第8話「助けて」
今日はとても暖かな昼下がり。
冬になるとめっきり見かけなくなる鳥が、チチチ…と鳴きながら電柱から飛び立つ。
まだ冬というには早く、秋というには肌寒い、そんな季節だ。
「…じゃ、これ。約束のもんです」
木の葉荘の玄関口、コテツは青葉に茶色い封筒を渡した。
「おおおおっありがとう! どれどれ」
受け取った青葉は、目に見えて喜びに震えながらその封を開き、中に入っていた数枚の写真を取り出した。
「……こ…これは…っ!」
青葉のメガネがキラリと光った。
手にした写真は、イルカのスナップ写真だった。
体育祭の時の写真に、観光地へ校外学習に出かけた時の写真、学生登山の時の写真など、
いわば同じ学生生活をしていなければ見ることの出来ない姿がそこにはあった。
「お…おおおおおっ!」
頬を紅潮させて興奮極まった様子の青葉に、コテツは思い切り引いた。
しかし危険人物のようで、どことなく安心できるものも感じるから不思議でもあった。
少なくとも、イルカに実害は無いだろうと思われる。
(カカシさんに…怒られねぇよな?)
なんて少しだけ不安にもなったが。
「わざわざすまなかったな」
にこにこと以前の仏頂面からは考えられないくらいの上機嫌さの青葉に、コテツは「いえ…」
と作り笑いを返しながら、この場を辞そうとしてしかし気になっていることを尋ねた。
「…その…、イルカは…戻ってますか?」
「イルカ? そういやまだだな…。帰りに買い物にでも寄ってるのだと思うが」
「…そうですか」
「…いや…待てよ。あんまり可愛いから連れ去られたとか…?」
真剣に悩みだした青葉をよそに、コテツはもうひとつ尋ねた。
「あの…カカシさんは?」
「ん? カカシ? ヤツならまだ大学だろう」
イルカ達高校三年生は平日でも昼までの授業が多く、今日もそうだった。
青葉はコテツとの約束があったので、昼休み中に木の葉荘まで戻ってきていた。
それもそうだろうとコテツは納得して頷いた。
「そうですか…では」
コテツは曖昧に笑うと、会釈をして去って行った。
「……?」
何か様子がおかしいものを感じつつも、青葉は手の中の写真を再び見ると、
また興奮しだして自分の部屋に駆け込んだ。
木の葉大学の中庭では、あちこちでカップルやら友人たちがたむろって笑い声が飛び交っている。
その中庭の一部にカカシと女も居た。
「…慰めあう?」
カカシが訝しむ目を向けると、女は色を含んだ目で見つめ返した。
「そうよ。どう? いいでしょ」
「…それならオレ…」
…プルルル。
その時、カカシの携帯電話が鳴った。
「…え?」
旧式な着信音に、女は近くで鳴っているからなんだろうと辺りを見渡した。
カカシは自分の携帯の着信音だと最初は分かっていなかったが、
鳴り続くコール音に、思い出したかのように肩に掛けていたカバンから携帯を取り出した。
「あれ、カカシくんのケータイ音だったの? やっだ、面白ーいカカシくんって」
イマドキ歌ではなく旧式の音を使用するカカシに笑う女を無視して携帯に出ようとすると、
ずっと鳴っていたその音は切れた。とる前に。
「……?」
着信アリ。
それが液晶画面に表示されている。
相手の名前が表示されなくても、相手はイルカだと分かっていた。
この携帯番号はイルカにしか教えていないのだ。
しかしそのイルカから電話が掛かってくることは普段はない。朝に夕に毎日顔を合わせているし、
携帯に電話するほど緊急を要することが無いのだから。それで今までにこの携帯が活躍したのは、
カカシが六月の雨の日、木の葉荘を飛び出した日だけだ。
そんなわけで、ほぼ役立っていない携帯は、
元々イルカと連絡を取る為だけに購入したものなので活躍の場が無かった。
それゆえカカシもその存在を忘れていて、時折り時間を見る為に使うぐらいだ。
そうして見たときに電池が切れていると充電する。
だからカカシは未だにこの携帯の使い方がよく分かっていなかった。
「…ねえ。これ、どうやって電話かけんの?」
「……え…?」
カカシの言う意味がよく分からずに、女は少し戸惑った。
そんな女に、カカシは自分の持つ携帯を手渡した。
「…誰にかけるの?」
「今電話掛かってきたトコ」
「うーん…私のと違うから操作方法がイマイチ…これかな?」
困った様子で携帯をいじる女は、何個かの操作ボタンを押してやっと着信表示をさせることができた。
「海野…イルカってひと?」
「そう、それ」
「多分ココ押したら掛かると思うよ」
女はその細い指先で指し示し、カカシは携帯を受け取ってそのボタンを押した。
「私にも携帯番号教えてね」
勿論カカシは聞いてない。もう神経は電話の先に集中されている。
トゥルルル…トゥルルル…
数度のコール音の後、留守番電話のアナウンスが流れ出した。
「……?」
アナウンスの途中でカカシは電話を切った。
(…おかしい)
カカシの勘が、イルカの異変を嗅ぎ取る。途端に胸騒ぎがしだして、
カカシはその場を駆け出した。
「あ…っ、ちょ」
