猫の気持ち、君の気持ち

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  7.掃除する気持ち  




 家に帰ると、どっかりとベッドに腰を下ろした。
 夕食はまだだ。ぼんやり思ったが、何か作らねばならないということが酷く億劫でならなかった。しまった、何か食べて帰るか買って帰れば良かった。
「腹減ったな」
 零すと、足元の忍猫の耳がピクリと動いた。
「何か買ってきましょうか?」
「ん? ……そーだね、何か買ってきて」
 曲がりなりにも忍猫、買い物ぐらいはできるだろう。
 面倒な気持ちばかりが心を占めたまま、腰元のポーチから財布を取り出し、ぽいっと足元に投げる。忍猫はそれをくわえた。
「何がいいですか?」
「テキトーでいい。弁当とか」
「はい!」
 何が嬉しいんだが、はりきって忍猫は出かけていった。
 そんなにオレに指図されるのが好きだなんて、全くもって理解できない。オレは誰かに指図されたり命令されたりするのは嫌いな方だ。任務だったら仕方ないって思うけど、 それ以外に好き好んで命令されたくなんかない。
 そこでオレはふと、数時間前にあの忍猫に命じたことを思い出した。部屋を掃除しろと言ったのだ。
 殺風景な部屋だから、劇的に何かが変わっているということはなかった。だが、何か整然とした空気を感じた。気に掛けて見なければ判らない程度だけど。
 あの忍猫はこの部屋を、あんな小さな身体でどうやって掃除したのだろう。同じ疑問を少し前に抱いたが、その時はたいして考えることはなかった。でも今は、なんだか少し悲しい気持ちになった。
 二度と掃除など頼まないと思った。



 どれぐらい経ってからだろうか。
「ご主人さま、只今戻りました」
 忍猫は小さな身体の上に、レジ袋に入った弁当を乗せて帰ってきた。息を切らせた口に、それでも財布を銜えていた。
 小さな身体だ。弁当の方が大きいんじゃないだろうか。
 オレはどうしてこの猫に、こんなことを頼んだんだろう。
「………お帰り」
 ぽつりと零すと、忍猫はビックリした顔を見せた。
 どうしてだろうか、と考えて、そういえばこの忍猫にお帰りだなんて、言ったことがなかったなと思った。
 なんとなく気まずい気持ちで後ろ頭を掻いた。気まずいというか、いたたまれない? って、なんでだかよくわかんないけど。とにかく忍猫と目を合わせたくなかった。
 弁当を受け取る。
「……あれ? お前の分は?」
「え? え、と、その」
 見れば弁当はひとつ分しかなかった。この忍猫も身体がそんなに大きくないわりに食べるのだ。しかし家の中には食べるものなんて無い。いつも弁当屋に行く時は、この忍猫の分も小さいものを買っていた。  お金が足りなかったのだろうかと財布の中を覗いてみたが、お金はまだあった。足りなかったわけではないのだろう。ということは、遠慮したのか―――それもそうだ。
 っていうか。なんだオレのこの、考えの無さは。
「………」
 しょうがない、オレの分をわけてやるか。幸いオレはそんなに量を欲しないので、この忍猫にあげても平気だ。
 弁当を取りだすと、まだ温かかった。
 この弁当屋を知っている。今まで何度か家へ帰る途中に、買った弁当屋だ。まぁ、憶えててもおかしくはない。そこではなく……ここから結構遠い場所だった。なのにまだ温かい。
 温かい弁当を背中に乗せて、この忍猫は熱くなかったのか。いくら忍猫とはいえ、皮膚が何も感じないなんてことはないだろう。低温火傷を起こしているのではないかと気になった。
「お前、こっちおいで」
「え……?」
 戸惑った様子の忍猫の脇に手を差し入れ、ひょいと抱えて膝の上に置いた。忍猫はうろたえていた。構わず、背中を触ってみた。忍猫はぴくっと身を跳ねさせた。背中が温かったが、これは体温のせいだけではないだろう。
「……痛い?」
「え、え?」
「冷やさなきゃ」
 一先ず忍猫をベッドの上に置き、冷凍庫の中から氷を出して氷嚢を作ると、ベッドまで戻って忍猫の背に乗せた。
「ご、ご主人さま……」
 オロオロとした様子の忍猫を見て、そういえばオレはこの猫に対して、少しも優しくなかったと思った。それなのに、どうしてこの忍猫はオレにここまでするのだろう。
「ごめんね」
 頭を撫でてみた。初めて。
 ふさふさとして、気持ち良かった。犬の毛並みと同じぐらい。
 だけど小さい。本当に小さい。骨組が犬とは違う。こんな小さな生き物に、オレはどうして優しくできなかったのか。
 イルカ先生もこの感触を味わったんだな―――思い出すと、胸が痛んだ。冷たい眼までセットで思い出したせいだろう。
 どうしてこんなことを思い出すのか。胸が痛むのか。
 いつもは腹立たしくなるのに、今はやるせない気持ちにしかならなかった。妙に感傷的になっている気がして、それが嫌だった。
「……、」
 そんなオレに、忍猫は頭を擦り寄せてきた。ザリザリとした舌で指先を舐める。
「―――、……お前ね」
 名を呼ぼうとして、呼べなかった。
 どうしてあの男の名など付けたのだろう。オレは馬鹿だ。
「はい、ご主人さま」
 嬉しそうな忍猫に、オレは溜息のような笑みが零れた。
「ご主人さまっての、やめてくれる?」
「え……? え、と………、じゃあ、…………カカシさま」
「さまってのもやめて」
 オロオロとする忍猫は、やがて「カカシ、さん?」と言った。不思議だったが、それがあの男とだぶって見えた。会話を交わすようになったぐらいの頃の、ぎこちなく名を呼ぶイルカ先生に。
 オレは急に切なくなって、忍猫を抱きしめた。



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