猫の気持ち、君の気持ち
16.弱くなる気持ち
なんだかんだで、イルカ先生はオレの手作り弁当を、毎日食べてくれていた。
イルカ先生の机の上に、オレが手渡した時と同じように綺麗に手拭いに包まれた状態で置かれた弁当箱は、持ち上げるといつも軽い。オレは思わず嬉しくて、毎回このタイミングでにっこり笑ってしまう。
取りに来るのは、決まってイルカ先生が居ない時間だった。
昼食を終え、昼の授業が始まっている時間。だからイルカ先生がこの弁当をどう思ったのかは知らない。美味しかったのか、そうでもなかったのか。もちろん喜んでくれていれば嬉しいが、あまりいい反応をもらえるなんて思ってなかったので、別にイルカ先生から直接感想は聞きたくなかった。知らない方がいいこともある。こうしてただ軽い弁当を持って帰る方が幸せなんだと思っていた。
「あの、カカシさん」
「ん?」
オレを呼びとめたのは、職員室に唯一残ってる、事務のひと。名前は知らないが、若い男の中忍だ。
「イルカ先生、いつも困ってますよ」
「………」
いらない情報を、と思っていると、その中忍はこう続けた。
「あの、その、お礼言うことできないから……。ほら、カカシさん、お弁当いつもイルカ先生がいない時に持ってきて、そして居ない時に持って帰られるでしょう? 多分、イルカ先生、直接会って話したいんじゃないかと」
「へえ?」
それは思ってもみないことだった。
そしてそんなはずはないとも思った。この中忍はオレとイルカ先生の関係を知らないから、そう思うんだ。
事実、イルカ先生に直接渡したのは最初の時だけで、それ以外はいつも机の上に置き、そして置いてあるのを持って帰っている。だが、別に弁当の受け渡しの時にこそイルカ先生と顔を合わせることはないけれども、それ以外では会っている。その時に、イルカ先生がこの弁当の話題をしたことなんて無かった。
しかしこの中忍に、そんな事実を教えてやる必要は無いだろう。面倒だし。
「そうですか」
オレは適当に返して、弁当を手に職員室を出た。
「タンゴ」
校舎を出る少し前あたりから名前を呼べば、校舎外で待つ忍猫は耳をピクッと反応させ、オレに駆けよってきた。
「カカシさん」
いつものようにするっと腕を伝い、肩に乗る。
名前は『タンゴ』と付けた。
前にアカデミーにイルカ先生を訪ねた時、子供達が歌ってたんだ、黒猫のタンゴ、って。そっから取った。いい加減な名前の付け方かもしれないが、もう他にどう名前を付ければいいかわからなかったし、それに何よりオレがこの猫を名前で呼びたかった。
「ぼくの恋人は黒い猫」
子供たちが歌った歌の一小節を口ずさむ。タンゴは嬉しそうに喉を鳴らして、頬を擦り寄せてきた。自然、顔がゆるむ。
正直、イルカ先生と一緒にいるより、タンゴと一緒の方がずっと楽しかった。
タンゴといるととても気が楽だ。
何も構えなくていいし、気負わなくてもいい。傷つけられることもなければ、苦しむこともない。何より、タンゴには好かれているという自信があった。
イルカ先生の顔を見たり、傍にいると心は浮き立つけれども、傷つくことも苦しいことも多かった。
『イルカ先生、いつも困ってますよ』
カラン、と手に持つ弁当箱が鳴った。
「カカシさん、今日もお迎えに行きますか?」
毎日毎日、残業のイルカ先生をお迎えに行き、そして無視しまくるイルカ先生のあとを自宅のアパートまでつけまくるだけの日課。ストーカーですかと一度だけイルカ先生に言われたけど、いいえ下僕ですと言い返したらそれ以来なにも言わなくなった。
「……んー……どうしよっかな………」
答えが鈍った。
押して押して押しまくると決めたはずなのに、すぐに不安が忍びこんでくる。まいった、―――オレはこんな弱い男だったか?
「どうしたんですか? カカシさん」
「うん……」
「行きますよね?」
オレの内心の弱さになど気付かぬタンゴは、かわいい顔して念押ししてきた。
「うん」
オレは頷き、ありがとうという気持ちを込めて頭を撫でた。