第36話「オレがいるから」
どうぞ、とイルカが通されたのは、今まで入ったことの無い客間だった。一階の一番奥の部屋。いつもはナルトの部屋だったから、
なんだか同じ家なのに新鮮な気持ちだ。
十畳ほどある広さの客室には真ん中にガラステーブルがあって、それを取り囲むように黒のソファがある。そこに座ると、ふわんと沈んだ。大分良いヤツだ。
しかし、イルカは怪訝に思った。
パーティのはずなのに、それらしい飾りは無いし、料理も見当たらない。
ピアノが部屋の隅にあって、その上に置時計がある。まだ七時にはなっていないせいだろうか。イルカはチラリと自分の携帯を見た。やはりまだ時間になってない。
あと数分あるしまだナルトも戻ってないせいだろうと思いながら、携帯をズボンのポケットに戻した。
「お待たせしました」
カブトが客室に入り、お盆の上にはいつも出してくれるのと同じく飲み物が乗せてある。オレンジジュースだ。
コトンとイルカの手前のテーブルに置かれて、「ありがとう」とイルカは礼を述べた。しかしそのジュースには手をつけず、イルカはソファから身を起こそうとした。
「あのさ、料理とか運ぶの手伝おうか? 確か、家政婦さんが作ってくれたんだっけ」
「いえ、イルカ先生はお客さんですからね。もうすぐナルトが帰ってくるから、二人で運びますよ。大した量じゃないからすぐに運び終えれます。…さ、どうぞ気にせず飲んで下さい」
「でも…、今運んどいたらナルトが帰ってきてからすぐ始められるし」
「…生憎ですが、台所に客人は入れないのがこの家のマナーなんですよ」
カブトのたしなめるような言葉に、イルカは頬を赤くした。
「そ、そうか…悪い」
イルカは再びソファに身を沈め、所載無さげにしていたが、やがてジュースに手を伸ばして、それを飲んだ。
微かに苦味を感じて、イルカはつい小首を傾げた。
「…どうしました?」
「あ、ああ…なんかちょっとだけ苦く感じたからさ。一〇〇%果汁とかだからかな。オレ、あんまり飲みなれてなくって」
イルカは気恥ずかしげに頭を掻いた。
「へえ…苦味を感じるんだ。良い舌してますね」
クスリと笑うカブトを、イルカは何だか感じ悪く思った。
「お前も座ったらどうだ?」
ずっと突っ立ったままのカブトを促せば、そうですねと頷いてカブトはイルカの向かいに腰を下ろした。
ナルトはまだかな…とそればかりが気になるイルカは、ふと、ぐにゃりと視界が揺らいで目を擦ろうとした。
だが、腕が持ち上がらなかった。
「…え……?」
そればかりではない。
身体の芯がまるで無くなったかのように、感覚が薄れていって、イルカはポスンとソファに倒れこんだ。
「…? な、に…?」
どういうことか、身体が麻痺したように言うことを利かない。
「―― 効いてきましたか…薬が」
カブトの声がする。
けれども姿が見えない。確か目の前に座っていたはずなのに。
そう訝しく思っていたら、誰かの手が頬に触れた。
つい、となぞる冷たい指先に、鳥肌が立つ。
「ふむ…。手足が痺れたように動かなくなるけど、触覚はある、と。説明書通りだ」
「…カブト…?」
「喋ることも可能。聴覚も正常のようですね。これも効能通りです。―― 良い実験結果が取れそうですよ、イルカ先生」
これでも医学の道を目指してまして、と笑う。
カブトが何を言っているのか、分からない。
分からないが。
…恐ろしくてたまらなかった。
「いい表情です。流石にイルカ先生も、勘付きましたか」
「…や…め…」
怖くて、上手く舌が回らない。
逃げたいのに身体がまるで言うことを利かないでいる。
携帯に手を伸ばすことも出来ない。
「そんな心配しなくても、すぐに済みますよ。説明書通りなら、あと三十分もすれば後遺症も何も無く元通りに動くようになります。そしてその三十分もあれば、
オレの本来の目的も果たせる」
「……っ、こんなことして…どうなるか分かってるのかっ」
カブトはイルカの顎を掴んだ。
「どうなるんでしょうね…。あの男に知られたら、殺されるかな。イルカ先生、チクリます?」
「…ッ」
あの男とは、カカシ以外に無いだろう。
カカシになど。―― こんなこと、言えるはずがない。
ニヤリと笑うカブトの顔が見える。
こんな男だったなんて。
カカシは何度も忠告してくれていたのに。どうして信じようとしなかったのか。カカシがこのことを知ったら…きっと呆れ果てて、嫌われてしまう。
「どうせ何度もあの男とヤッてるんでしょう? 一度ぐらい、他の男もつまみ食いしたって罰は当たりませんよ」
「ふ…ふざけるなっ」
身体が動けない。こんな逃げることの出来ない状況で、イルカはカブトを睨みつけるだけが精一杯の反抗だったが、
それも恐怖に負けないように叫んでいるに過ぎない。
こんな男になど、触られたくない。
この身体は、カカシのものなのだ。
