第33話「待ってるから」
マキは相手が電話を切ったことを知ると、こちらからも切って、そして履歴を消した。
「……」
これでいいと思うのに、なんともいえない罪悪感に似たものが燻る。
「…っと、タオルと着替え…」
マキは携帯をテーブルの上に置くと、カカシのタオルと着替えの用意を始めた。
着替えといっても自分の服しかない。カカシが脱いだ服は乾燥機に掛かっているが、
乾くのにあと三十分ぐらい掛かるかもしれない。
「か、カカシくん入るよ」
一声掛けてから脱衣所に入る。隣りでカカシが全裸でいると思うと、ドキドキした。
さっきは携帯を持った手だけ入れたのだ。
マキは籠の中に、大きめのスウェットの上下と、新しいバスタオルを置いた。
「ここに一応置いとくけど、服は私のだから小さいかも」
「ああ、いい。乾燥機のやつ着るから」
「…そ、そう?」
そりゃ、確かにそれが一番いいだろう。いくら大きめといえど、女の自分のものだ。
カカシは細いようで、案外がっしりとしているし。
では、と代わりにバスローブが一つあるのを置いた。これならまだいいだろう。
「もう出るけど」
「あ、ごめん」
マキは急いで脱衣所を出た。
チャッピーは新しい毛布の上に寝そべっている。すぐ傍にヒーターを入れてあるので、
今夜はこれでいいはずだ。
「チャッピー、ごめんね」
マキがチャッピーを撫でていると、カカシが脱衣所から出てきた。
「…わ」
バスローブの格好に、肩にバスタオルをひっかけたカカシの姿に、マキは思わず赤くなった。
「…あれ、あんま驚かない? これ」
カカシがごしごしとタオルで乾かす髪は、地毛。つまりは銀髪だ。目はコンタクトを入れている。
「……うん。だって私、知ってたもん。カカシくん、ホストしてたでしょう」
「……」
「私ね、一度だけお客で入ったの。覚えてないだろうけど、私はビックリしちゃって、
ついカカシくんを指名したの。カカシくん、あんましゃべらないし、
私も妙に緊張しちゃってあんまり話せなかったけど。…でも、私はあの時から…カカシくんのこと…」
「早く入ってきなよ。風邪引く」
「……!」
それは拒絶なのだと、マキには分かった。
マキの気持ちを知りたくないのだと。興味は無いと、バッサリ切られたようなものだ。
「…カカシくん…もしかしてまだ、あのイルカって子が好きなの?」
「……」
「あんな…あんなの、普通の男じゃない。顔も十人並みだし、カカシくんに酷いことを…」
「…どうして知ってる?」
マキは思わずしまったとばかりに、口元に手を当てた。
「言えよ」
カカシは眉を寄せ、睨むようにマキを見つめた。確かに一度は会っているが、
それがイルカだとまでは知らないはずだ。マキの様子に引っかかりを覚えた。
「…な…なによ…、なんであいつのことになるとそんなに真剣になるの?
