第34話「恋人だもん」
待つ身は長し。
イルカはもう風呂から上がったのか、まだ浸かっているのか。それとも身体を洗っているのだろうか。
イルカの部屋で、既に布団は勝手に敷いている。
その布団の上でごろごろと転がっていると、戸が開いてイルカが姿を現した。
「管理人さん、こっち」
おいで、と手招きすると、湯上りでほこほことしたイルカの頬が更に色付いた。
おずおずと、近付いてきて膝を折る。
そのイルカの腕を取り、強引に引き寄せるとイルカの身体はカカシの上に折り重なった。
「わっ」
「やっと、手に入れた」
暖かい身体を抱き締めて、頬を摺り寄せる。
「…カカシさん」
ぼうっと陶酔したかのような目をしているイルカの顎を取り、口付けた。
くるっと身体を回転させて、カカシは自分の下にイルカの身体を横たえさせる。
イルカはうっとりと目を閉じて、カカシに身を預けた。
「…ねぇ。あの日…どうしてオレを訪ねて弓道場まで来たの?」
「…え…」
イルカは夢から覚めたように目を瞬かせて、そして頬を染めた。
「…そうだ。オレ…カカシさんに謝ろうと思って」
「謝る?」
イルカはカカシを押しのけて下から抜け出して、四つん這いのままごそごそと端の方にあるカラーボックスの中からビニールバックを手に取った。
「これ…」
そしてその中から、包みを取り出す。
見覚えのある包み。だってそれは、カカシがイルカに渡そうとして渡せなかった物だ。
「それ…」
確か、ゴミ箱に捨てたはず。
どうして、ここに。
「これ…、カカシさんがプレゼントくれたのに、オレ…実は紅さんとのキスシーンを見て」
すると、カカシは「あっ」という顔をして、慌てて言い訳を始めた。
「いや、あれは違うんだって、あれは芝居で…」
「はい。そう、紅さんが教えてくれたんです」
「…紅が?」
そんなこと、紅は言ってなかった。一体いつの間に。
「紅さん、ここに来てくれて…誤解だって教えてくれて。それでオレ、鈍くて分からなかったけどカカシさんのこと…好きだって気付いてそれでヤキモチ妬いたんですけど。
プレゼントを拒否したこと、謝りたくって…それで勝手にゴミ箱漁って取り出して、大学に行ったんです」
ああオレ、何言ってるんだかと焦った様子のイルカの言うことは、確かに理路整然とはしてないが、理解は出来た。
つまり、イルカは紅とのキスの芝居を見てヤキモチを妬き、プレゼントを拒絶したと。そしてそれが誤解だと分かって、カカシのことが好きだと気付いたと、
そういうことか。
そして謝りたくて大学へ、カカシに会いに。
「……どうせオレ、ここに帰ってくるのに」
「すぐにカカシさんに会いたくって。そして謝って、…好きだって言うつもりだったんです」
なんてことだ。勿体無い、擦れ違いさえしなければ、もっと早く告白が聞けたというのか。
しかし今聞けた言葉はどれも嬉しい。すぐに会いたかったなんて、このひとどれだけ好きにさせるつもりだろうと思う。
「…これ…カカシさんの手で、もう一度渡してもらえませんか?」
ぐぐっと目を瞑って包みをカカシの前に突き出す。
カカシはそれを手に持ち、コホンと咳払いをすると、改めてそれをイルカの前に差し出した。
「…もらってくれる? 管理人さん」
「はい…!」
イルカは顔を輝かせて、両手でそれを受け取ると、ぎゅっと胸に抱き締める。
嬉しそうな笑顔はずっと見たかったもので。どうしようもなく可愛いくて仕方ない。
それに加え、火照る頬と、潤む瞳が輝いて。
カカシはゴクリと唾を飲んだ。
さあまた仕掛けようとすると、今度はイルカが問うてきた。
「オレも質問です」
「何?」
「…マキって女のひとの家に…なんで行ってたんですか…?」
「…マキ…って、ああ…それは、」
カカシが口籠ると、イルカはムッとして睨みつけてきた。
「言えないことですか?」
「…言えないというか…言いたくないというか…」
