猫の気持ち、君の気持ち
5.待ってる気持ち
何が変わったというのだろう。
オレはオレの背後をテクテクとついてくる忍猫の存在に、わりとうんざりとした息を吐いた。
下僕にしてもしなくても、何が変わったというのだろう。
「……お前ね」
オレは歩くのを止め、少しばかり背後を振り返った。
「ハイ!」
耳をぴょこっと動かして忍猫は行儀よくオレの言葉を待った。
期待に目をキラキラさせて、忍猫はオレを見上げている。オレはまた溜息を吐いた。ああ、溜息を吐くと幸せが逃げるっていうのに勿体ない。でも止められないし、そもそもオレの幸せってなんだ――――とどうでもいい思考は一旦中断した。今は猫だ。この猫だ。
「お前さぁ、どうしてオレの後ついてくんの」
「下僕ですから」
「……」
そうですね。
「いやでも、下僕って言ってもホラ、他に何かすることあるでしょ」
「なっ何ですか!? ご主人さま、何なりとお申し付けください!」
いよいよもって目をキラキラさせてくる。
ああそうか。オレの命令待ちだったのか。
そりゃそうだ。下僕なんだもの。オレは自分の間違いに気付いた。
「……じゃあ、部屋の掃除しといてよ」
「かしこまりました!」
忍猫はキラキラとした目で嬉しそうに回れ右をして、脱兎の如く駆けていった。
他に何か浮かばなかったが、これで四六時中ついてこられることはないだろう。
あの忍猫と出会って約一ヶ月。下僕を許して十日ほど。
今の今まで、オレの後ろをテクテクとついてくるだけだった忍猫から、ようやく解放された。
「あれー? カカシ先生、あの猫ちゃんは?」
「いなーいよ」
「なんだ残念」
なにがどう残念なのか、偶然出会ったサクラの挨拶はこれだった。
任務を終えたオレは、報告業務を行う為にアカデミーへとやってきた。その敷地内でバッタリ出会ったのだ。
オレの部下だったサクラも、今や五代目直弟子となって修行中だ。以前のように毎日顔を合わせることは無くなったが、五代目のもとについているサクラと遭遇する回数はわりと多い。
「いっつもカカシ先生の後ろをちょこちょこ歩いてて、可愛かったのに」
「可愛くなんかあるか」
オレが吐き捨てるようにぼやくと、サクラは非難がましい声を上げた。
「どうして? だって私が構おうとしても、カカシ先生しか見てなかったじゃないあの猫。あんなに懐かれて可愛くないなんて、カカシ先生の愛情プログラムはバグってるわ」
なんだか難しい表現をされて、いまいちサクラが言いたいことが伝わってこなかった。
こういう女なら、あの忍猫も幸せだったかもしれない。
オレは邪魔に思うばかりだからな。邪魔だから。
それでも、オレに必死についてくるんだ、あの忍猫は。
「あ、猫ちゃん!」
気配に気付いたと同時ぐらいに、サクラが言った。
「掃除終わりました!」
オレのすぐ近くにまで駆けてきて、嬉しそうに忍猫が報告する。
終わっちゃったのか。フリーの時間が。
っていうか、どういう掃除したのか気にならないこともない。本当にやったのか?このどんくさい猫が。けどまぁ、たいした荷物も無い部屋だ。被害が出ることもないだろう……多分。
「なぁに、掃除って」
「まーね」
サクラの疑問に答えることなく、オレはさっさとこの場を去るべく足を動かした。忍猫もオレについてきて、同じくサクラには何も答えなかった。後ろでサクラが拗ねた声を上げたけれど、オレは気付かぬフリでそのまま立ち去った。
「お前ね、しゃべるの禁止」
「しゃべるの、ですか」
言って、忍猫はハッとしたように自分の口に片手を押し当てた。そしてオロオロとしだす。
その様を見て、オレはまたひとつ幸せを逃がした。つまりは溜息を吐いた。
「……オレとだけならいいよ。でもオレの周囲に他の誰か居た時は駄目」
「……ハイ!」
忍猫はパァ、と顔を輝かせてコクコクと頷いた。
そうしている間に、アカデミー出入り口へ到着だ。
どこへでもついてくるかといえば、この忍猫はアカデミーの中へは入ってこようとしない。ピタ、と立ち止る。
オレはそんな忍猫をチラリと見はしたが、特に声を掛けることはせず、そのまま入っていった。
「あーっ、猫だ!」
すると背後から、子供たちの声がした。
振り返ってみると、忍猫の周囲をアカデミーのガキ共が取り囲んでいる。子供は動物が好きだ。そして子供達からすれば、あの忍猫はただの黒猫だ。かわいがりたい対象なのだろう。
ためらいもなく猫に手を伸ばす手があちこちからで、忍猫はその場を動くことはしなかったが、あきらかにガキ共に対して怯えた様子だった。悪さをしようとはしてないようだが、加減を知らない手は容赦なく猫をいじっていた。
嫌なら逃げればいいのに。
そう思った尻から、気付く。
ああ、あそこでいつもオレを待ってるせいか。
オレを待つ為に動けないのか。
「………」
踵を返そうとした時だ。
逃げるでもなく縮こまるようにその場に居続ける忍猫を、すぐに助けた手があった。
「―――こら、お前ら。オモチャじゃ無いんだぞ」
子供達にいじられまくっていた忍猫を、その手はひょいと抱えて子供たちの手から遠ざけた。
「あー、イルカ先生!」
「なんだよオレらも猫で遊びたいよ」
「イルカ先生、私も抱っこしたい」
口々に言い募る子供達の中心で、イルカ先生は忍猫を抱えて「駄目だ」と諫めていた。