『…うん。オレの付けた傷しか、ここにはもう無いよ』
あの時から。
過去ごと抱き締めてくれたカカシのものなのだ。
睨み付けるイルカに、カブトは余裕の態でイルカの口に無理矢理タオルハンカチを詰め込んだ。
「ふ……っ、ぐ」
「舌噛まないように、念の為にね。あといい加減喚かれるのも煩いし。…好い声が出そうになる辺りで、外してあげますよ」
カブトがイルカの身体の上に乗り上げ、柔らかなソファが二人分の体重に沈む。
「ちょっとやりにくいけど、場所を移すのも面倒だしね」
「ふ…ふ…っ」
「イルカ先生って賢いと思ってたのに…もう無駄だって分かってるんでしょう? 諦めて一緒に楽しみましょうよ」
ククク…と喉の奥で嗤うカブトは、眼鏡を外してガラステーブルの上に置いた。
ジャンバーは部屋に入った時に脱いである。
カブトはトレーナーを脱がしに掛かった。無抵抗な身体は、すぐにカブトの思い通りになる。ソファの下に、イルカのトレーナーが落ちた。イルカの上着は後、
Tシャツだけだ。
次にカブトは、ズボンを脱がそうとした。カチャカチャと音を立てて、ベルトを外している。
「…ふ…ぅ」
イルカの目尻から、涙が流れ落ちた。
「好い顔ですね…。そうか、涙腺も正常…と」
カブトは興奮したように息を吐き、イルカを覗き込んだ。
涙をふき取る指先を、首を振って抗うことさえできない。
その時、イルカの携帯の着メロがこの空間に鳴り響いた。
「うん? 携帯…煩いなぁ」
ごそごそとカブトはイルカのズボンを探り、携帯を取り出した。それを見もせずに、ぽいっと投げ捨てる。カツンと音を立てて、携帯が床に落ちて転がった。
ひとつ屋根の下2 第36話「オレがいるから」
カブトはゆっくりと、イルカの服を剥ぐ。
じわじわと、イルカの精神を追い詰める為だ。
「いや…全部脱がせるのも面白く無いですね。折角だし、レイプっぽいのはどうですか?」
何を言っているのか、これは十分レイプじゃないかとイルカは睨んだ。
予想通りの反応だったのだろう、カブトは気を良くしたように嗤っている。
ぐぐ、とイルカのTシャツをたくし上げ、胸元を晒させる。
「結構白いんですね」
さわ、とカブトの手がイルカの胸板を撫でた。気持ち悪いのに、顔を背けることもできない。
床に投げ落としたズボンを拾うと、カブトはまた穿かせようとして足を持ち上げる。何をするのかと思えば、片方の足のしかもふくらはぎの部分まで穿かせた。
「これもいいけど、両足の方がいいかな…ふふ」
まるでおもちゃを扱うように、検分しているカブトは反吐が出るほどの変態だ。
結局両足に引っ掛けるとやり辛いらしく、片足に引っ掛けさせることで満足したようだ。
「手はこう」
イルカの腕を取り、両腕を頭の上でまとめ、外したベルトを巻きつけさせる。
「なかなかいい眺めになってきましたよ」
「…ぐ…、ふ、ぅ」
こんな男にいい様にされているのが、悔しくて溜まらなかった。泣きたくなんかないのに、ポロポロと零れ落ちていく。
「本当にいいですね…イルカ先生は。そうやってあの男もたらしこんだんでしょう。いやらしい」
カブトは次に、イルカの下着に手を伸ばした。
「ふ…っ、ふ、ふ」
「そんな興奮しないで下さいよ。ちゃんと触ってあげますから」
嫌で呻いているのを知りながら、カブトはそう言って笑ってみせるのだ。
「ふふ…さてここは、ちゃんと反応するんでしょうか」
太股からすす…と手を撫で上げて、下着の中に侵入しようとした所、―― 家内の電話が鳴り響いた。
「…うん? 誰だろう。ナルトか?」
出ない訳にはいかないようで、カブトは面倒臭げに身を起こすと、部屋の端にある電話を取りに向かった。
「…もしもし?」
受話器を取ったカブトが、驚いた顔をして固まった。
「…カブトか? そこにイルカ先生居るよね?」
怒気を隠そうともしない、カカシの声。
それが電話を取った相手に放った第一声だ。
向こうからの返事は無い。
「代わってくれない?」
カカシは付き人が運転するリムジンに乗り、ナルトの住所をすぐに割り出させて電話番号も調べさせた。車についてある電話で掛けている。
向こうにはディスプレイに『公衆電話』と表示されるものだ。
電話の向こう、カブトが緊張しているのが伝わってくる。
「…どうしたの? いるんでしょ、そこに」
〈……いえ…イルカ先生は、今日は来られていませんが〉
「嘘ついてんじゃないよ。そこに居るのは分かってる。…なんせイルカ先生には、発信機が付けてあるからね」
勿論、嘘だった。
しかし向こうはそう思わないだろう。
〈…居ませんよ。勘違いじゃないですか?〉
「…あ、分かっちゃった? 勿論、発信機は嘘。そっか、分かった。リョーカイ。…じゃ、ナルトに代わってよ」
イルカはやはり居る。そうカカシは確信した。