しかしそう言うと、途端にイルカの目が涙を溜めていって眉が寄る。
「えっちょっ、タンマッ! 言うから。…マキが仔犬飼っててさ…、その仔犬目当てで」
「…嘘吐き…そんな理由なんか」
「嘘じゃないって、これ本当。ええと…昔飼ってた犬と同じパグ犬でさ。なんかこう可愛くって。で、癒されるっていうか…、まぁ、
アンタに触れられない欲求不満の捌け口っていうか」
「…触れられない? どうして…ですか?」
そういえば、とイルカは思った。
カカシは急に、抱き締めてきたりキスをしたりしてこなくなった。あれでどれだけこちらが不安になったことか。
「アンタがオレのこと、嫌いになると思ったから」
「…え…?」
「だってさ、好きでもない相手にキスとかされたりまとわりつかれたり、好きとか言われたら嫌なものだって…聞いたから」
何をと思ったが、よくよく考えるとその通りだ。普通なら、好きでもない相手にキスされたりしたら嫌なものだろう。
「…誰に?」
「紅とか…マキとか」
紅はいいとして、マキという名を聞くと腹が立つ。
しかしそれで、カカシは触れようとしてこなかったのかと納得した。
嫌われたくないなんて。
そんなことあるはずがない。
思えばカカシからキスされたり抱き締められたり、そういった行為が本気で嫌だったことは無かった。
むしろ、途中からは嬉しく感じていた。違うと思い込もうとしたけれど、嬉しかったのだ。
いつからそう感じ始めたのかはハッキリしないが…結構前から、好きになっていたのだ。
「じゃあ…マキってひととは、何も無いんですか?」
「無いよ」
キッパリとすぐに返ってきた言葉は、何よりも真実に思えた。カカシは元々嘘がつけないひとで。それにこの真摯な目を見れば、全て本当なのだと知れる。
では、やはりあれは…あの女の嘘だったのだ。
「今日はチャッピーが…ああチャッピーっていうのはパグの仔犬なんだけど。様子がおかしいって電話があって、それで病院探し回って遅くなって」
「…そうですか。お疲れ様でした」
素直に頷けば、カカシはホッとして嬉しそうに笑みを浮かべた。
「オレが好きなのは管理人さんだけ。信じてくれるよね」
「…はい」
カカシが、ぎゅっとイルカを抱き締める。
唇が重なって、イルカは幸福に酔いしれた。
このまま、ずっとこうしていたい。
そんな風に思っていると、脇腹を撫でるカカシの手の感触があった。意識がだんだん浮上していき、カカシが服の裾から手を進入させていることを知る。
「あ…っ、だ、ダメです」
イルカはカカシの手をはがそうとしたが、カカシの手を掴んでもびくともしない。
「カカシさん、や」
ここは木の葉荘で。上には、皆がいるのだ。
いやらしいことなんて出来ない。
それなのに、カカシに抱き締められて、甘く口付けられると、思考が霞んでいって全てどうでもいいように思えてくる。
重ねた唇の隙間から、カカシの舌が侵入してきて咥内を掻き回し、イルカの舌に絡みつく。ちゅく、と立つ水音がして、頭の中が真っ白になっていって、
いやらしい気持ちになっていく。
「は…、あ…」
カカシの、手が。
脇から這い上がり、ゆっくりと胸元まで撫でていく。
解かれない口付けは、酸素不足も手伝って、抵抗しようとする気持ちを根こそぎ削ぎ落としている。
頭の芯まで痺れるようだ。
「…好き」
耳元に少し低めのいい声で囁かれて、イルカは抵抗する気概を根こそぎ奪われた。
「ん…、オレも」
――― 好き。
イルカの方からキスをすると、カカシは嬉しそうだった。
カカシの両の手がイルカの胸の突起を摘む。
「…っん」
「可愛い声…」
カカシは乳首を指の腹で、くに、と押しつぶしながらイルカの耳朶を食んだ。
「やっ…、…ぁ」
もぞ、とイルカが足を動かした時だった。
「…ふぁーあ…喉乾いちまった…」
廊下を歩くドスドスという足音。
アスマだ。
その独り言と足音だけで、イルカを正気づかせるには十分だった。
「…やだっ」
