ひとつ屋根の下2

第29話「変わることはないぞ」





 カカシとイルカは、再び向かい合う形になって、抱き合っていた。
「は…あ、あぁ、や」
 胸の小さな粒を摘み、指の腹で擦る。
 何度も口付けて、頬や顎にもキスをし、首筋に舌を這わす。
 その全てに反応するイルカが可愛くて仕方ない。
「管理人さん…」
 名を呼べば、熱に浮かされたようなイルカの目がカカシに向く。潤んだ瞳が、 夜目にもキラリと光って見える。
「ん…っ、カカシ、さん」
 自分の名を呼ぶイルカの声が、甘く媚びているようで、カカシは興奮を深めた。
 抑えなんて、とっくに効かない。
 ずっと手に入れたかったのだ。
 今はイルカの中に入れることしか考えられない。
 カカシはイルカのジーパンのベルトを外しに掛かった。カチャカチャ、と金具が音を立てる。 次にボタンを外し、ファスナーを下ろす。ジジッ、と立てる音がいやらしく、カカシは喉を鳴らした。
 イルカはされるがままで、ぼうっとした目をカカシに向けている。ここまできて、 まさかイルカも何をするのか分かっていないはずはないだろう。
 カカシはイルカのジーパンを引きずり下ろそうと、手を掛けた。
 ――― その時。

「…おおーい、イルカ居ないのかぁーっ!?」

 アスマの声が響き渡った。
 かなり酷い話だが、カカシは今の今まで他の三人がイルカを必死に探していることを、 忘れていた。
「…ッ!!」
 自分を呼ぶ声に驚いたイルカは、咄嗟に身を起こそうとして、誤って土管に頭をぶつけた。ゴン、 と重く低い音がする。
「…ッ、たぁーっ」
「あ、声…」
 イルカが痛みについ出した声は、結構大きかった。
「…おいっ、こっちからなんか声がしたぞっ」
 見つかってしまった、とカカシは溜息をつく間も無く、イルカの身支度を整えた。
 ドタドタドタッと複数の足音が近付く。
 カカシは先ず自分が土管から這い出て、次に這い出ようとしたイルカの脇に手を入れ、 ぐっと引っ張り上げた。
「あ、ありが…わっ」
 お礼を言いかけた途中で、カカシがぎゅっと抱き締めてきたので、 イルカは慌ててカカシから身体を離した。
「……」
 さっきまで、あんなに熱っぽい目で自分を見つめて、全てを委ねていたくせに。
 カカシは全く面白くなかった。
「イルカ…ッ!」
 アスマにライドウは、目をうるうるとさせて、イルカが無事いることを先ず喜んだ。
 ゲンマはその少し後ろで、胡乱げな目をしてカカシとイルカを見ている。 そんなゲンマと目が合ったカカシは、悪びれることなくニヤッと笑ってみせた。
「…アンタってひとは…」
 ゲンマは小さく零すと、溜息を吐いた。
「すみません…、オレ…」
 ガバッと頭を下げて申し訳ないと涙ぐむイルカを、アスマが笑って肩に手を置いた。
「まぁ良かった、なんともないようで。さあ帰ろう」
「アスマさん…」
「オレ、腹ぺっこぺこ! イルカの作ったご飯食べたいよ」
 ライドウは、笑って腹をさすってみせた。
 皆の優しさに、イルカは身を震わせ、しかし晴れやかな笑顔を全開させた。
「…はいっ」
 さあ帰ろう帰ろうと、皆がイルカを囲んで歩く。
 カカシは弾かれてしまって、その少し後ろをついて歩くことを余儀なくされた。
 ハッキリ言ってつまらないが、罪悪感が多少なりともあるので文句を言うわけにもいかない。
「そういえば! カカシさん、見つけてたんなら教えて下さいよー! 全く何やってたんですか!」
 しかしそこで歩きながら、ライドウがそんなことを言った。
 イルカがピシッと固まる。
「……ご…、ごめ…ごめんなさ…」
 ガクガクと奮えながら、イルカがつっかえつっかえ謝罪を口にした。 そんなイルカの顔は夜中なので分からないが、おそらく赤くて青いに違いない。
「おいおい、何でイルカが謝るんだよ。いいんだって、お前は。おいライドウ、もうよそうぜ」
「悪ぃイルカッ、お前を責めたんじゃないんだぞっ!?」
 カカシが何も言う間も無いまま、それであっさりカカシへの責めが終わった。
「…うまい」
 決して狙ったわけじゃないとは分かっているが、思わずゲンマはそう呟いた。
 カカシは内心、不満たらたらだった。あともう十分ぐらい遅く来てくれたら良かったのに。 そう思うカカシは全く反省していない。
 アスマ達と並んで歩くイルカを見ていると、とてもじゃないが先程の様子など微塵も感じさせない。
(…でも)
 カカシは、しっかりと憶えている。
 イルカの喘ぐ声も、熱っぽい目も、感じる様も。
 続きは帰ってから。夜這いすることにしよう。
 そうでないと収まりがつきそうにない。
 そんな風に悶々としながら、歩いていた。
 最早、今のカカシには、イルカに好きになってもらえるまで堪える、 ということは綺麗にどっかへ飛んで行ってしまっていた。