背後に掛かる女の声も、カカシの耳には届いてなかった。
ひとつ屋根の下2 第8話「助けて」
子供の頃から、小さな秘密基地を持っていた。
公園の土管の中。
その中に入って嫌なことから身を隠すように身体を縮めていた。
そうして、母親が迎えにくるのを待っていた。
その母親は父親と共にこの世を去って。
イルカはこの世のどこにも逃げる場所が無くなってしまった。
逃げたくて。
それでも逃げられなくて。
思えばあの時は、自分も狂っていたのかもしれない。
イルカはショッピングモールの裏手の建物の陰に背を預け、乱れた呼吸を吐き出して整えていた。
「………」
驚いた、なんてものじゃなかった。
咄嗟に走って逃げ出したが、思い出すにつれてどんどんと恐ろしさが迫ってくる。
イルカは背中をずり下がらせて、やがてその場に蹲った。腕の中に顔を埋める。
『―― 分かったな、お前が誰のものなのか。…じゃあ言ってみろよ』
「……っ!」
過去のその声を思い出すだけで、背中に激しい痛みが走る。
ガクガクと身体が勝手に震え出す。
もう過去のこと。
今はもう大丈夫、大丈夫なのだ。
そう頭では分かっているのにダメだ。心がついていかない。
あの家を出て、別の生活が始まって、今度こそ新しい自分に生まれ変われたような気がしたのに。
今度こそはと、そう思ったのに。
同じことを繰り返している。
どうして何度も自分の前に姿を現すのか。どうしてもう、そっとしてくれないのだろうか。
「……」
イルカはポケットの中から、携帯を取り出した。
電話帳の中からひとつ選び出す。
カカシの番号。
暫し逡巡した後、イルカは発信を押した。
何度かコール音がする。
「……」
どこか祈るような気持ちに似た思いでその音を聞いていたイルカは、
次第に自分のしていることを理解して、電話を切った。
「…オレ…何を」
カカシに電話を掛けて、どうしようというのか。
何を言うつもりだったのか。
「…馬鹿だ」
言えない、こんなこと。
絶対に知られたくない。
そんな風に思っていると、今度はイルカの携帯に着信があった。
カカシからだ。
「………っ」
本当はとりたかった。
けれどもイルカは、留守電に切り替えた。
アナウンスが流れる携帯電話を、じっと見つめる。カカシが途中で切ったことが分かり、
辛そうに眉を寄せて。
「……カカシさん…助けて」
繋がっていない電話に、イルカは消え入りそうな声で縋り付いた。
カカシは先ず、木の葉荘に戻った。
しかし木の葉荘にはイルカの姿は無く、まだ学校に居るかもしれないと高校に向かえば帰宅する生徒達の姿を目にした。
カカシはその中のひとり、男子高生を適当に掴まえた。
「ね、アンタ海野イルカ知らない?」
「え…、さ、さあ」
突然話しかけられたその男子高生は、パチクリと瞬きながら答えた。
しかしその隣りに居た男はイルカとクラスメートのようで、教えてくれた。
「海野なら、もう帰ったと思いますが…」
「そう、ありがと」
カカシは礼を告げると、また来た道を引き返した。
どこかですれ違ったのだろうかと思い、辺りを見渡しながら走るが、やっぱり見当たらない。
困った。検討がつかない。
思いつくのはイルカの友人であるコテツだが、連絡先を知らなかった。
とりあえず、カカシは周囲を探し回り、家庭教師先のナルトの家にも行ってみたが、
そこにも居なかった。
こうなると不安は募るものだ。
どんどん濃くなるその影に、カカシは焦りも大きくなった。
ともかくも、自分だけでは時間が掛かる。
誰かに助けを求めるなんて性格上嫌だったが、イルカの為にはそうも言ってられない。
カカシは一旦また木の葉荘へ戻った。
木の葉荘の玄関の戸を勢いよく開けると、カカシは誰でもいいから呼び出そうとして、
「おい…」と声をあげかけて、しかし止まった。
「あ、カカシさん。お帰りなさい」
「………」
荒い息を吐き出すカカシの前には、元気な様子のイルカが居た。
いつものように、笑って玄関口に顔を出した。
そして引っ込めて、台所の方へ歩いていくのを、カカシは追いかけた。
「ちょ、待って」
イルカの腕を掴んで引き止める。
イルカは振り返って、自分の腕を掴むカカシを見た。
「…何か、あったんじゃないの?」
荒い息の合間に、カカシがそう尋ねた。
「…え…、…あ、そうだ。携帯」
イルカは今そのことに気付いたかのような顔をして、また笑った。
「すみません、間違えて掛けちゃいました」
「え…?」
「その、友達に電話しようとして、間違えてカカシさんの番号に掛けちゃったんです。
ごめんなさい」
「………」
「じゃあ、オレ用事しなきゃなんで」
イルカはカカシの掴む手を軽い仕草で解き、そのまま台所へと進んでいった。
「…なんだそれ」
カカシは気が抜けたような気分で、そう零した。
けれども。何も無かったようで良かった。
「………」
そうは思うのに、心の何処かがまだ引っ掛かっている。
だがそれ以上何も言うこともなく、カカシは後ろ髪が引かれるような思いをしつつも、
大学に戻った。
06.12.25up)