イルカは思い切り抵抗して、ぐっとカカシの身体を遠ざけた。そして、カカシから身を守るように縮こませる。
「…ちょ、管理人さん」
「やっぱり、嫌です。木の葉荘の中で、へ…変なことしたら、嫌いになりますっ」
熱をも一瞬で冷ますその一言は、カカシに鋭く響いた。
まさかそんな。ここまできて。
そうは思うのに、イルカはどうにも本気のようだった。もう先程の甘い雰囲気もいやらしいムードも何処へやら吹っ飛んでしまっている。
「……」
カカシは深く項垂れる気持ちで、イルカの部屋を出て行こうとした。
すると。
「あ、そうだカカシさん。お腹空きませんか? ご飯食べましょう」
とても健康的にイルカが笑って言う。
「……」
カカシはイルカのご飯を食べたくて、何も食べずに我慢していたが、空きすぎてしまったのかもう今は空いてないし、ちっともそんな気分じゃない。
失恋したわけじゃないが、傷ついているのだ、これでも。
「…ハイ」
なのにイルカには逆らえない。イルカが作ってくれたご飯を無駄には出来ない。
「じゃあオレ、温めてきますっ」
イルカはカカシが頷くと、嬉しそうに台所へ向かった。
部屋に残ったカカシは、ガクリと膝を折り、両手を畳について項垂れた。
その夜、カカシはアスマを呪いながら、中々寝付けなかった。
ひとつ屋根の下2 第34話「恋人だもん」
「…そんなわけで欲求不満なんだけど」
紅は、目の前に座る阿呆を一瞥だけして、再びうどんを勢いよくすすった。その拍子に汁が飛ぶが、一向に気にしない。
「紅、汚い」
阿呆が顔を顰めて文句を言うが、それでも気にしない。むしろ掛かればいいと思い、一層勢いよくすすった。
全く、くっついても言ってることが変わらないのはどういうことだ。
「キスしたらうっとりするし、甘えてもくるくせに、乳首触った途端に嫌がんだよ、どう思う? 気持ち良さそうな顔しといてさ。で、最後までがダメだってんなら、
口でしてって言っても怒んのよ」
いや、グレードアップしている。阿呆さ加減も。
「あーあ…オレ、このままじゃ…」
箸を持つ紅の手が、ピクリと動く。
まさか、やらしてくれないから浮気しようかな、じゃないだろうなと不穏に思っていると。
「…強姦しそう」
カカシのその一言に、
「…のセクハラ野郎がッいい加減にしろッッ!!」
遂に紅はキレた。
「…紅ってさ、アスマと上手くいってないわけ? それともカルシウム不足?」
紅が公衆の面前で怒鳴りつけたって、まるで堪えてないのか食後もカカシは紅の後ろについて歩いた。
これだから、友達のいない奴は。紅はそう思って溜息をついた。イルカとのことを話したいが、他に話せる奴がそう居ないのだろう。だからって、
紅だって聞きたくない。
しかしそうか、と思う。このしつこさで、イルカを落としたのか、と。二人が上手くいったことは正直嬉しいが、その後のこの惚気なのか嫌がらせなのか、
カカシの口をどうにかして欲しい。
そんな風に思いながらも、結局紅はカカシに付き合ってやった。
場所を学内のもう一つのカフェテリアに移す。
冬の寒さが染み入る今日この頃。紅はアメリカンを、カカシはブラックを飲んだ。
「…クリスマスイブなんだけどさ。あのひと、どんなにごねたところで結局ナルトって家庭教師先の子供の家に行くって言い張って聞かないんだよね」
「アンタはアンタで、例の財閥のパーティがあるんじゃないの?」
「そうなんだけどさ。折角連れて行こうと思ったのに…」
ぶつぶつと唇を尖らせて不満を言うカカシは、サスケに誰か連れてこいと言われたものの、その相手が他には結局思い浮かばなかった。
ゲンマとライドウはバイト。全く働き者だ。青葉は誘う気にはならなかったが、どうやら彼もバイトがあるらしい。
あとアスマと紅は。
「…紅はアスマとデートだよね」
アスマは友達とパーティだとか言っていたが、実はそういうことなのだろう。紅の頬が僅かに赤くなったことがその証拠だ。
