ひとつ屋根の下2

第27話「こーいうヤツなんですよ」





「カカシさん…っ」
 カカシの姿を目にして、イルカの胸に先ず広がったのは安堵だ。
 思わず涙が零れ落ちそうになる。
 助けにきてくれた。カカシが。
 もう、大丈夫だ。
 そう思って腕を伸ばそうとして―― けれどもイルカはそうすることが出来なかった。

 誰より傍に居て欲しくて。
 けれども誰より―― 過去を知られたくなかった人。
 カジにどんなことをされていたのか、カカシに一番知られたくなかった。
 傷に触れられることはよくても。その在り処だけは。
 あんな惨めで誇りも何もかもを踏み躙られた過去。ただ耐えるしかなかった、 怯えることしかできなかった情けなさ。
 きっと、軽蔑される。

「…あ…」
 そう思った途端に、急速に凍りつくような錯覚に囚われた。
 ひんやりと冷たいものが全身を覆い、カカシをも恐ろしく思えてしまう。

『―― あんな子、引き取るんじゃなかった』

 カカシには知られたくない。

「管理人さん」  カカシはホッとした様子で、イルカのもとへ駆け寄ろうとした。しかし。
「…こ、こないで下さい…っ」
 イルカは震えながら、全身でカカシを拒絶した。
 カカシの足が止まる。
「…管理人さん?」
 カカシは困惑した。
 どうして、自分をも拒むのだろうか。分からないが、イルカはまるで恐ろしいものを見るような目で自分を見た。
 ショックだった。
 だからカカシはそれ以上、動けずにいた。

「…君は…あの時の……、」

 カジのその声に、カカシは再びカジに視線を向けた。イルカの拒絶にあって忘れかけていたが、 この男をイルカから遠ざけねばならない。永遠にだ。
 カカシの鋭い眼差しに、カジは気圧される。
 さて、この男。一体どうしてくれようか。
 ただ痛めつけるだけでは気が済まない。イルカにしたことを一生後悔するほどの傷を刻んでやりたい。
 しかしここは町の往来で、今はひと気が無いが、全く無いわけでもない。何かの揉め事と思って、 通報でもされたら叶わない。
「や、やっぱり君は、イルカのことを知らないなんて嘘だったんだ…!」
「……え…」
 イルカは睨み合うカカシとカジを見上げ、カジの言葉に引っ掛かりを覚えた。
 それは、まるで。既に会ったことがあるかのような。
「…!」
 そう思うと、ゾクンと背筋が震えた。
(そんな…まさか…)

「ふん。お前になんか教えるわけないでしょ。怪しい奴だと思ってたけど… このひとのこと嗅ぎまわってくれちゃって。しつこいったらないね。
…もう二度と、このひとの前に…オレ達の前に姿を現すな。いいな? もう一度現れたら、 その時は容赦しない」
 底冷えのする声音で、カカシがカジにそう告げる。
 カカシの本気に、カジは震えた。だが、それでも逃げ出そうとせず、必死に言い募ってくる。
「少しでいい、オレはイルカと話がしたいんです、それだけなんです…!」
「アンタと話すことなんて無いよ」
 イルカの代わりにカカシが答えた。
「そんな…っ、オレはずっと長い間、イルカを探し続けてきた!
 去年も…お前をやっと見つけたのに逃げられた。何処の高校に行ったかも、 何処に住んでいるのかも親も教えてくれずにオレがどれだけ探したか…」
「……二度は言わない。消えろ」
 カカシはカジに対して、侮蔑に満ちた眼差しを向ける。
 そんなカカシの言葉も、カジと同じく既知であると教えていた。
 一体、何処で。
 この二人はどうやって出会って、そして何を話したのか。
 何を。

(カカシさんに…知られてしまった…?)


「…行こう、管理人さん」
 カカシがイルカに手を差し伸べる。
 けれども、イルカは一向に動こうとはしない。
「管理人さん?」
「…ど…どうしてカカシさんは…カジ兄さんのこと、知ってるんですか…?」
「…!」
 カカシは思わずギクッとして身体を強張らせた。薄暗くなりつつある中でも、 イルカにはそれが分かった。
 イルカは瞳を戦慄かせた。
「…それは、」
 聞きたくない。聞くのが怖い。
 全てが嫌になった。