ひとつ屋根の下2 第29話「変わることはないぞ」





 木の葉荘に到着すると、玄関に青葉が立っていた。
「青葉さん?」
 ここのところ、ずっと深夜までバイトをしていた青葉は、勿論この騒動も知らない。
「い…イルカッ会いたかったぞ!」
 それでも青葉はイルカを目にすると、感極まった様子で、イルカに飛びついてきた。
 それを、カカシがイルカの腕を引っ張って避けさせる。 カカシは青葉に敵愾心はあまり持ち合わせていないのだが、それでも抱きつかれるのは嫌だ。
「おのれ…畠カカシめ…」
 恨みをたっぷり込めて青葉はカカシを睨むが、カカシは何処吹く風の態だ。
「青葉、今日は早いんだな」
 青葉にアスマが話しかけた。
「ああ…もうあんな生活は耐えられんのでな…、脱走してきた」
「はぁ?」
「だってだな、お前考えてみろ。あそこにはイルカが居ないんだぞ!?  イルカの料理が食えんのだぞっ!? そんな生活耐えられるかあぁっ!!」
 よっぽどフラストレーションが溜まっていたらしい青葉は、夜中にそう叫んだ。 普段クールな青葉は、イルカが絡むと途端に馬鹿になる。
 結局はイルカ不足らしい。
 アスマは「そ、そうか」としか言えなかった。
 とりあえず近所迷惑になるので、玄関の鍵を開けて中に押し込めた。
「青葉さん、晩御飯はもう食べましたか?」
 青葉に話しかけるイルカは嬉しそうだ。イルカにとっても、青葉の不在は寂しいものだった。
 カカシは正直面白くはないが、さりとて会話の邪魔をすることはしなかった。
「いいやまだだ。大体あそこで出る食事なんてイルカとは雲泥の差でだな…」
「じゃあ、これから皆ご飯なんで、一緒に食べましょう」
 ぶつぶつと続ける青葉に、イルカはにっこり笑ってそう言った。
「……!」
 青葉は突然、鼻血を吹いて倒れた。
「わーっ、青葉さんっ! しっかり…」
「待て待て、お前は近寄るな。容態が悪くなる」
 ゲンマは冷静に、青葉に近寄ろうとするイルカを止めた。
 こんな時は、いつも決まって動くのはライドウで、「何でオレが…」 とぶつぶつ零しながらも雑巾を取りに走り、床を拭く。
「ふふ…久しぶりの天使の笑顔は…効くな」
 倒れている青葉の呟きが床を拭くライドウに聞こえた。もうこの青葉の変態(イルカ馬鹿) っぷりにはある程度慣れたライドウは、それでも「天使ってダレだよ…」 と青ざめつつ突っ込むことを忘れなかった。