「何よ。アスマに聞いたの?」
「…ま、ね」
そういうことにしておいた。アスマの奴…と紅は怒っているが、どうして隠そうとするのかさっぱり分からない。二人共大手を振って付き合えばいいのに、
コソコソとして。
「……」
イルカは隠そうと言った。木の葉荘の住人にも、知られたくないと。そう言うイルカは、実は皆既に知っているということを知らなかった。
あれだけあからさまに今までと違う甘い雰囲気を作っていて、バレないと思っているのだろうか。
―― 男同士って、そんなにダメなものなのだろうか。
一度そう問うと、イルカは気まずげに俯いた。
「…そういうわけじゃ…なくて…」
「じゃあどういうワケ?」
木の葉荘の中でえっちなことを禁止されて、それでもキスだけは許してくれたがカカシは不満たらたらだ。
片想いの時の殊勝さはどこへやら。両想いになった途端、以前のようにいやそれ以上に強引になってきて、イルカを困らせることもあった。
「だって、オレは管理人なのに…そういうのは…」
「誰もアンタのこと管理人だなんて思ってないよ」
そう言うと、イルカは思い切り傷ついた顔をした。
「…いや、なんていうか…あいつら管理人さんのこと、弟みたいだって言ってたよ。ほら、アンタが前に家族みたいだって言ってたのと同じことじゃない?」
フォローをすると、途端にイルカは機嫌が戻る。単純なもので、嬉しそうに「そうなんですか?」なんて頬を染める姿は「襲って下さい」と言っているようだ。
「確かにオレも…お兄さんみたいだなって思ったりとかしてます。アスマさんは頼りになる長男で、ゲンマさんやライドウさんは歳の近いお兄さん、みたいな?」
「ふぅん…。青葉は?」
「青葉さんはちいにいちゃんって感じ」
どこがだろう。そう思ったが、カカシは黙っておいた。
イルカの部屋、机を囲んで座っていたが、ずい、とイルカに身体を寄せて、
「…じゃあ、オレは?」
と問うと、イルカは頬を染めて僅かに身を引く。それを許さずに、肩を抱いて引き寄せた。
「オレは、まさかオニイチャンなんかじゃないだろうね?」
「そりゃ……」
「何?」
イルカは赤い顔で眉を寄せて、困った顔をしてカカシを見ていたが、少し目を伏せて言った。
「…カカシさんは…オレの、恋人です」
思い出しただけで体温が上昇するぐらい可愛いイルカは、しかし押し倒すと殴る手の早い生き物でもあった。
「…いい加減諦めて、やらしてくんないかな…」
ハァ、と切ない溜息を吐くと、紅は軽蔑の眼差しで「このケダモノが」と吐き捨てた。
「まったく…男ってのはどうしてすぐにしたがるのかしら」
「アスマも言い寄ってくる?」
またも物凄い目で睨まれて、それ以上追求するのをやめた。二人のことはどうでもいいのだ。問題は自分達のことで。
「あーあ…クリスマスの夜は木の葉荘でパーティだってさ。あのひと、ちょっとずれてない?」
「アンタに言われちゃねぇ…」
イルカに同情を禁じえない。
「イブイブなんかは?」
「ダーメだってさ。ガキの為にケーキ作るんだって」
「あら、そんなのも作れるの?」
「いいや。作ったことないから一日掛けてやるんだってさ。…あーあ、そんなもん買えばいいのに」
不満ばかりぼやいていたカカシは、しかしそこで少し嬉しそうに口元を緩めた。
「で、文句言ってたら、イブの夜、パーティの後落ち合うことになった」
「…良かったじゃない」
なんだ、結局惚気かと思ったら、カカシはまた顔を曇らせた。
「それがさ。今からじゃどこのホテルも満席だった。なんだって世間はイベント事が好きなのかね」
「お前が言うな」
折角、イルカの誕生日にホテルでディナーが潰れたことを教訓に、先立って予約を取ろうとすればこれだ。まだクリスマスまで一週間はあるというのに。
「…何よ。どうせ紅は予約取れてんでしょ」
そうカマを掛けると、図星だったらしい紅を般若の相に変えてしまったカカシだった。