ずっと前に弓道場までカカシくんに会いに来てたのよ。私はその時に会っただけで…」
「いつ?」
イルカが会いに来ただなんて。そんなの初耳だ。
「…ええと…先週…ぐらい? その日はカカシくん部活に来なかったけど」
カカシにはそれが、探し回っていた月曜のことだとピンときた。
そういえば理由を聞いたことが無かったが、あの日は自分に会いに、外に出ていたのか。
あんなにカジに怯えていたのに。
「……」
カカシは脱衣所に戻ると、乾燥機を止めて中に入っていた衣類を出した。まだ乾いていないが、
脱いだ時よりは幾分マシになっている。着にくいそれを素早く着込んで脱衣所を出た。
「カカシくん、ちょっと」
テーブルの上に置かれた携帯を手にとると、玄関へと向かう。
「待ってカカシくん…」
それをマキは追いかけた。カカシは靴を履くと、顔を上げてマキに告げた。
「―― あのひとはオレの総てだから。今度とやかく言ったら承知しない」
「……ッ」
底冷えのする目に、マキは恐怖に慄いた。
カカシが玄関から出て行くと、マキはその場にペタンと座り込んだ。
外は未だに雨が降っている。土砂降りではなくなったが、それでも割合強く降っていた。
傘を借りなかったので、また濡れながらだが、もうどうでもよかった。
カカシは走りながら、携帯を操作した。
あまり使い慣れていないが、掛け方は覚えた。
なんだかんだで、もうすぐ十二時になる。それまでには帰れるだろうが、
電話を掛けようと思った。
すると、向こうから掛かってきた。
「管理人さん? ごめんもうすぐ…」
〈カカシさん、どこですか? 今、どこですかっ?〉
イルカの必死な声に、心配を掛けていたかとカカシは後悔した。
「大丈夫だよ。もうすぐ帰るから」
イルカのもとに。
〈まだ…あのひとのところに、居るんですか?〉
「…え?」
あのひとって誰のことだ。突飛な言葉に疑問が浮かんで返事ができないでいると、
イルカは猶も必死に言ってきた。
〈…オレ…ッ、オレ、嫌です…!〉
「…管理人さん? どうしたの? 待ってて、もうす…」
もうすぐといっても、このまま走ってあと四分ぐらいか。
雨の夜は暗くて、街灯があってもあまりよく見えない。しかしそんな中でも、
カカシは過たずに愛しい人を見つけた。
まさかとは思ったが。
だが、あれは紛れも無く。
「…管理人さん…?」
雨の向こうに、イルカが見える。
いつかの情景と重なるこれは、幻でも見ているのだろうか。
あの日のように、イルカが―― 泣いている。
泣かせたくは無い人が。
カカシはスピードを上げて、イルカのすぐ傍まで近付いた。
「カカシさん…ッ」
このまま抱き締めたら、イルカが濡れてしまう。そう思って躊躇するカカシを、
イルカは傘を放り投げて抱きついてきた
ひとつ屋根の下2 第33話「待ってるから」
雨がザーザーと降る音がする。
雨粒が身体に降り注ぎ、全身を濡らしていく。
しかしそんなことには構わずに、カカシとイルカは抱き締めあった。
「カカシさん…カカシさん…っ」
必死に抱きつき何度も名前を呼ぶイルカの濡れた髪を撫で、
落ち着けようとするカカシ自身も心臓が忙しなく動いている。
イルカが愛しすぎて、張り裂けてしまいそうだ。
「…ごめんね、心配かけて」
雨が降っていてもこうしていたい気分だったが、イルカがかわいそうに思えてイルカの身体を離し、
傘を拾おうとした。
だが、イルカはそれに抗い、カカシに抱きつく。
「管理人さん? 一先ず帰ろう」
しかしイルカはふるふると首を振る。
「どうしたの?」
戸惑うカカシを見上げるイルカの目が潤んでいるように見えるのは、
きっと勘違いなんかじゃない。イルカは泣いているのだ。
「お、オレ…あのひとからカカシさん、取り返してやろうと、思って…探してました。
飛び出したけど、家が分かんなくって」
「あのひとって誰?」
「悔しいからなんか言ってやろうとか思って」
「…?」
「あ、遊びはお前のほうだとか」
イルカは軽く混乱状態のようだ。カカシには何を言っているのかよく分からない。
「管理人さん、ともかく帰ろう。風邪引いちゃうよ」
ぐっと肩を掴んで離すと、イルカはみるみる間に目に涙を浮かべた。
「オレはカカシさんを誰にも取られたくないです…!」
「―― え」
今、なんて言った。そう思って呼吸を止めていると。
「オレは、カカシさんが好きです」
イルカは真っ直ぐカカシを見つめ、そう告白をした。