 久しぶりに、というか、木の葉荘の全員で食事を作るのはこれが初めてなのかもしれない。
 イルカの指示に従って、それぞれが役割をこなしていった。
 皆で食べるにはおあつらえ向きに、今夜は寄せ鍋だった。
 ぐつぐつと土鍋が煮え始め、茶碗にご飯をよそい、各自の席に着く。
 蓋を除けて、もくもくと立つ水蒸気を中心に、皆が「いただきます」と合掌した。
「美味い。マジ美味い」
「やっぱりイルカの飯は最高だッ」
 特にライドウと青葉が感嘆の声を上げながら、みるみると鍋の中身が減っていく。
 談笑を交えて進む食事を終えた頃。
 さあ片付けようかと席を立とうとする青葉を、
「…すみません、座って下さい」
 止めたイルカは、いつになく真剣な面持ちだった。
「イルカ?」
 一体どうしたのだろうと訝しい目を向けるのは何も知らない青葉だけで、他の皆は、 薄々イルカが言おうとしていることに感付いていた。
「少し…時間を頂いても、いいですか?」
「ああ…」
 アスマが代表のように返事をする。
「今日は…本当にすみませんでした。オレのせいで…皆さん、くたくたになって…」
「イルカ…、もういいって」
「? 何のことだ?」
 ライドウがもう止めようとして、話が見えてこない青葉が首を傾げる。
「…その。…つ、つまんない、かも…しれませんが、オレの過去にあったこと、とか……、 聞いてもらって、いいですか?」
 イルカは両手をぎゅっと机の下で握り締め、つっかえながらもそう言った。
「イルカ…! 無理するな。いいから」
 アスマが制止しようとするのを、イルカは首を振って拒否した。
「いいえ…、オレは無理なんて…。オレは…、このことを知られるのが、ずっと怖かったんです。 オレは…本当は、こんなに皆さんによくしてもらえるような人間じゃ…ないんです」
「イルカ…何を、」
「いえ……そう思ってきた…っていうのが本当で…、だけど、今日、そうじゃないかもしれない、 って…思って。皆にこれだけよくしてもらって、話さないのは卑怯じゃないかとか……」

「―― そんなことは無いぞ、イルカ」

 そこで、青葉が発言した。
「何が過去にあったのかは知らんが…ここに居るのはそもそも過去に色んな傷を抱えている者ばかりだろう。 しかしそんなことを打ち明けないままでも、オレ達は一緒に暮らして、 そして…家族のようなものを作り上げたんじゃないのか?」
 皆が少なからず驚いた。
 家族、という言葉。
 それは個々に朧気に感じていたもので、だけどこんな風に皆で居る時にそう表現した者は居なかった。 しかもそれが、青葉なのだ。
木の葉荘に最初やってきた時の青葉を知る者は、アスマぐらいなものだ。 青葉は当初一匹狼のようなものであり、決して誰にも打ち解けようとはしなかった。
 しかしイルカが木の葉荘にやってきてから、随分と変わった。変態方面にも向かってはいるが、 大分木の葉荘の人間に心を許すようになった。それでもやっぱり、 イルカ以外には容易に心を開いたりはしなかった。
 そんな青葉が。
「青葉さん…」
「そして誰もが、お前のことを大事に思っている。それは過去がどうであれ、変わることはないぞ」
 照れながらでも、青葉はイルカを思って語った。
 イルカは、目にみるみると涙を浮かべた。
「青葉さん…!」
 そして、感極まったように名を呼び、席から立ち上がって青葉に抱きついた。