「…お前はデリカシーが無いだの、もー散々」
「…まぁ、そりゃ旦那が悪いですよ」
カカシはゲンマの部屋に訪れて、紅との愚痴を言った。イルカには流石に言えない。紅にそんなことを喋っているのがバレたら、暫く口をきいてもらえないだろう。
「そーかな。別に隠す必要無いと思うんだけど」
「女の人はそういうの、恥ずかしいものなんですよ」
「あの紅が恥ずかしいねぇ…」
「…オレには、そうやって堂々としているカカシさんが羨ましいですよ」
ゲンマの顔を見れば、本心から言っているようだと分かる。
二人少し離れてベッドに腰掛け、見てないテレビがついている。ゲンマが表紙のファッション誌が畳の上に落ちていたので、拾って何の気なしに捲ってみた。
「そーいやバイトって、女?」
「いえ。そっちの仕事です」
雑誌を指差す。モデルの方の仕事らしい。
「へえ、イブにも撮影か何かあんの?」
「ええ…この業界じゃ、そういうの関係無いですよ」
「ふぅん。モデルを本業にでもすんの?」
「そんなこと考えちゃいませんね。こんなの、バイト料がいいからやってるだけですよ。カカシさんもどうですか? 良かったら紹介しますけど。きっと即決ですよ」
「いやいい」
イルカと一緒の時間が減る。
「そう言うと思いましたよ」
ゲンマはすんなり引き下がった。言ってみただけ、というやつだ。
「…お前さ…、好きな子が居るならデートクラブみたいなバイトは辞めたら?」
「うっわ、デートクラブってきっついですね。ここの住人は皆言うなぁ。…別に一緒に遊びに行ったりするだけで、キスとかその他諸々するわけじゃないんですよ。
それにオレ、好きな子なんて居ませんよ」
ゲンマは笑って言った。だが、カカシは好きな子が居ないというのは嘘だろうと思った。堂々としているのが羨ましいと言ったゲンマには、
そういったことを隠している相手がいるのだろうと窺えたからだ。
「カカシさんて、案外まともなこと言うんですね」
「何それ。オレは好きになった人以外に割く時間は無いね」
「イルカも愛されてるなぁ」
焼けますね、と冷やかす男は楽しげだ。
「…まぁ、オレもデートのバイトはもう辞めますけど。この頃はモデルの方が忙しくてそっちは断りまくっててやってないし、モデルの方が稼ぎが良くなってきたんで」
そういえば、ゲンマのバックグラウンドはよく知らない。
笑う男はどこか食えない所があって、本心が読めないところがある。表面とは別の顔を持って、何かを隠しているのだろうが、カカシはそれを詮索する気にはならなかった。ゲンマはいい奴だと分かるし、
人それぞれ言いたくないことぐらいはあるだろうと思う。それにそこまで、この男に対して興味は無い。カカシのアンテナは、
結局の所イルカに向かってしか伸びてはいないのだ。
「…あ、そうそう」
ゲンマは呟くと、ごそごそとベッドサイドの引き出しを漁って、手の平サイズの包みを取り出した。
「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼントってことで」
「へえ、何?」
まさかゲンマからプレゼントを貰うとは思ってもみなかった。開けてみると、長方形の箱が一つ入っている。
「……」
「ローションですよ。男同士なら必須かなと」
本当に読めない男だと思った。
十二月二十三日。
イルカは昼過ぎから、小麦粉やら卵やらをテーブルの上に置いて、奮闘を始めた。なんと一緒に紅も作ることになって、二人でああだこうだと楽しそうにやっている。
甘ったるい匂いを嗅ぐと胸焼けがしそうで、カカシはつきまとうことを辞めた。
せめてイルカの部屋でごろごろしていると、インターホンが鳴って来客を告げた。
イルカの部屋には、来客が誰だか分かるカメラの映像が見えるようになっている。その画面を何の気なしに見ると、知らない顔の男だった。普通の顔立ちで、多分同じぐらいの歳だ。