ただここで追い詰めるのは得策じゃない。イルカがどんな目に遭わされるか分かったものではないからだ。とにかく今は、
カブトが何かしようとしている手を止める、時間稼ぎが必要だった。
〈ナルトも居ません。今はオレ一人です。それじゃ〉
ツー、ツーとつれない音が響く受話器を、カカシは元に戻した。
「切られちゃった」
これではもう一度掛けた所で、今度は留守電になるだろう。
でも、もういい。
「…カカシ様、もうすぐです」
「ああ」
見覚えのある景色。次の角を曲がったら、そこがナルトの家だった。この有能な付き人は、ここまで裏道を抜けて最短距離で走ってくれた。
「…ありがとう。助かった」
「いえ。それでは…一応私はここでお待ちしております。警察には…?」
「いい。後が面倒だ」
ナルトの兄なのだ。引き裂いてやりたいぐらいだが、ここは穏便に済ませねばならない。
イルカが無事だった場合の話だが。
車が止まり、ドアが開く。
「すぐ戻る」
言いながら、カカシは車を降りた。
「…くそっどうして…!」
受話器を置いた後、カブトはらしくなく感情的に憤っている。
イルカには電話の相手が、カカシのように思えた。
きっとカカシが助けに来てくれる。そう信じていることが、今まで抵抗を諦めなかった原因なのだ。
カブトは指の爪を噛みながら、何やらぶつぶつ言っている。
しかしやがて、イルカのもとまで戻ってきた。
「…アンタの彼氏ってどれだけ心配性? まぁいい…、ここまできたら口封じの為にも、アンタを犯しておかないと」
「ふ…っ」
「写真撮影もしてあげますよ。いつ来るか分からないから残念だけどさっさとやりましょうか」
先程までの悠長さは消え、カブトはイルカの上に覆いかぶさると、足を広げさせて折り曲げ、その間に自身の身を入れた。
手を下着の中に突っ込んだ時、家のインターホンが鳴り響いた。
「…ちっ」
舌打ちしたカブトに、これはカカシなのだと分かった。
カカシが、来てくれた。
「安心するのは早いですよ。玄関には鍵が掛かってます。このまま出なければ良いだけですからね」
だが、そうではなかった。
ガッチャーン、と派手にガラスの割れる音が鳴り響いた。
「な…」
客室のカーテンが揺れて、人影が差す。
「―― ビンゴ」
カカシの声だ。
イルカは安堵に、涙をまた流した。
窓を割ったことでセキュリティ会社の音が鳴り出す。
カブトはイルカから身を起こした。
ひらりとカーテンが大きく揺れたかと思うと、カカシが部屋に降り立った。
「…ひっ」
今度はカブトが恐怖に声を上げた。
カカシは部屋の様子―― ソファの上のイルカにも一瞥をすると、カブトに燃えるような視線をぶつけた。
「オレを本気で怒らせたな…」
「な…何をッ、ふ、不法侵入だぞ! 出て行け!」
「強姦未遂がよく言うね。警察が来て困るのはどっちだと思う?」
「……ッ、これは実験ですよ…」
「そう。じゃあオレも実験していい?」
言ったが早いか、カカシの右ストレートがカブトの顔面に見事ヒットして、カブトの身体が吹っ飛んだ。
ズサッと床を滑る。呆気なくカブトは気絶した。
「オレのパンチも中々のもんだね」
こんなものじゃ済まされないぐらいに、腸が煮えくり返っているが…もうすぐセキュリティ会社から人がやってくる。
「管理人さん、大丈夫?」
口に銜えさせられていたタオルハンカチを取ると、イルカは咽たがやがて落ち着いた。
「カカシさん…、薬で身体が動かないんです」
「何の薬?」
カカシは眉を寄せて訊きながらも、腕に巻きつけられたベルトを外し、ズボンを穿かせて捲り上げられていたTシャツを下ろした。
「さあ…でも三十分後には元通りになるって」
「そう」
カカシはホッとして、床に散らばったイルカの残りの衣服と携帯と…そしてマフラーを発見する。
「オレの言うこと、聞く気になった?」
カカシはイルカの首に、マフラーを掛けた。
「ご…ごめんなさい…っ」
目を潤ませて唇を戦慄かすイルカを、カカシは横向きに抱き上げた。
「…もう大丈夫だよ。オレがいるから」
安心させるように優しく囁くと、イルカはボロボロと涙を零した。
イルカを抱き、カカシは車まで戻った。
「お帰りなさいませ」
「ありがとう。木の葉荘まで戻ってくれる?」
カカシがそう告げると、しかしイルカは嫌だと言った。
「…え? 管理人さん?」
「…嫌…です…、戻りたくない…ッ」
眉を寄せて、またポロポロと泣き出す。
「……」
こんな目に遭って、木の葉荘の住人にもし会ったらとか、そういう気持ちなのだろうかとカカシは理解した。
今は誰にも会いたくないのだろう。
「…如何いたしましょう?」
尋ねてくる付き人に、カカシは次の指示をした。
「―― オレのマンション、行って」
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