「青葉さん大好きですっ」

 更にはそんな特別オプション付きで。
「や…やめろっイルカッ!」
 するとライドウが真っ青になって叫んだ。
 だが、時既に遅し。

 ぶうぅぅっっ

 およそ鼻が出しうることのない音と共に、更に鼻から出るはずの無い量の血を青葉がぶちまけた。
 またもその一番の被害は、青葉の正面に座っていたライドウが被った。ライドウは真っ青になったまま、 その血の洗礼を主に顔に受けた。ポタ、としたたる青葉の鼻血がテーブルの上に落ちるのを、 無言のまま見つめた。
 イルカが抱きつき、そんな告白をした瞬間に、木の葉荘の他のメンバーは皆が青葉の死を悟った。 だから呆然として、鼻血を噴いて意識を失った青葉を見た。
「…ついに…召されたか…」
「恐らく悔いの無い一生だったでしょうね」
「そっそんな縁起でもない馬鹿なこと言ってないで、救急車呼んで下さいっ、 しっかりして下さい青葉さんっ!」
 アスマとゲンマのやり取りに、イルカが吠えた。
 そこでカカシがやれやれといった調子で立ち上がり、青葉を揺さぶるイルカを止めた。
「大丈夫だから。揺すらない方がいい」
「カカシさん…」
「アスマ、手伝って」
 アスマとカカシは二人して、頭と足を持ち青葉の自室に運んでベッドに寝かせた。
 後は、呆然としたままのライドウを、しょうがないとばかりにゲンマが血を拭ってやった。
「おいしっかりしろって。これぐらいで」
「こ…っこれぐらい? もう嫌だあのひと」
 ぐすぐすとぐずるライドウに、ゲンマはそれでも笑った。
「でも青葉さんのお陰で、いつもの調子に戻ったわけだし」
 チラリとイルカを見る。
 イルカは飛び散った血を拭いたり、青葉が心配で二階が気になってうろうろしたりした。 そんなイルカには先程の思いつめたような雰囲気は無く、いつもと同じ様子だった。
「おいイルカ、青葉さんなら大丈夫だよ。それよりこっち片付けちまおうぜ」
 ゲンマがそう声を掛けると、イルカは躊躇したが、やがて一緒に食器を洗い始めた。 ライドウは早く血を綺麗に洗い流したいとばかりに、風呂掃除を買って出てくれた。 全部自分の仕事なのに、と恐縮するイルカに、「今日は特別だ」と言って二人は笑った。
 だから、イルカも笑顔を浮かべた。

 カジがイルカに対して行っていたことを、その現場をイルカの悲鳴を聞きつけて目撃した伯母は、 それからイルカに対して冷たくなった。
『あんな子、引き取るんじゃなかった』
 そう漏らしたのを、イルカは夜中偶然にも聞いてしまった。トイレに降りてきたら、 通り掛った伯父夫婦の部屋から聞こえてきたのだ。
『…おい、そんなことを言うな。最初はお前の方が乗り気立ったじゃないか』
『だって遺産が手に入るじゃないの。ウチも何かと大変なのよ。 私がやり繰りにどんな苦労しているか、アナタだって分かっているでしょう?  でも、こんな…カジがあんなことするようになったのは、イルカのせいよ。 あの子はあんな子じゃ無かった』
 それ以上は聞いていられなかった。
 あの優しかったカジが、あんなことをするようになったのは自分のせいなのか。
 伯父夫婦の関係も悪くなるのを感じていて、イルカは罪の意識に苛まれた。
 人との関わりを絶った高校三年間。
 戸惑いながらも他に行く宛ても無く、木の葉荘の管理人をして。
 そして今は、こうして暖かく包まれて、必要とされている。
 イルカは改めて自身の幸福を噛み締めた。

 やがてアスマとカカシが疲れた顔をして台所に戻ってきて、ライドウも風呂掃除から戻ってきた。
 またテーブルに腰を下ろす皆に、イルカはお茶を淹れた。それを飲んで一息がついたころ、 イルカは宣言した。

「…オレは…カジ兄さんと、話をしてみようと…思います」



(07.10.05up)