猫の気持ち、君の気持ち

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  22.盗まれる気持ち  




 本気で疲れた。
 そして本気でもう、本当の本当にイルカ先生を好きなのやめる。
 そんなことを強く思えば思うほど、イルカ先生の涙がオレの頭の中に浮かんできて、強く存在を主張する。勘弁して欲しかった。心の底から嫌気がさしたはずなのに、気を抜くとその隙間からイルカ先生が入りこんでくる。なんの攻防戦だ。
 うんざりとしながら、ともかくもタンゴに癒されたくて、家路を急いだ。

 しかし帰ると、家の戸を開ける前に妙な違和感があった。
「……?」
 なんだと思いながらも、オレは戸を開けてタンゴを探した。
 しかしタンゴは家に居なかった。
「タンゴー?」
 何度も呼びかけても返事も無い。
 いつもなら、家でお留守番させた時は、寂しかったといわんばかりにオレが帰ってくると飛びついてオレを出迎えてくれていたというのに。
 居ない。
 タンゴが、居ない。
 ゾッとした悪寒が押し寄せて、オレはあたふたと探し回った。
 家中探しても居なくて、家の周囲も居なくて、オレは妙な胸騒ぎに背中を押されてあちこち探した。忍犬にも手伝わせた。最初、タンゴの存在を面白く思ってなかった忍犬達は渋ったけど、それでも探してくれた。
 だけど見つからなかった。
 タンゴの匂いを辿ってもらうと、家を出て少しした時点でその匂いが忽然と消えているのだ。
「カカシ……これだけ探していないっつーことは、おかしくないか?」
「え? おかしいって、何が」
「あのタンゴって猫だよ。そもそも前から聞こうと思ってたんだが、あいつ、一体何者だ?」
「何者だって……何?」
 ドクン、とひときわ大きく心音が跳ねた。
「どこから来た? 目的は?」
「何言ってんの、タンゴは……」
 タンゴは。

 ―――何だ?

 突然空から落ちてきて、オレの下僕にしてくださいって言って。
 名前も無くて。
 前に仕えていた誰かが居たっぽいけど、その誰かも知らない。

 どこから来て、どこへ行ったのか。何もかも、オレには見当もつかない。

 オレは愕然とした。
 こんなに気を許していたというのに、その存在の出自などまるでわかっていなかった。知らなかったし、知ろうともしなかった。
「ふん。……誰かが入った跡があるぞ。カカシ、気付かなかったとはお前らしくもない」
 そこでパックンが、家の玄関口をクンクン嗅ぎながらそう言った。オレは急いで駆けより、そこを検分した。
 確かに。誰かがここに忍びこんだのだろう、微かな痕跡がそこにあった。
 それも、これは忍者によるものだ。なかなかに実力のある者だろう。匂いなどは、パックンの嗅覚でないとわからないもので、オレには当然わからなかった。
 入る前に感じた違和感の正体はこれだったのだ。
 オレは家に何も置かない。あるのは日々生活をする為の、ベッドと衣服程度で、金も置かないし貴重品も無い。盗られて困るものがないから、誰かが忍びこんでも肩透かしを食らうような家で。しかし今はあったのだ。
 タンゴが、盗られた。
「……パックン、匂いで追える?」
 タンゴの時のように突然匂いが消えるかと予想はあったが、それは良い意味で裏切られた。匂いは消えず、パックンはそれを追いかけて、オレもそれに続いた。
 おかしいと警鐘は鳴っていた。
 タンゴが消えて、忍びこんだ者の匂いが消えないなんて、おかしい。
 だが、これしか手がかりが無かった。それならそれを追うしかないだろう。
「ここだ、カカシ」
 匂いを辿った先には、中忍宿舎用アパートがあった。
「え……?」
 そこには、イルカ先生も住んでいる。
 なんで、ここに。
 まさか。まさか、まさかだろ。
 オレの中に芽生えた嫌な予感を、どうやったら払拭できるというのか。そんな馬鹿な、と思うのに、どこかが訴えている。これには―――イルカ先生が絡んでいると。勘というやつだ。
「ちょっと……勘弁」
 オレは思わず呟いた。空を仰げばいいか、それとも蹲ればいいか。
「カカシ?」
「本当にここなの、パックン」
「お前失礼だな。ワシが間違えたことがあったか?」
「いえありません、すみません……」
 項垂れながら詫びを入れ、オレは溜息を吐いた。
 だけどいつまでもこうしているわけにもいかないだろう。パックンもかなりオレを不審な目で見ている。契約獣との信頼関係を揺らがせるわけにもいかなかった。
「パックン、どこの部屋?」
「それがだな、この辺で匂いが混じり合ってわからんのだ」
「……そう」
 であるならば、自分の勘の命じるまま、イルカ先生をまず訪れるべきだろう。
 さきほどあんな別れ方をした手前、気まずいにもほどがあるけれども、オレは腹を括って戸をノックした。タンゴの手がかりを、掴みたかった。
「はい?」
 イルカ先生の声がした。そして扉の向こうから、外の様子を窺っているはずだ。オレは気配をわざと消さずにいた。イルカ先生には、オレの存在なんて筒抜けだろう。さっき、本当に少し前に『もう二度と追いかけたりしません』と宣言した男がやってきたのだから、普通にドン引きだろうってことぐらい、オレにだってわかるよ。ああもう。
 それなのに、イルカ先生は玄関の戸を開いてくれた。
「……なんですか?」
「その。ええと、」
 タンゴを。と言おうとして、オレは別のことに気付いて言葉を切った。
 月明かりの薄暗さの中でも、当然オレには夜目が利く。
 イルカ先生は、泣いていたせいで目が赤かった。
 そういえば、と今頃になって思い出す。イルカ先生が急に泣きだしたことを。タンゴのことで頭から飛んでしまっていた。
「……どうして泣いたんですか?」
 それでオレはつい。つい、口からポロっと出てしまった。
 言った後でしまったと気付き、咄嗟に口元を手で覆っちゃったけどもう遅い。俊敏な速さでイルカ先生は戸を閉じてしまった。
「い、イルカ先生、すみませんあのっ」
 オレは思わずドンドンと戸を叩いた。
「何やっとるんじゃカカシ」
 足元でパックンがかなり呆れていた。本当にね。オレもオレに呆れているよ。
 そうこうしている間に、隣室とかの住人が、夜分にやかましいオレに多分怒ろうとしてだろう、玄関から顔を出しては元凶の顔、つまりオレを見て驚いた顔をして、何も言わずにそのままパタンと戸を閉めて行った。それが何件か続いて、ようやくイルカ先生は中から「近所迷惑です、帰ってください」と言った。イルカから何かしらリアクションがあったので、オレはこの状態のまま問いかけた。
「イルカ先生、タンゴのことなんですけど!」
「……え?」
「タンゴのことで、聞きたいことがあるんですよ」
 言うなり、玄関の戸がまた勢いよく開いた。
「タンゴですか?」
 イルカ先生は、とても緊張した顔をしていた。
 何か知っている。
 それをハッキリ掴んだ。
「……イルカ先生、何か心当たりがあるんですね」
 だからオレはそう言った。
 イルカ先生はギクリと顔を強張らせたが、目をうろうろとさせて黙り込んだ。
 おかしいとはオレじゃなくても思うだろう。まさかイルカ先生が本当にタンゴを連れ去ったのか、なんて想像してしまいそうになる。
「何か知ってるんでしょう? 教えてください」
 イルカ先生はぐっと詰まる仕草を見せた。そして、ああ……と項垂れながら、こう言った。

「……とりあえず入ってください」



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