ君たら。アイツから顔とったら何にも残んないわよぉ?」
 すると紅は、嘲るような口調を変えはしなかった。
 だからイルカは、ついムッとして反論した。
「そんなことないです。カカシさんは、優しいし頼りがいはあるし、 そりゃ常識無かったり変なとこはありますけど…、でもいい人ですっ」
 憤然としてそう言い切ると、紅は暫しポカーンとした後、やがて笑い出した。
「あはっ、やだもう、あいつがいいヤツ!? 初めて聞いたわ。冗談はやめてよね〜っ!  アイツなんて人には無関心だわ非協力的だわ冷たいわって、そういう評価しか聞かないけど?」
「…っ」
 笑われて、また何か言おうとしたが思い浮かばず、唸るイルカに笑いを収めた紅は、 急に真顔になった。
「…つまり。アナタに対してはいいひとなのよ、アイツは。それだけアナタが特別で、 好きだってことじゃないの?」
「…――」
 カカシは確かに、自分に対して最初は冷たかった。優しくなかったし、 そっけない態度ばかりだった。
 しかしそんな一年も経たない間のことを忘れてしまうぐらい、カカシは優しく接してくれた。
 誕生日と知ると、プレゼントをしようとしてくれたり。
 昨日だって。
「カカシはアナタが好き。そこは誤解しないであげて欲しいの。 昨日のことを誤解してるんじゃないの、イルカ君。私とカカシが付き合ってると思った?」
「…誤解…?」
「まぁ、こっちがその誤解を誘ったっていうのは大きいんだけど。 あの馬鹿に言い寄ってくる女って結構居るのよ。でもアイツはあんなだから、 イルカ君の言う通り常識とか無いしね。つまりは隙アリアリなのよ」
「……」
「それで、まぁちょっと…世間というものを教えてあげようとして、ね。偽デートっていうの?  む、虫除けにいいじゃない」
 少し苦しいが、まさか本当のことを言うのは紅には出来ず、嘘も方便とやらを通すことにした。 要は、昨日のはデートではないと分かってもらえればいいのだ。
「カカシは…アナタには、自分がどれだけアナタのことを好きか分かってくれてるから、 わざわざ説明する必要は無いって…そう言ってたわ」
「…!?」

『オレもわざわざ言わなくっても、管理人さんは分かってると思ってたよ』

「カカシね、街角でアナタにプレゼントしたいものを見つけたの。色んな店にいったけど、 アイツ自分のものなんて一つも見なかったくせに…アナタのことばかりで。誕生日でもないのにあげても喜んでくれるか、 なんて心配までしてたけど」

『誕生日じゃないけど、あげたら喜ぶって言ったから、オレ買ったんだ』

「……ッ」
 そんな。
 あれは…あのカカシの言葉は…。
 イルカは愕然とする思いだった。
 それでは昨日のことは、全て意味が変わってくる。

 酷いことを言った。
 酷いことをしてしまった。
 下らない嫉妬に支配されて、カカシの思いやりを踏み躙ってしまったのだ。

「オレは…」
 なんて、ことを。

「…イルカ君が悪いわけじゃないわ。あいつ、ちゃんと言わないから」
「…っ」
 イルカはぶんぶんと首を振った。
 悪くないはずがない。
 だってカカシは説明しようとしてくれていたのだ。それを早とちりした自分が途中で遮った。
 知っていたのに。
 カカシが自分のことを、大切にしてくれているって知っていたのに…!

 しかし、そこでふと、そこまで勘違いする原因はじゃあどうだったのだろうと思った。
「…あの…、それじゃあ、二人のキスシーンは…一体」
 そう問いを口にすると、紅は目を見開いて驚いてみせた。
「み、見てたのっ!? アスマと…」
「…アスマさん?」
 どうしてここでアスマの名が出てくるのだろうと、イルカは疑問府が頭に散らばった。
 一方、取り乱してしまった紅は、イルカの反応を見て、それはあの後の二人のキスではなく、 その前のカカシとの演技のことを指しているのだと気付いた。人間、 やましいものほど真っ先に思い当たるものである。
「…ああ、やだ。あれはね、芝居なの芝居。っていうか、イルカ君もあれ見てたの?」
「見てました。だからてっきり…」
「あ、あははっ、そっかぁ…アスマだけじゃなかったのね」
「オレ、アスマさんの部屋に居たんですよ。それでアスマさんが窓の外見てたから、 何だろうと思ったら…。じゃあ、その芝居はアスマさんだけに見せるものだったんですか?  どうしてですか?」
 イルカの素朴な疑問はしかし、答えるには今の紅にはキツすぎた。
「…ド、ドッキリってやつ? おほほほ。そ、そんなことよりっ、 というわけで私とカカシは何でも無いって、分かってくれた?」
「はい」
 イルカは素直に頷いた。
 これでやっと、紅も肩の荷が下りる気持ちだった。
 そして、これで借りは返したとも思った。
「そう。じゃあ、私はこれで…」
「はい。どうもありがとうございました」
 イルカは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「…オレ。カカシさんに、謝らなきゃ…」
 そして、そわそわとしだす。
 その様子を見て、紅はクスリと笑った。この様子だと、カカシの喜ぶ結果が待ってそうだ。 大体にして、二人の仲を誤解してプレゼントを拒むということは、 イルカのカカシへの気持ちがどういう種類のものか分かるというものだ。
 これにて一件落着だとばかりに、紅はスッキリとした気分だった。
 しかし、最後に確認をしておく。
「…イルカ君。どうしてプレゼントを拒んだのか、その理由はちゃんと分かってる?」
 すると、イルカは耳まで真っ赤になった。一瞬で茹で蛸状態だ。
「はい…」
 やっぱりと思い、後は当人同士の問題だと、紅は二人の件からこれ以降身を引くことにした。
 自分達が上手くいって、そのせいでカカシとイルカの仲がおかしくなったのなら居た堪れないものもあったが、 本当に良かったと安堵して、紅は木の葉荘を去っていった。

 一方イルカは、カカシの部屋に向かった。
 ノックを一応して入る。本当はしちゃいけないけど、今は特別事態なのだと胸の内に言い訳をしながら。
 そうして部屋を見渡すと、予想の内で一番可能性の高かった場所である、 ゴミ箱の中に突っ込まれたポールスミスのビニールバッグが見えた。
「……」
 くしゃっとなってはいるが、間違いなく昨日プレゼントしようとしてくれたものだ。
 イルカはそれをぎゅっと抱きしめ、「ごめんなさい」と詫びた。
 カカシはまだ戻らない。今日は部活があったはずだから、戻るのは夕方頃か。
 時計を見れば、もうすぐ四時になる辺り。まだ帰ってくるまでに時間はある。
 早くカカシに謝りたい。
 本当は、顔を合わせるのが少し怖いけれども。もしかしたらあんな酷い態度を取った自分を、 もう嫌いになってるのかもしれないから。
 それでも謝りたい。できるのなら、許してもらいたい。
 そして許してくれるのなら、このプレゼントをもう一度自分に渡して欲しいと思った。
 ここで帰りを待つのは、不誠実なような気がした。だってカカシを傷つけたのだ。

「…よし!」
 イルカは決心すると、
 ―― ずっと怖かった外へと、飛び出した。



(07.07.08up)