「…――ッ」

 カカシからも逃れるように、イルカは駆け出した。




ひとつ屋根の下2 第26話「その人に障るな…!」





 今日ほど、自分の迂闊さを呪ったことはない。
 カカシは自身を罵倒しながらも、必死でイルカを探した。
 イルカの足が速かったことと、そして車の並が途切れた国道を横断したイルカの後を追おうとしたら、 信号が変わったらしく車の列が流れだして中々向こう側に渡れなかったこと、 辺りが暗かったことから姿を見失ってしまった。
 何処へ行ったのだろうか。
 一旦は木の葉荘に無駄と思いつつも一度立ち寄ると、 イルカが食事時なのに居なくて不審に思っていたアスマが玄関前で帰りを待っていた。
 アスマはカジの一件で、イルカが外に出ることを怖がっていたことを知っている。 それだけに不在なんておかしいと思っていたから、ただならぬ様子のカカシを捕まえ、 問い詰めてきた。
 ライドウとゲンマも、二人共出会った奇妙な男とアスマの様子に何かがあったのだろうと察していた。
 ともかく、今の状態のイルカを一人にしておくのは危険すぎると、皆で手分けして捜索を開始した。
 携帯電話を掛けてみても、電源が切られているようで掛からない。
「…あっ、カカシさんッ」
 別行動していたライドウとゲンマが、カカシを見つけて手を振る。
「どっか、友達んとこ行ったとかじゃないッスかね?」
 走っていた為、しゃべるライドウの吐く息は荒い。それはゲンマやカカシも同じだ。
 アスマとカカシはある程度の事情を知っているが、ライドウとゲンマは違う。背中の傷のことも、 カジという従兄弟から逃げている事も何も知らないはずだ。それでも理由を問うことよりも、 イルカを見つけだす事の方を優先して、ともかく今は探すことに奔走していた。
 何があったのかは分からないなりに、必死に考えてくれている。
 アスマは高校へ探しに行っていた。
「いや…それは多分無い」
 イルカはいつだって、誰かの迷惑になるのを嫌っていた。コテツにさえ、何も説明していないのだ。
 木の葉荘に戻れないなら、今のイルカに頼る場所が他にあるというのだろうか。 全く検討がつかなかったが、ふと、とある人物を思い出した。
「…そうだ。オーナーのとこは?」
「オーナーね! なるほど。電話してみます」
 ライドウはズボンのポケットから携帯を取り出すと、電話を掛けた。
「…お前、オーナーの電話番号知ってるの?」
「オーナーとはメル友ッスよ!」
 ライドウは得意げに親指を立てた。
「……」
「…まぁ、こーいうヤツなんですよ」
 ゲンマがカカシに言った。
 こういう奴って、どういう奴なんだ。ともかくカカシには、変わった奴だとしか思えない。
「あ、オーナー? オレッス。そ。…あ、そっちにイルカ行ってないッスかね? …あ、そうッスか。 リョーカイ」
 ライドウは電話を切り、「行ってないッス」と二人に教えた。
「うーん…このまま闇雲に探してもな…電車乗ったらどっか遠くに行けるわけだし」
 ゲンマが顎に手を当てて、考えこむ。そして、ふと思いついたようだった。
「…そういえば。以前カカシさんをこうして探したことあったけど、 イルカが見つけたんですよね。あの時何処に行ってたんですか?」
「え? カカシさんも家出したことあったんスか?」
 ライドウはその時まだ木の葉荘には住んでいなかったから、初耳だ。
 それにしたって『家出』という表現はどうだろうか。本当によく分からない男だとカカシは思った。
 問うてくるライドウは放置して、カカシとゲンマは話を進めた。
「あの時はバイト行ってた。で、それが終わってどうしようかと思ってたら、管理人さんが現れて…」

 確かに、あの時はイルカが見つけてくれたのだが…今思えば、どうやってあそこに居ると分かったのだろう。
 繁華街から少し離れた、寂しい道。
 いく当ても無く彷徨い歩きながら、それでも木の葉荘へと向かっていたような気がする。不思議と、 木の葉荘に戻るつもりがなかったくせに、さりとて遠くに離れたいとも思えなかった。
「…そうか」
 だとすると、イルカも同じように、そう遠くへは行ってないかもしれない。
「何か心当たりでも思い出しましたか?」
「いや…でも多分、まだこの辺りに居ると思う。もう少し探してみるよ」
「了解。ではまた」
 ゲンマとライドウの二人とまた離れ、カカシはイルカの捜索を再開した。
 あの時は…自分が木の葉荘を飛び出した時は、イルカと父親が自分の知らぬ間に会っていたことが許せなかった。 あまり触れられたくない過去を、イルカがよりにもよって父から聞いたことが腹立たしかった。 自分のことを思ってくれてるイルカを、それなのに信じられないと思った。
 イルカももしかしたら、同じような気持ちなのかもしれない。
 カジと会っていたことを、イルカには言ってなかった。
 イルカにしたら、裏切られたかのように感じてもおかしくはない。ただでさえ、 カジの件で不安定になっていたのに。
「くそっ」
 そうしてカカシが駆けていると、工事現場の前を通り掛かり、何かを思って足を止めた。
「ここは…」
 そういえば、少し前にイルカと通り掛かったことがある。
 今は作業者が不在のようで、何の明かりも無く暗くてよく分からないが、 割合大きな敷地内の奥の方に大きな土管が数本横倒しにしてあった。
 イルカはそれを見て昔を懐かしむような目をし、『子供の頃は、 親に叱られるとよくこんな土管に隠れたんですよ』と笑った。
「……」
 まだあるのかどうかも分からないが。
 カカシは張ってある進入禁止の縄を超えて、中へ入っていった。



(07.08.31up)