「――…」
じっと。
ただじっとカカシはイルカを見つめて、そして。
強く、イルカを抱き締めた。
聞き逃さない。聞き間違えなんかじゃない。
欲しかった言葉をやっと手に入れた。
愛しげにイルカの頬を撫で、唇を寄せるとイルカは瞼を閉じて、カカシはその瞼にキスを落とした。
目尻に、頬に。
イルカの唇から、ほぅと小さく吐息が漏れて。
その唇に唇を重ね合わせた。
暖かい、イルカの唇。その柔らかい感触。
唇を吸い、角度を変えて重ねてイルカの身体を抱く腕に力を込める。
背中に回されていた心地よい腕が、力を失い、頼りなげに震えながらカカシの服を掴んでいる。
イルカのそんな仕草に、カカシは興奮してぞくぞくと震えた。
「…好き、管理人さん。―― 好き」
禁じていた言葉を何度も囁くと、イルカはまた大粒の涙を零した。
木の葉荘に戻り、夜遅い為あまり物音を立てないように玄関から入る。
身体は濡れてしまっているが、タオルを取ってきてくれなどと声を上げるわけにもいかず、
そのまま上がって二人は脱衣所に入った。
「びしょびしょ。管理人さん、早く脱いで」
言いながらも、カカシも服を脱ぐ。
だが、イルカは脱ごうとはしなかった。
「管理人さん?」
背を向けたイルカの顔を覗こうとすると、それに気付いたイルカはまた顔を背けた。
「オレは、その…後で入りますから…」
「何言ってんの、そんなの一緒に入ればいいじゃない」
「いいです。先に入って下さい」
「…あのねぇ、オレがそんなことできるわけないでしょ。
大体アンタ受験生のクセに風邪引いちゃまずいでしょーよ」
「いいですっ」
頑強に言い張るイルカに、先程までの甘さは何処へ行ったのだと詰りたくなる。
あの甘々の雰囲気のまま、浴室でもいちゃいちゃしたかったのに。
イルカは寒そうに身震いをした。
「…ホラ、寒いんでしょ。いいから入ろう」
カカシは強引に、イルカの服を脱がしに掛かった。上着の裾を持ち上げようとすると、
イルカは抵抗した。
「…もしかして、背中を見られたくないとか…?」
まだ気にしているのだろうかと、カカシはムッとした。傷は消したのに。
するとイルカはふるふると首を振った。
「違います、そうじゃなくって…」
しかしその後は言い淀む。
一体何だと訝しんで見ていると、斜め後ろの角度だが、イルカの頬が赤いのが分かり、
カカシはもしかして…と思いついたことを言ってみた。
「…もしかして管理人さん、恥ずかしいの…?」
そんなことはないだろうと思いつつも言ってみると。
図星だったように、イルカは耳まで真っ赤になった。
「えっ」
カカシは驚いて、イルカを強引に正面に向き合えさせる。
「なんで? もう何度も一緒に入ったでしょ。今更…」
「…っ、だって、今までと違うじゃないですかっ。どーしてカカシさんは平気なんですか?」
真っ赤な顔で睨むイルカは可愛い…ではなく。そうか、
そういうことかとカカシは途端に機嫌が良くなった。
「意識してるんだ、管理人さん」
カァッとこれでもかというぐらい、イルカの顔がどんどん赤く染まっていく。
「でもさ、今更だよ。もう管理人さんの身体なんて覚えちゃってるもん」
イルカはかわいそうなぐらい見も世もなく赤くなって震えた。
二度見ただけだが、そりゃもうバッチリと覚えている。
だってそれを肴に一人寂しく処理をしたのだから。
…なんて言ったら、この初心で可愛い恋人は、どんな反応をするのだろう。
見てみたいと思ったが、あまりいじめすぎると泣きそうだったのでやめておいた。
今夜はそんな風に泣かせたい気分じゃない。
イルカは頑固な所があるので、このままでは平行線だろう。
しょうがない。
「…じゃ、お先に」
言うと、カカシは風呂場に入った。
そしてすぐにシャワーを浴びて、ものの数分で出てきた。
「…え、もう?」
「うん。管理人さん次入ったら?」
そうは言っても、カカシがここに居る以上はてこでも服を脱がないのだろう。
(…どうせ、今夜見ることになるのに)
そんな風に思いながら、カカシはさっさと身体を拭くと、
裸の身体にタオルを引っ掛けて出て行った。しょうがない、着替えは上なのだ。
イルカはカカシを待つ間に取ってきたようで、籠の中に入ってる。
出て行く手前、カカシは顔だけイルカを振り向いた。
「…じゃ。部屋で待ってるから」
「え…」
流し目で見つめると、イルカはボワンと顔をまた赤くした。
(07.11.14+07.11.20up)