はーい、と言いながら、イルカが部屋の前の廊下を走っていく。そしてそのまま中々戻ってこない様子に、カカシはどうしたのだろうと気になって、身を起こした。
玄関に向かえば、訪れた男とイルカが楽しそうに談笑していた。
カカシは一気に面白くなくなって、ずいと出た。
「…誰?」
胡乱気に男を見ると、イルカは別段カカシの不機嫌に気付いた風も無く、「アスマさんのお友達の、フウトさんです」と紹介した。
「ども。カカシ君…だよね。有名だから知ってるよ」
「はぁ…。アスマは?」
アスマの友達が何故アスマではなくイルカと談笑するのか。アスマを呼んでさっさとイルカは台所へ戻ればいいのに。
すると、男の上着のポケットから、「にゃあ」と鳴き声がして、小さな顔を出す。白い仔猫だ。
「いえ…アスマに用ってんじゃなくって、ぶらっとこの辺散歩してたんでイルカにオレの猫見せに来たんですよ」
イルカと呼び捨てにするのを聞き、カカシのコメカミがピクリと引きつる。
「たまに、会わせてくれる為に連れて来て下さるんです。な、チロ」
イルカはフウトから仔猫を手渡され、嬉しそうに笑って頬擦りをした。
「……!」
そんな、写真に撮りたいぐらい可愛い顔をこんな男の前で。
しかも、たまに来るだと?
カカシは握り締めた拳をわなわなと震わせた。
「オレの家、チロ以外にもう一匹猫飼うことになったんだ。明日届くんだけど、見においでよ。アメリカンショートヘアですっごく可愛いんだぞ」
「えっアメショ!? うわあ、見たいですっ」
イルカはキラキラと目を輝かせた。
「…ダメ。絶対ダメ」
そこでカカシがダメ出しをすると、二人は驚いたようにカカシを見た。
「カカシさん?」
「行かせない」
この男も危険だと、カカシの直感が告げる。
猫でつろうだなんて、なんて奴だ。
イルカは困ったように笑って、フウトに言った。
「すみません、カカシさんって人見知りが激しいんですよ。でも慣れれば大丈夫なんで」
「はぁ…」
フウトは不思議そうにだが、一応頷いた。
一方カカシは、また人見知りで片付けようとしているイルカに腹が立った。
怒った様子のカカシに気付かないわけもなく、イルカはチロをフウトに返した。
「明日は学校があって、その後用事があるんで…すみません。あと、オレ今お客さん他に来てるんで」
「あ、そーなんだ。残念。じゃあまた連れてくるよ。そうかいつでもいいから遊びに来なよ」
ダメ、とまた言おうとしたカカシの手を、イルカがこっそり握った。
「はい、また」
「じゃあ」
フウトはあっさりと帰っていった。
イルカはフウトが出て行くと、手を離してむうっと眉を寄せた顔でカカシを見た。
「もう、カカシさんったら。どーしてああいうこと言うんですか。感じ悪いでしょう」
「悪くてもいいじゃない。あんなのと仲良くする必要無いでしょ」
「カカシさんに無くてもオレはあるんです。大体アスマさんのお友達なんですよ」
「だったらアスマと仲良くしてりゃいいでしょ。何でアンタまで仲良くする必要あるの」
「フウトさんはいい人だからです。チロが可愛いからです」
ああ言えばこう言う、の応酬だ。
「…じゃあ、猫を飼えばいいじゃない。だったらもう必要無いでしょ」
「…猫じゃなくって、犬を飼うつもりです」
「なんなのもう。そんなにオレに反抗したいワケ?」
イルカ自体に苛々してくる。どうしてこの気持ちが分からないのか。
なのにイルカも怒っているようで、更に眉間に皴を寄せた。
「カカシさんは勝手です…! 自分だってチャッピーが可愛いからって、あの女の家にしょっちゅう行ってたじゃないですか!」
そう言われて、カカシはぐっと詰まった。
「…もう行ってないよ」
「今はそうでも、ずーっと行ってたじゃないですか。そんなカカシさんにオレを詰る権利なんてありません」
「ある。恋人だもん」
カカシは伝家の宝刀を手に入れたのだ。
言うと、イルカは顔を真っ赤にして、キョロキョロと辺りを窺う。
「…あの女の人はカカシさんのこと…好きだったでしょう。オレの場合とは違います」
「違わなくないよ。あいつもアンタ狙いに決まってるでしょ」
イルカは一気に呆れた顔でカカシを見た。
「……どうやったらそう思えるんですか…もう。そんな物好きじゃないですよあの人は」
「管理人さんが分かってないだけで、そうなの。オレには分かる」
「なんでですか」
「オレがアンタのこと、好きだから」
また、真っ赤になる。イルカはころころと表情を変えるのに忙しい。
「…カカシさんはどうしてそう…」
唇を尖らせながらも、イルカはカカシにそっと近付いた。カカシはそんなイルカの腕を引いて、抱き締めた。イルカは抗わずに、カカシに頭を寄りかからせる。
「オレはアンタのこと好きだから、どんな小さい虫だって寄せ付けたくないよ」
「だからフウトさんはそうじゃないですって。…それに、それならオレだって…」
「…?」
「…犬は…パグ犬を飼おうと思ってるんです」
「え…?」
イルカもパグ犬が好きだとは思わなかった。
素でそう思ったカカシには、イルカを責める資格なんて無い。
「だから、もうどっか行ったりしないで下さいね」
そこまで言われて、やっとイルカの真意を悟ったカカシだった。
嬉しい、という感情が胸の中にひしめいている。熱くなって、だけど少し切なくて痛むほどで。
抱き締める腕に力を込め、イルカの頬に頬擦りをした。
「んっ」
「行かない。だから管理人さんも行かないで。猫も飼おうよ」
「カカシさん…」
ちゅ、と頬にキスを一つ。
見る見る間にその頬が熱を増す。
だけどイルカは怒ることなく、逆に瞼を閉じた。
カカシは嬉くて、今度は唇に軽くキスをした。まだ強請るようなイルカに、カカシは何度も唇を重ねる。ちゅ、と軽く啄ばむようなキスから、
次第に長く重ね合わせて。
「…あーらーたいへーん、イルカ君はまだかしらー?」
しかしそこで、わざとらしい大声が台所から聞こえた。
「っ!」
イルカは一瞬で夢から醒めたような顔になり、カカシから離れて唇を手の甲で拭った。そして、急いで台所に戻っていった。
「くそ…紅め」
カカシは憎々しげに呟いた。
「す…すみません」
イルカは台所に戻ると、赤い顔で紅に詫びた。
「あらぁいいのよ。お客さんだったんでしょう? ごめんなさいね、大声出しちゃって」
「いいえっ、どうされたんですか?」
「それはねぇ…コレよ」
紅は、大きなオーブンからケーキ型を取り出した。
「わあ」
「ね、綺麗に焼けたでしょう?」
そんなに型崩れすることなく、いい色に焼けたスポンジを見てイルカは喜びに目を輝かせた。
「さあ、これは次にどうしたらいいの?」
「ええと…冷めるのを待ってですね…」
イルカは必死に料理の本を見つめ、たどたどしくも次の指示を出す。
そんなイルカを見つめ、先程のカカシと一緒に居た、カカシの腕に抱き締められていた時の表情が嘘のようだと紅は思った。
カカシといい、イルカといい。二人の世界というか―― あんなに幸せそうな顔をして。
このイルカでも、甘えてみせるものなのかとか、結構驚いた。
いつまで玄関で続けるつもりなのかと、つい邪魔をしてしまったが。
カカシもイルカも、どっちも互いにベタ惚れときたかと、紅はしみじみ思った。
アスマは他人の事情などを紅が聞いてもあまり教えたりはしないが、イルカも何かしら辛いことがあった程度には知っている。幼い頃に両親を亡くし、
一人で生きていたというぐらいだから何かと苦労があったのだろう。
(…まぁ、でなければこんな良いコにならないか)
カカシは良い子になど育たなかったが、それなりに色々とあったぐらいは知っている。
だから、二人がこのまま幸せになってくれるといい、と紅はひっそり願った。
このまま。
何も起こらなければいい、と。
(07.11.26+07.12.03up)